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第13号  2005年5月

(第303話) あと3年、できれば5年 2005,5,31
 “50%と30%。これは厚生労働省調査による高卒、大卒の新入社員が3年以内に退職する率である。
 せっかく希望を持って入社したのに仕事はくだらないことばかりである。こんな面白くもない仕事をしている先輩を見ると、皆いやいやながら定年までと思っている風情である。このような諸君の悩みは、私も新入社員として経験したところである。
 ではどうするか。先輩としてのアドバイスを先に言おう。
 「あと3年、できれば5年はその仕事を続けよ」である。就職間もないころはこんなくだらない会社にいて自分はどうなるだろかと不安の固まりだった。そのような自分を救ったのは2つの要素である。
 1つは、会社にも良いところがあると気づいたことである。上司が面倒を見てくれないのなら自分で決めてしまえ、その方が面白いと思った。もう1つは、使命感のようなものである。
 諸君が今の会社に入ろうと決めたのはどこかに良いところを発見したからであろう。それを確認しながら仕事をマスターしていってほしい。その後で転職してもその経験は必ず役に立つと断言できる。”(5月19日付け建設通信新聞)

 「就職1ヶ月の諸君へ」と題した建設通信新聞の記者氏の忠告である。転職に自分を正当化する理由をいろいろ見つける。そして、社会もそれを容認する傾向である。しかし、私は記者氏の主張を支持したい。ボクは一度の転職もなく、まもなく定年退職だ。

(第302話) お金の生かし方 2005,5,30
“映子さんが温泉旅行を楽しんできたという。
「父にもらった小遣いがおいてあったの」81歳の父親から小遣いをもらう?
 3年前の正月のこと。実家の客間に両親を囲んで4人のきょうだいとその連れ合い、孫全員が並んだ。恒例の年一度の家族集合である。父親がにこにこと皆の顔を眺めながら言った。
 「私は男の平均寿命を過ぎた。もう何もいらない。お金も葬式代だけあればいい。これから女性陣に小遣いをあげることに決めたよ」”
 彼は封筒を妻、嫁、娘、孫娘5人の計10人に手渡した、中身は5万円ずつ!
 「以来、皆一段とやさしくなった」と映子さんは笑う。なるほど、こういうお金の生かし方もあるのだなあ。”(5月22日付け中日新聞)

 またまた、小川由里さんの「おばさん事典」からである。やさしくしてくれるのでお金を渡してしまったら、冷たくなってしまった、と言う例をよく聞く。なるほど、小出しにしなければいけないのだ。先日、娘婿の誕生日に妻がこづかいを渡していた。これだな・・・これで妻に優しいのだ。

(第301話) 推理小説の受難 2005,5,29
 “推理小説が書きづらくなっていく。加速度的に。
 ドイツの思想家ベンヤミンは、「探偵小説の根源的な社会的内容は、大都市の群衆の中で個人の痕跡が消えること」と指摘した。他者との関係性が容易に見えないことは、推理小説が成立する前提だ。ゆえに、近代都市の誕生と共に推理小説というジャンルが生まれたわけだ。
 ところが、昨今はこの「個人の痕跡」が消えない。例えば、事件直前に被害者が誰かと連絡を取っていた場合、電話にしろ電子メールにしろ、送信記録をたどることができる。主な駅には、監視カメラの目が光っている。
 犯罪の予防や捜査にとっては、望ましい状況だ。しかし、それでいて国民は治安の悪化を懸念しているし、そもそもこんなに監視社会が進んでいいものか、もっと論議されるべきだろう。「個人の痕跡」が消えない社会。それが完成した結果、推理小説が滅びるだけならいい。しかし、失われるものがそれだけで済むはずがない。”(5月18日付け朝日新聞)

 推理作家・有栖川有栖さんの文。監視社会がこんなところに影響があったとは、気がつかなかった。失われるものに何があるだろう。例えば、為政者がこれを利用しだしたら、自由が失われ、暗黒社会だろう。それはもういつでもできる状態だ。

(第300話) 5月病対策 2005,5,28
 “五月は、新しい環境で頑張った疲れが出てくる時期で、「五月病」と呼んだりします。そんな時には、毎日の生活習慣を見直してみましょう。
 まず朝、ちょっと早起きをして散歩をしましょう。ベランダでの太極拳でも結構です。日光を浴びて、20分以上大きく呼吸をしたり、歩き続けることが大切です。強い光の刺激を受けたり、一定のリズムで運動をしたりすると、脳の中でセロトニンという物質がでやすくなります。セロトニンが足りなくなるとうつ病になりますから、うつ状態の予防になります。
 食事のバランスも見直しましょう。ご飯やパンなどの炭水化物はセロトニンを出しやすくして心を安定させます。イライラを押さえるカルシウムも一緒に摂りましょう。
 ちょっとしたストレスを感じたときには、チョコレートを一口食べてみましょう。楽しい気分になるエンドルフィンを出すので、気持ちが軽くなるでしょう。エクササイズは大量のエンドルフィンを出しますから、運動習慣を身につけると、ストレス克服の生活習慣になります。”(5月20日付け毎日新聞)

 ただ歩いて、きちんと食事をせよと言ってるだけのこと。セロトニンとかエンドルフィンという学術用語を用いた説明にもっともらしい気分になる。

(第299話) 少年老い易く・・・ 2005,5,27
 “大学の刑事法の講義を3コマ、受け持っている。1コマは1時間半。「今時の学生には無理ですよ。せいぜい1時間」。長く立教大学で教える友人の言に私も同感だ。故に講義は1時間、あとは個別の質問タイムにしている。
 大学でも二極化が進んでいるようだ。必ず前に座り一生懸命聞く者。アウトサイダーに徹した者。小学生相手なら、静かに聞きなさいと諭すのも教育の一環だろうが、最高学府の大学は本来、学問の場である。
 とはいえ私自身、振り返って、あまり真面目な学生ではなかった。働かずに学べる環境に特段感謝もしなかったし、若さの特権にも気づかなかった。だが人生で、純粋に勉学に没頭できる時期は限られるのだ。後悔はただ一点、もっと勉強しておけばよかった。
 「少年老い易く学成り難し」。年を経て初めて実感される真実が多い。”(5月18日付け中日新聞)

 弁護士で帝京大学教授の佐々木知子さんの話。こんな著名になられた人からこんな後悔の話を聞くのだから、一般人においてはなおさらである。ボクなど授業をさぼっていろいろなことをしていたが、結局何も残らず、講義を真面目に聞いておけばそれだけでも残ったのにと、すぐに後悔した。

(第298話) 成果主義賃金(2) 2005,5,26
 “平安後期の武将、源義家は勤務評定の厳しい人で知られた。日々のいくさでの働きぶりを、その夜の食事に反映させたと伝えられる。
 2004年分の高額納税者番付で、初めてサラリーマンが首位を飾った。東京のある投資顧問会社の運用部長氏(46)が納めた所得税額の額は約37億円、約100億円の報酬を受け取った計算になる。
 年季の入った月給取りの身、ひとさまの懐具合には悟りの境地に達しているつもりでも、100億円にはやはりため息が出る。「起きて半畳、寝て1畳、天下取っても2合半」。つぶやきつつ、精進料理の膳に向かう。”(5月17日付け読売新聞)

 成果がわかりやすい形なのだろうが、成果主義は恐ろしい評価を出すものだ。顧客から預かった資産を6年間で6倍にしたからというが、6分の1にしたらどうなっているのだろうか。ボクが面白く思ってこの文を紹介したのは「天下取っても2合半」という言葉である。

(第297話) 「めぐる」時間 2005,5,25
 “かつて、日本には「めぐる」時間という観念があった。日が昇り日が沈むのが繰り返され、生と死が循環するように、時間は、繰り返しめぐってくるものであり、急いで追っかけるものではなかったのだ。しかし、西洋流の「すすむ」時間の観念が浸透するにつれ、時間と競争するようになってしまった。それは右肩上がりの社会の反映でもあり、私たち日本人はそれから脱し切れていないためかもしれない。それを思い出させてくれたこと、それが今回のJR西日本の事故の教訓の一つなのではないだろうか。
 私たちは、時間を融通して使いこなす能力を持っている。安全のために電車を遅らせても構わない、少しくらいの遅れは余分な時間ができて得をしたと思おう、本がもう1ページ多く読めるのである。時間を追っかけず、柔軟に使えばいいのだ。
 人生は「めぐり」ながら「すすむ」のだから、ラセン階段を昇るようなものといえる。いつまでも同じところに留まっているわけでもなく、まっすぐに進むばかりでもない。”(5月16日付け中日新聞)

 JRの大事故から早稲田大学・池内教授の時間の観念についての随想。JR事故も批判一点張りから、少しいろいろな観点の意見が見られるようになった。そして、多くの人が何ごとにつき、急ぎすぎてきたことをなんとなく感じてきていた中に、その反省の言葉が目立つようになった。しかし、少したてば何ごともなかったように走り続けるのだろう。

(第296話) 共生と寄生 2005,5,24
 “異なるものがお互いに利益を与えあっている関係を相利(そうり)共生といい、一方が利益を得て他方が害を被る、あるいは利益をもらわない関係を片利(へんり)共生という。サル学の権威として知られる河合雅雄さんの著書で知った。
 人間と自然とは、人間が一方的に利益を受ける片利共生の関係にあると河合さんは言う。人間は大地も大気も水系も汚染し、無数の生物も殺した。無限の恵みを受けながら何のお返しもしていない。自然の寄生虫的存在になってしまった。
 海洋温度差発電の研究で著名な前佐賀大学長の上原春男さんは寄生と共生と対比させて、別の視点から書いている。共生は、互いに協力し努力しあってこそ成り立つ。寄生は他の強い存在に頼って生きていく方便であり、寄生する相手が死ぬときに自分も死ぬ。企業社会でも学問研究でも共生の中でこそ創造性が発揮されるというのだ。”(5月15日付け読売新聞)

 人間が勝手にふるまっていても、自然の懐の深さに大きな影響がなかった時代は、こんな議論の必要はなかったが、人間の横暴が過ぎたと言うことであろう。愛知万博のテーマは「自然の叡智」、我々はこの叡智を活かす姿勢を学ばねばならない。
 愛知万博に私はもう何度も行ったが、外国のメッセンジャーから「美しい日本の自然」という言葉を何度も聞いた。外国人には羨ましいのだろう、そんな美しい日本の自然を殺してはならない。

(第295話) 焼き餅 2005,5,23
 “夫は定年後にダンスを始めた。張り切って公民館に通っている。ところが、そういうと大抵こういう質問を受ける。
 「あなた、焼けないの」何を焼くのだ。
 「よそのおばさんと体をくっつけたり、手を握ったりするんでしょ」
 「ダンスなんだから、いいじゃないの」
 ところが、「ダンスでもダメ」「絶対いや。習わせない」というおばさんの多いこと。先日はこんな話まで聞いた。
 ある妻はダンスパートナーである女性と親しそうなのを見て腹を立てた。そこで、夫を見張るために自分も同じダンスクラブに入ってダンスを始めた。ちなみに3人とも60代という。”(5月15日付け中日新聞)

 小川由里さんの「おばさん事典」から。さあ、この事例をどう読み取るか・・・。おかしいのか、麗しいのか・・・・さて、また・・・・。ボクは共通の趣味ができて、多分いい結果を生むと思う。ボクもダンスができたらいいだろうな。

(第294話) 働く人の犠牲 2005,5,22
 “多数の死傷者を出した脱線事故を機に、安全より効率を優先してきたJR西日本の企業姿勢が、厳しく批判されている。翻って私たち市民の側に責任はないのだろうか。
 私は京阪・大阪市営地下鉄・南海の3鉄道を乗り継ぎ通勤しているが、1分でも速い電車に乗りたいと思い、2〜3分遅れただけでイライラしている。運行の安全などに気を配った記憶もあまりない。
 電車のことだけではない。夜中まで開いているコンビニは、夜通し働く人がいるからこそ成りたっている。最近では当たり前になったってきた時間指定の宅配便も、トラックを運転して配達する側には大きな負担になっているという。
 24時間営業なんて本当に必要なのだろうか。便利さや効率を求めてきたのは、私たち自身でもある。もう少し働く人々の置かれた状況に、想像力を働かせるべきではないだろうか。テレビに映る犠牲者遺族の声に、私は自分が責められているような気がする。”(5月13日付け朝日新聞)

 大阪府枚方市の教員・伊藤さんの投稿文。JR西日本の企業姿勢や職員をよってたかって非難しているが、我が身を振り返ったとき、どれだけの人が非難できる資格があるのだろうか。5月18日付けの朝日新聞に、通勤途中の人助けの遅刻でも会社は認めなかった人の話が出ていた。市民として自分の要求が、別の場面では自分自身が過酷に追い込まれていることはないだろうか。私は伊藤さんの謙虚な姿勢に敬意を表する。

(第293話) 兼六園の八重桜 2005,5,21
 “金沢で講演したついでに兼六園に行った。もう花見のころは去っていたが、幸い八重桜が満開だった。
 旅をするとき、私はカメラを持たない。1冊の手帳に情景や感想を文章で書きつらねるだけだ。文章によるスケッチブックの持参である。
 ところが、こちらが一生懸命スケッチをしていると困るのは、必ず誰かにカメラのシャッターを押してくれと頼まれることだ。それが人々の喜びになる以上は、こちらは断る理由はなく、スケッチを中断して写真屋を演じてあげる。が、奉仕したあとは、すぐに気の毒になった。人々は「有名な」桜と一緒に写真に写るだけで満足し、花に隠れた謙虚な紫の新葉、せせらぎに花を浮かせる風のたわむれ、そこに春の時間がのどかに移ろっている自然のいとなみを、つまり繊細な美の極致を味わう機会を、永久に逃してしまったのだから。”(5月13日付け中日新聞)

 作家の加賀乙彦さんの文。文章によるスケッチブックとは、さすが作家、味なものである。楽しみ方はいろいろあるが、これはなかなかできるものではない。「第224話 今の感動こそ」でも、同じような意味の文を紹介した。自然の中にいて自然を見ず、本当に注意したいものだ。

(第292話) パーソナル・スペース 2005,5,20
 “人だれしも他人にあまり近寄られすぎると不快な感じにとらわれる。社会心理学では、この自分の体のまわりに広がる心理的な「なわばり」を「パーソナル・スペース(個人空間)」というのだそうだ。
 男性トイレでの実験によると隣のしきりに他人がいるかどうかで小用にかかる時間が変わる。隣に他人がいると、排尿開始までの時間は長びき、排尿そのものの時間は短くなる。これはパーソナル・スペースに他人が存在するストレスによるものという。
 それほど敏感な人間がお互い体を押しつけながら詰め込まれるラッシュ時の電車である。現代人がその混雑に耐えられるのは、パーソナル・スペースを伸縮できるように自らを飼いならしてきたからという。電車の中での目のそらし方、腕組みなどはスペース縮小の知恵らしい。”(5月12日付け毎日新聞)

 人間意識しないうちに、いろいろな社会対処法を身につけているものだ。こうして説明を聞くとなるほどと思う。そして、こんなことを知りながら社会を見るのもまた面白い。この文は、女性専用車に絡めた文の一部であるが、女性専用車が名古屋の地下鉄で採用されたのは平成14年9月からだが、ボクにはあってくれた方がいい気もあるが、何かおかしな社会だなと言う気もする。

(第291話) 今時の若者 2005,5,19
 “エジプトのピラミッドの中にも「今時の若者は」と書かれているようです。いつの世もジェネレーションギャップはあるのでしょう。
 ロータリークラブの活動の一つに、次代を担う若者のリーダーを育てるプログラムがあります。ロータリークラブが提唱し、18歳から30歳までの若者にクラブを作ってもらいました。養護老人施設への慰問、清掃活動など、彼らの目は地域社会の中でイキイキと輝き、「今時の若者」の情熱とバイタリティー、素晴らしさを感じさせてくれます。
 創立30周年を迎えたクラブ式典で、地元の首長は「今時の若者を理解することは難しい。しかし信頼はしている。信頼に応えられるよう努力して欲しい」
 親子以上に年齢が違う若者を理解することは確かに難しいでしょう。理解できなくても、お互いが尊敬され、信頼される努力をすることが必要です。”(5月12日付け中日新聞)
 
 安藤七宝店・安藤社長の話。確かに「今時の若者」を理解することが難しい場面を、度々街中で見かける。しかし、ボク自身に関わる事例を探そうとしたとき、意外に思い浮かばない。それだけボクの周りに若者がいないのか・・・・それとも・・・。

(第290話) 成果主義賃金 2005,5,18
 “成果主義では、上司の評価一つで従業員の賃金が大きく上下するから、評価の正確性を確保するためのさまざまな努力が必要となる。評価を行う上司の訓練や、下された評価に対する苦情処理システムの導入などがその例である。ところが、制度導入の目的が賃金カットの場合には、このようなコストがかかる取り組みがおろそかになる危険性が高い。そうなれば、長期的な弊害は大きくなるかもしれない。
 大切なことは、労働者個々人の技術やノウハウが適切に評価され、会社への貢献度に見合った報酬を得ることであろう。比較的若い育成途中の従業員に対しては、各人のスキルの伸びに応じて賃金を支払う。そして、中堅層以降では、社内における職責とその職責をこなす技量の伸びに応じて賃金を支払うといった制度の方が望ましいように思われる。そうすれば、短期的な評価のぶれから来る従業員の賃金リスクは小さくなるし、「働きぶり」の差もそれほど遅くない段階で賃金に反映される。
 その前提となるのは、従業員の納得が得られるような、きちんとした評価システムの確立である。評価への納得なしには社員の「やる気」は高まらないのである。”(5月11日付け朝日新聞)

 名古屋大大学院・太田教授の文の後半5分の1ほどの紹介である。私は日本の現状での成果主義の導入には懐疑的だった。それはこの文の冒頭に書かれていることが実態だからである。そして、現に廃止の企業がかなり出てきている。人間が人間を評価することはそんなご都合主義、容易いことではできない。

(第289話) クオレ 2005,5,17
 読売新聞に「名作・ここが読みたい」という欄が続いている。「クオレ」という書名に懐かしさがわいた。ボクがまだ小学生の低学年のころだったと思う、友達から借りて夢中で読んだ。ボクの心に残る数少ない本の1冊だ。
 歌手のロザンナさんのコメントが書かれていた。

 “「クオレ」は「ピノッキオの冒険」とならび、私のふるさと・イタリアを代表する児童文学です。書かれてから120年近くたった今の時代にも通じる教えを残しているからです。
 私が一番好きなのは、父に口答えをした息子を母がしかる「お父さん」の章です。どれほど父が息子を愛し、母が父を尊敬しているかが伝わってきます。「おまえは、パパに似てダメな子ね」とけなしがちなお母さんには、ぴったりのお話です。
 作品の大部分を占める少年の日記には、厳しいけれど優しさを忘れない先生、お互いの良い点を素直に認め合う友だちが登場します。虐待やいじめなど、現代社会の問題を見抜いているようなこの本。子どものころは読書感想文を書く課題図書で嫌いでしたが、今は、生きていくためのバイブル(聖書)だと思います。”(5月9日付け読売新聞)

 「クオレ」はイタリアの童話作家のエドモンド・デ・アミーチスの作で、小学4年の少年エンリーコの1年間の出来事を日記風に書き留めた童話。クオレは「愛」「真心」を意味する。

(第288話) シドニーオペラハウス 2005,5,16
 “真っ青な海に上に、真っ白いヨットの帆。高さは70mもある。でもこれはヨットではなく、シドニー湾に浮かぶようにして立てられたオペラ劇場なのである。
 「20世紀で最も美しい建築」「歴史上最も多く写真に撮られた建築」という風評が立つほどにその優美な外観とは裏腹にその完成までには、紆余曲折の長い16年間があった。 国際設計コンペで230を超える応募案の中から1位に選ばれたのは38歳の無名のデンマーク人建築家、ヨーン・ウツソン。ところがこの「白い帆」をどんな材料でどう作ればいいのか、ウツソン自身も世界のトップレベルのプロのエンジニアたちもなかなか答えが出せず、見切り発車で基礎工事が始まった。
 ウツソンは辞任し、地元の建築家チームの手で完成するが、総工費は当初予算の約6倍であった。無駄な公共工事、税金泥棒、建築家の独善、無責任・・・・今日の日本社会で問題とされている公共工事への批判がほぼすべて先取りされた。しかし半世紀たった今、この建築の悪口を言うオーストラリア人はほとんどいない。ここで開催されるイベントは年間1600を超え、世界有数である。”(5月8日付け朝日新聞)

 大型の公共構造物は計画され、構築されまでに数十年、活用され、その使命を全うするまでには百年単位の時間を要する。例えば、長良川河口堰でも徳山ダムでも本当に無駄だったかどうかは、その寿命が終わらなければ分からない。ボクが言えることは、そのときの担当者(責任者)が純粋に子々孫々を考え、どれだけ真剣に取り組んだかである。

(第287話) ボランティアの報酬 2005,5,15
 “さまざまな人が支える愛・地球博。開幕当初は、駆け足で通り過ぎようとする万博特有の入場者に、声をかけられないでいた愛知県民の運営ボランティアの人たちも腕を上げた。瀬戸愛知県館コラボレーション空間では、県民の手で2年間かけ準備をしてきた展示の解説を県民自身が行っている。給与もないのになぜボランティアは頑張れるのだろうか。このボランティアの人たちの報酬とは一体何なのだろうか?私は3つあると思っている。
 ひとつは、自己の存在証明だ。私がいるから、この会場は成立している、社会の役に立っていると言うことが報酬だ。人は誰かの役に立っているという存在証明が必要な生き物なのだ。二つ目は自らの成長だ。ボランティアとは自らの訓練の場でもある。引っ込み思案で人とうまくしゃべれなかった人が2週間もするとみるみるうちに変化していくのがわかる。3つ目は自らやりたいと思ったことを自発的にやって、達成感が得られることだ。”(5月7日付け中日新聞)

 EXPOエコマネーセンターのトップ・萩原喜之さんの万博からのレポートである。ボランティアについては、(第275話 自利利他)でも言われていたが、ここでも報酬があると言っている。何を自分の報酬と考えられるかによって、ボランティアができるかできないかに分かれる。この世も人生も、お金がすべてではない。

(第286話) 母の日 2005,5,14
 “今年も母の日が近づいてきました。私には、102歳の主人の母、90歳の実家の母がいます。二人とも「顔を見せてくれるだけでいいよ」と言っていますが、今年は何をプレゼントしようか思案中です。
 主人の母は結婚して35年間、服やぞうり、花などを贈ったり、食事をしたり、喜んでもらっています。今は寝たきりですが、頑張って毎日デイサービスに行きますので、かわいいパジャマがいいかなと思っています。
 実家の母は「あなたは近藤家に嫁いだのだから」と気にするので、ずっと電話で「お母さんありがとう。元気でいてね」と言葉だけのプレゼント。ここ5年ほどは主人が花を贈ってくれています。”(5月3日付け中日新聞)

 愛知県豊田市の主婦・近藤さん(60)の投稿文。素晴らしい家族、でも、高齢者がさらに高齢な母親に対する文なのが、まさに高齢化社会の現代を感じる。今年も多くの家庭で「母の日」のプレゼントがなされたであろう。先日、近所の人と話をしたら「母の日のプレゼントは何がいいですか?孫は無理です」と電話をしてきたので、「孫以外いらない」と言ってやったといっていたのは笑えた。笑っている場合ではないが、ここにもシングル社会の現代があった。「父の日」は記事になるのだろうか。

(第285話) 広くて豊かな日本 2005,5,13
 “日本とはどんな国か、という問いに対して、日本人でそれは「広くて豊かな国」です、と答える人は少ないのではなかろうか。日本人が自分の国に対して描くイメージは、このごろ特に、暗くてマイナスのものが多い。
 ところが最近、「広くて豊かな日本・・・地球を歩きながら考えたい」というテーマで日本中を講演して歩きたい、と企画している人に会った。青少年交友協会理事長の森田勇造さん。
 お話を聞いてみるとなるほどと思う。日本は狭いと言っているが、地球上にはもっと狭い国はたくさんある。それに海に囲まれて「島国」などと言うが、海は世界へとつながってゆく玄関と考えると、実に間口の広い国ではなかろうか。それと、森田さんの言われたことで面白いと思ったのは、日本には多くの高い山と、多くの川があり、これらの凹凸を横に広げて考えると、けっこう広くなる、と言うのである。南北には長いし、多様な植物に恵まれ、水も豊かにあるし、こうして見てゆくと、自分の訪れた国々と比較して、「広くて豊かな」ことを実感する、と言われるのだ。”(5月2日付け中日新聞)

 河合文化庁長官の文である。日本人が物質的に豊かというのはすぐに理解するが、日本国土が広くて豊かという発想はなかなか持てない。広いとは二次元の世界であるが、それを高い山まで入れて三次元の世界を二次元の目で見る発想は面白い。さらに、海岸線の線の長さも財産と考えればますます豊かな日本になる。豊かさは考え方、見方で変わってくるのだ。

(第284話) 吹っ切れる 2005,5,12
 “日本中の期待を背負ってロサンゼルス五輪女子マラソンに出場しました。しかし結果は途中棄権。応援してくれた家族、友人たちに合わせる顔がありません。それから次のマラソンを走るまで4年かかりました。
 25km過ぎ、第3集団を走っていた私に「増田、お前の時代は終わったんや」と沿道から野次が飛びました。その瞬間、足が止まりました。恥ずかしいなんてもんじゃありません。
 惨めさも加わり、その場からすぐ逃げ帰ろうとホテルの方向を探しながらコースを歩いたのです。100mくらい歩いたでしょうか。「本当にビリでもいいや、最後までいこう」と心の中で風船がパンッと割れたみたいに何かが吹っ切れました。
 さて再び走り始めた私は中継車も白バイもいない道をひとりゴールへと向かい、テレビ中継が終わったころにたどり着きました。ゴール手前で長居公園が見えた時から、溢れる涙をおさえることができませんでした。あの時は人からどう見られているかなんて全然気になりませんでした。ただただゴールできた自分に大満足だったのです。”(4月30日付け朝日新聞)

 増田明美さんからのメッセージです。この文から一世を風靡した人が、その終焉を受け入れる姿を見た。なかなかこうはいかないと思う。こうした体験を活かし、今なお別の面で活躍する姿があると思う。高橋尚子さんは今どんな心境だろう。

(第283話) ボケーッと賢く 2005,5,11
 4月30日付け中日新聞の小出編集局長の「編集局デスク」からである。もう何度目の登場であろか。

 “日本語で、頭がいいとか、悪いという表現は、たかだか昭和初期に生まれた言い方らしい。目まぐるしい時代の変化に頭脳回転の「速さ」が要求され、速ければいい、遅ければ悪い、というわけだ(桶谷秀昭・昭和精神史)
 それまでは「賢い」か「愚か」かだった。賢い人は、生命や芸術、宇宙、人生の意味なんてことをあてもなく考え続けていたものだ。あてのない命題だから、速さなんぞまったく関係がない。
 こういう土壌が少しでも残っていれば、JR福知山線の大惨事は様相を変えていたかもしれない。悲惨な事故のさなかに大型連休が始まった。人間にはなぜ休みが必要なのか。これも今年は「賢さ」を回復する時間であるように思われる。
 新緑の山や森を歩き、小川のせせらぎを聞く。どっぷりと温泉につかり、速く、速くの日常をふりかえる。効率の束縛をはなれ、あてもなく人生の価値を考える。
 かつて夏目漱石は「文明開化とはなんぞや」と問われて「人間が怠けることを奨励することだ」と答えている。漱石流に言えば、休みとは労働を怠けることだ。非効率であてのない時間は、昔の賢人のように、深い思考と感性を育む母でもある。私も2、3日は、ボケーッと賢く考えてみるか。”(要約)

 現代社会が「速く、速く」の中で突っ走っていることは、もう何度も触れてきたことである。突っ走って人類の破滅の向かうのか、ボケーッとして競争社会から取り残されるのか・・・・。皆が競争社会から取り残されてもいいと思ったところに、人類が生き延びる可能性が見えてくる。

(第282話) いい人ばかり 2005,5,10
 “「今度引っ越ししたところも、皆さんとても親切で。私の周囲はいい人ばかり・・・」と話している女性がいました。友人が親しくしている人だというので、違和感はあったのですが、黙って聞いておきました。このごろやけにみんな、他人のことを「いい人」だと言います。
 ポジティブ・シンキングとって何事も肯定的に考える習慣を持つと、いろいろなことがうまくいくという話が一時期はやりました。確かに悲観的、否定的にばかり思いめぐらせると、それが良くないことを引っ張ってきてしまう傾向があります。しかし、これが過剰になると、何ごとも言い方次第、心構え一つだと言うことになってしまうのではないでしょうか。でも、実態はそんなことはありません。考え方とは関係なく、不運や災いは存在します。そんな被害は未然に防ぐにこしたことはありません。
 普通に暮らすには、何でもかんでも受け入れてはいけないのです。自身の基準で適切に取捨選択をして、不必要な人の進入は拒否する。こういった自己防衛のための基本姿勢が育てられ、身についていくのが家庭です。”(4月29日付け中日新聞)

 立命館大学・団士郎教授の「家族のこころゼミ」からである。私がよく言い、思うことは人間一面だけではないということである。良(善)い面もあり、悪い面もあるのが人間だ。ところがマスコミを筆頭に、良いとなると徹底的に持ち上げ、悪いとなると徹底的にこき下ろすのが今の日本だ。私はそんな記事をいつも苦々しく読んでいる。

(第281話) 時間という財 2005,5,9
 “お金はちょっぴり、時間はたっぷり、というのが退職後の暮らしであるならば、時間がもたらす贅沢を大いに味わいたい。
 例えば北海道の稚内から鹿児島県の指宿まで、日本列島を歩いて横断した外資系企業の元管理職がいる。3月から5月にかけて、宮崎県から北海道まで「桜前線」を追いかけるようにマイカーで北上した夫婦もいる。さらに秋口からは「紅葉前線」を追って逆に北海道から南下するドライブ旅行もやってのけた。
 60歳前後から中国語に興味を覚え、地域のサークルで学習を始めた元役人は、頻繁に中国を訪れるようになった。70歳を目前にして「通訳」の取得もしている。
 時間という財は、定年退職者のだれにもある。”(4月28日付け毎日新聞)

 ノンフィクション作家・加藤仁氏の「ポスト定年プラン」からである。細切れな時間の使い方もあるが、まとめて使えば結構大きなことができるものである。しかし、こういった時間の使い方を、もっと若いときにしたいものだ。それが経済的に豊かになった日本人の時間の使い方ではなかろうか。そしてそれが豊かな心をはぐくむ。

(第280話) もったいない(U) 2005,5,8
 “最近、「もったいない」が世界語になろうとしているそうで、日本人として喜ばしい。そこで思い出したことがある。80年代だったか、勤めていた会社で物や電力の節約を奨励しているころ、社内で1位になった標語がある。「もうないか ほかに活かすみち 使うみち」というもの。
 この標語は、アフリカのマータイさんが説く消費削減、再使用、資源の再利用を促し、また、捨てるかどうかの判断基準にもなる。「もったいない」を補強する言葉だと思う。そして、別の件で1位になった標語は「改善は あなたの手元 足元に」だった。
 この「改善」を「もったいない」に置き換えれば、環境保全に使って役立つと考える。マータイさんの運動がもっと世界に広がり、資源の分配の不平等が是正されることを願う。”(4月27日付け毎日新聞)

 第231話に書いた続編である。福岡県遠賀町の寺本さん(64)の投稿文である。世界語になろうとしているかどうか知らぬが、もしそうなら発信元の日本人はもっと真剣にならねばならない。そうでなくても浪費している国民だから、地球環境を守るために日本人に課せられた責任は重い。

(第279話) 義経効果 2005,5,7
 クイズです。タッキーこと滝沢秀明、国広富之、志垣太郎、尾上菊之助と言えば?。答えは、歴代NHK大河ドラマの源義経役。いまや義経ブームは「義経効果197億円、日銀下関支店試算」と、『ゆかり』の地が競い合う。
 ブームの先駆けがいる。国土交通省利根川上流河川事務所の佐藤所長だ。かっての任地・東北の北上川では義経伝説を、現在は利根川で埼玉県栗橋市に伝わる義経の側室・静御前伝説を追う。静御前の命日が9月15日だそうで、1947年同日が利根川をはんらんさせたカスリーン台風の来襲日でもあることから、「静御前を想い治水を考える」イベントを立ち上げた。
 先日、平清盛の造営で知られる厳島神社に参詣した。昨年の台風18号で倒壊した国宝・左楽房がいまだ修理中で、折角の源平ブームに乗り遅れた格好だ。”(4月26日付け建設通信新聞)

 こういったことを活用することは悪いこととは言えない。一時的にも、情報の発信、町おこしになる。ただこのために投資して、ブーム後に過大な負担にならねばだが。
 ボクも先日、京都の義経ゆかりの地を訪ねるウォークに参加した(本HPに掲載済み)。また、まだ言うには少し早いが、来年の大河ドラマは、山内一豊を扱った司馬遼太郎の「功名が辻」が原作である。第92話でも書いたことであるが、山内一豊の生誕地はボクの自宅近くの2カ所で争っている。一つは、この4月から一宮市と合併した木曽川町であり、もう一つは、隣町の岩倉市である。両市がこの機会をどう扱うのか、人ごとではいられないところである。

(第278話) 職業の王 2005,5,6
 “医者と学者と易者、「この三者こそ、あらゆる職業の王である」と、井上ひさしさんが随想に書いている。なぜならば、「自分の意見で他人の生き方を変えることができるから」と(中央公論社「聖母の道化師」)
 そのひと言で聞き手の人生観が一変し、生活の姿が改まる。どの職業にも重みと誇りはあるにしても、人生への影響度で計った井上説にうなずく人は多いかもしれない。
 井上さんの言葉を、「自分の行動で他人の生き死にを決することができる」と言い換えてみるならば、さてどうだろう。職業の王は三者に限るまい。”(4月27日付け読売新聞)

 昨日に続いて、JR福知山線の脱線事故に対して書かれたコラムからである。現在の日本社会は、国民挙げて能率、効率を優先にさせる雰囲気になっていると思う。今回の事故をいろいろ読んでいて、安全を言うには言うが、時刻を守ることが第一になる状況を作りだしていた気がする。乗客も遅れるとすぐ苦言を言うのも一因ではなかろうか。
 マイカーの運転も他人の生死を決するに、職業と大差はない。

(第277話) 不幸保存の法則 2005,5,5
 “「安全対策をいくら取っても事故のリスクは変わらない」という奇妙な説がある。カナダの交通心理学者のジェラルド・ワイルドという人が唱えたため、その反対者からは「ワイルドの不幸保存の法則」と呼ばれた。(芳賀繁著「失敗の法則」)
 ワイルドによると「人は安全対策でリスクが減ると、その分だけ行動を危険な方向に変化させるので長期的には安全対策は無効になる」という。体温を一定に保つなどの生体の自動調節機能(ホメオスタシス)にたとえて「リスク・ホメオスタシス説」と言うのだそうだ。さまざまなデータを出しての論争の結果、結論は否定されたそうだが、安全対策が人の行動に影響を与えて対策の効果を弱める可能性は再認識された。”(4月26日付け毎日新聞)

 JR福知山線の脱線事故に対して書かれたコラムからである。私は今後ますます事故は増えるのではないかと懸念している。なぜなら、安全対策が施されたり自動化が進んだ分、時間短縮など仕事に余裕でるのではなく、仕事の密度が濃くなるからである。密度濃くして人間はますます緊張を強いられ、追いつめられるのである。仕事に余裕がなくなったのはすべての分野について言えるのではなかろうか。特に、建設事業について憂えている。

(第276話) 土を知る 2005,5,4
 “法隆寺大工の棟梁だった西岡さんの祖父常吉さんは、「宮大工は土を知らんとあかん」と言って、孫の常一さんを農学校へ進ませた。卒業すると1年間田を耕せと命じる。木の癖をつかむためには土を知らねばならない。大工修業に入る前の下準備だった。
 それが千年を持ちこたえる飛鳥の古代建築の技法を知ることにつながる。法隆寺の柱の太さや寸法はみなバラバラ。ふくらみも一本一本違っていたが、木は山に育っていたときと同じ方位で据えられ、巧みに組み合わされていた。
 西岡さんが復元した古代の工具ヤリガンナで削った木の面は水をはじいたが、電動カンナで削った面は水がしみこんでカビが生えた。古代の知恵が生かされた西岡さんの工法を知るにつけて、「進歩」とは何かという疑問を突きつけられる。”(4月25日付け中日新聞)

 木の性質を知るために土を耕す、普通には、関係ないことと思われることを本気でやらせる識見の素晴らしさ。極限を知り尽くした人の為せる技であろう。何か神の極意の気がする。最後の宮大工と呼ばれた西岡常一さんの『宮大工棟梁・西岡常一「口伝」の重み』と言う本が死後10年を機にこのほど刊行された。

(第275話) 自利利他 2005,5,3
 “ボランティア活動は「かわいそうだから助けなくてはいけない」からやるのではない。対象者にこびたり、大上段に構えることでもない。自己の主張を避け、他者だけの救いを目的とする「滅私奉公型のボランティア」は長続きしないし、それはどこかに偽善的なにおいが漂う。継続してやりながらも、気楽に展開できる方がずっと活動しやすいのだ。
 ボランティアは仏教の教えでは「四摂事」という四つの実践法、布施・愛語・利行・同事で解釈することができる。
 ボランティアの根本精神は「自利利他」(維摩経)である。自らを生かし、他者を生かすと言うこと。自分のことはさておき、人のために何かしなさい、ではなく、自分を生かすボランティアをやっている人は他者も生かすことができる。本当の自利の精神があって他利の心が機能するのだ。人は自分がおぼれながら、おぼれた人を助けることはできない。ゆったりした中道の心で自分を活かし、相手を生かす。これがボランティア活動にとって大切な生き方なのである。”(4月24日付け中日新聞)

 飛騨高山の千光寺住職で、「ひだ医療福祉ボランティアの会」を結成している大下大圓さんの文である。これからの日本社会はボランティア活動を大きく必要とするだろう。これはそのために必要な精神の一つのあり方である。ボクには大いに納得できる姿勢である。

(第274話) 母の涙 2005,5,2
 “6歳の秋だった。私は公園の滑り台で両足に怠さを感じて家に帰った。翌日、病院に行くと、股関節炎と診断された。しかも、結核性が疑われ、安静が必要とのことだった。帰宅すると母は大きなため息をついた。
 入学式が翌月に迫ったころ、母は思い詰めた表情で、「先生のお話ではね、今無理をすると足が不自由になるかもしれないって・・・・。もう少し我慢して。来年は学校に行けるからね」と言った。私は泣きじゃくり、「絶対に行く」と毎日のように叫んでいた。
 ある夜、トイレに行くと、ガラス越しに茶の間にいる母が見えた。見ると、ランドセルをさすって涙を流していた。子供心に母の気持ちがわかった気がして、声をかけず、そっと離れた。このことがあってから、私は叫ぶことをやめた。”(4月25日付け朝日新聞)

 千葉県我孫子市、無職・羽賀壽子さん(73)の投稿文である。そんなに珍しい話しではないかもしれない。しかし、私には73歳のご婦人が6歳の時の母の姿に感涙している姿が、何とも尊く感じられた。ボクは子どもにどんな思い出を与えたろうか、聞くのは怖い。

(第273話) 仕事志向 2005,5,1
 “フランスのある生命保険会社が、欧米やアジアの15カ国で退職後の生活に関する意識調査をしたところ、欧米では早く退職して趣味やボランティア活動をして有意義に過ごしたい、と言う回答が大多数を占めたのに対し、日本だけが60歳を過ぎても働きたい、と仕事志向が強く、しかもリタイア後の具体的な計画を持っていない人が目立ったという。
 ボードレール(フランス19世紀の詩人)は、「遊ぶことは働くことよりはるかに難しい。だから人は退屈しないために絶えず働いていなければならぬ」と言っている。まるで、定年後も働きたいと考えている仕事一筋で遊び下手な日本人のことを言ってようである。”(4月25日付け読売新聞)

 この日本人を是とするか、非とするか・・・。少子高齢化社会に向かう日本にとって、これは望ましい姿ではないか・・・・イヤ、仕事に逃げているだけで、人間としてそれで終わっては味気ないではないか・・・。時あたかもゴールデンウィークの最中である、大いに議論したいところである。
 「定年前後」という欄にコラムニスト・北連一が書いている文の一部。


ともちん > あと3年、あと5年‥私が入社したての時、先輩が「3日、3週間、3ヶ月、3年と3が付く時に辞めたくなるもの」とお話されていたのを思い出します。確かに入って一年目は毎日辞めたいと思っていましたが(苦笑)、その後仕事も人間関係も楽しくなってきました。辞めることは簡単なので、しばらく頑張ってみることが大切ですね。 (2005/5/31/23:32:19)
ともちん > お金の生かし方‥お金は天下のまわりものです。ケチケチしていると自分にも巡ってきません。自分の為、家族の為、有意義に使いたいものです。 (2005/5/31/23:26:46)
悠澪 > あと3年、できれば5年:若い人には今しか見えなくて、先のことなど現実として捉えることができずにもっと良いものを求めて行動に移すのでしょうが、どこに行っても不満の対象はありますし本当に好きな仕事に就ける人はごくわずかです。希望を持って入社しても「こんなはずじゃない」と思うことも多々あるでしょうが辛抱したほうがいいと思います。いつまでも新入社員のままということはなく、仕事を任されるようになったり上司に認められるようになるとやる気も出てきますし、仕事に愛着も出てくるのではないでしょうか。 (2005/5/31/21:51:15)
悠澪 > お金の生かし方:人それぞれに考え方や価値観が違うのですから自分にとって最高に満足できることに使えば、そのお金は倍にも3倍にも生きてくると思います。 (2005/5/31/21:49:21)
ともちん > 推理小説の受難‥確かに携帯や監視カメラで推理小説で重要なアリバイトリックはすぐ解けるような気がします。しかし読者はそのような事を気にしていないのではないでしょうか?監視カメラも時と場合にはあったほうが良い事もあります。もちろん個人のプライバシーの侵害にならないことが原則です。 (2005/5/30/20:36:16)
ハイブリッジ > 推理小説の受難 : 推理小説の世界へ影響しているとは知らなかったが、監視社会に誰がした?小説が書けない程度なら大したことは無いが、為政者が利用するとなると問題だ。まあ個人保護法などで、そのような事態になるとは考えられないが・・・。変化が起きるとその反動が良し悪しで現れる。監視社会も過渡期、プロの小説家ならこれを逆手にとって書けないものか、書ければ究極の推理となりそれなりのヒットを生むと考える。失われるものを追求するのではなく、得るものも想像して欲しいものだ。 (2005/5/30/9:19:23)
悠澪 > 推理小説の受難:どこかの監視カメラに知らないうちに自分が写されて保管されてるかもしれないなんてぞっとします。 (2005/5/29/21:33:36)
悠澪 > 5月病対策:早朝の空気はすがすがしくて朝日の光も心地よいですよね。早起きして歩けば5月病対策やうつ病予防になるのなら、まさに早起きは3文の得ですね。チョコレートも気が沈むようなときに試してみようと思います。 (2005/5/29/21:18:13)
ハイブリッジ > 少年老い易く・・・:ほとんどの方が「もっと・・・」と反省の弁を述べられる。もちろんその内容には雲泥の差があり、ばらつきも多い。おかれた立場立場で如何に集中して勉強(学習)するか、歳を経て後悔するのは簡単だが、その場では判らず、つい自分の好きな方・楽しい方へ走るものだ。ただ講義の邪魔になるような言動は、謹んむよう指導することは必要だと考えるが・・・。 (2005/5/29/13:47:56)
悠澪 > 少年老い易く…:私も“もっと勉強をしとけばよかった”と後悔している一人ですが、「少年老い易く」は過去のことではないでしょうか。現代は生涯学習の時代です。40代・50代で大学や大学院へ入学した人の話を時々聞きます。先日ラジオで、70代の女性のリスナーの話で“小学校しか出ていないので夜間中学校へ行き、この春卒業したので夜間高校へ行くつもり”というのがありました。要はやる気と行動力ですね。私には行動力がないようです。 (2005/5/28/23:18:51)
ともちん > 少年老い易く‥今から勉強しても遅くないかしら?色々な分野の本を読んで豊富な知識を身に付けたいです。 (2005/5/28/8:6:29)
悠澪 > 成果主義賃金(2):「起きて半畳、寝て1畳、天下取っても2合半」これで十分です、生きていくのにそれ以上は必要ないのですから。お金は人を変えます。妬み・好奇心・欲(財産相続縁者の)に囲まれて人間不信・孤独に陥るだけです。ま、百億はもとより一億円にだって縁がないから言えるのでしょうが。 (2005/5/27/7:50:55)
ハイブリッジ > 成果主義賃金(2): 100億円と2合半、両極端の成果報酬。それだけ時代錯誤があるのか、貨幣価値が無くなったのか、平均的なサラリーマンの報酬を野次っているのか? ピン側に属する成果報酬に「特許」がある。企業の成果なのか個人の成果なのか、もめた例を多々見かける。ドライに主張して莫大な報酬を得た例もあるが、要は成果基準の設定である。現在でも個人に対しては「2号半」的な報酬が基準になっている企業が多いと推察する。成果の物差しと報酬の基準は企業によって異なるだろうが、それぞれで明確な基準を持っていれば100億円は問題なし。「2号半」では取組む姿勢が異なるのでは? (2005/5/27/7:49:3)
ともちん > 成果主義賃金‥寺さんのお話のようにこのサラリーマンが顧客の資金を6分の1にしてしまったらどうなったことでしょう。このサラリーマンの方も来年はどうなるかわかりません。究極の成果主義ですね。 (2005/5/26/21:5:12)
ハイブリッジ > 「めぐる」時間 : 「タイムイズマネー」の現役時代から、「お金は少し時間はたっぷり」の現在の生活、「めぐる」時間の観念へ戻っている小生である。車の運転も然り、安全運転への配慮が強くなったことも有るが、スピードを押さえることと信号手前でのストップのタイミングもワンテンポゆっくりしている。それだけ時間に余裕があるのだ。大事故から学ぶ、再発防止は勿論、ゆきすぎた状況を見直す良い機会として捉えたい。現役世代がこれをどれだけ理解するかが課題であり、評論家やリタイア組みとは異なる立場にいることだ・・・。 (2005/5/26/7:35:36)
ともちん > 「めぐる時間」‥人はいつでも時間に追われ続けているような気がします。それがあせりや心の余裕の無さに繋がるのかも知れません。もっと時間にゆとりのある生活をすれば、心もゆとりを持てるようになり、他人にも優しく出来ると思います。 (2005/5/26/2:36:46)
悠澪 > 「めぐる」時間:JRでは事故の後もオーバーランが続発しているようですが、人間はすぐには変われませんから、“遅れてはいけない”という運転手としての習慣がそうさせるのでしょう。そして、ほとぼりがさめれば乗客も遅れに再び苦情を言うようになる。人間の心理もめぐって(繰り返されて)いるような気がします。 (2005/5/25/22:28:54)
ハイブリッジ > 共生と寄生 :愛・地球博の地球市民村交流ホールで「地球交響曲 第4番」ガイアシフォニーの上映と龍村仁監督のトークショーを観たり聞いたりした。ガイア理論で有名な生物物理学者ジェームズ・ラヴロック博士の地球を守るためのグローバルな見解を中心とした展開から、自身で広大な土地を手に入れて自然との共生を実証している。やや哲学めいた理論の展開があり理解しにくい点も多々有った。要は、地球・火星・金星は宇宙で見ると同属の星、その中で地球は酸素を21%保持し、火星・金星は0.0・・%しかない。然るに地球には生物が生存し、火星・金星には生物がいない。しかも、現在の地球は21%の酸素を保ち続けている、人間がこれだけ自然を壊しても・・・。・・・以下長くなるのでカット。 (2005/5/25/8:18:32)
ハイブリッジ > 焼き餅 : 「亭主元気で留守がいい」「定年後はある程度距離を置いた方が良い」などの意見を良く聞き、そのような関係が平和であると認識していた。焼き餅症の方は、仮に一日中夫が家にいたらどのように感じるのか、良い関係が保たれるのでしょうか? もし「ダンス以外なら外出はOK」とすれば偏見だし、見えない分かえって危ない・・・。的が外れたかも知れないが、小生の見解は、スポーツや趣味はそれぞれの興味に応じて行えば良し、主旨が一致すれば同伴すれば良しとフランクに考えている。残念ながら社交ダンスは出来ないし、興味も無いが、考え方は同様である。 (2005/5/25/8:18:9)
悠澪 > 共生と寄生:“寄生する相手が死ぬ時に自分も死ぬ”まさに地球と人間の関係ですね。人間はお金儲けのために森林を伐採し、海を埋め立て、動物を殺す。生きるために必要な分だけなら地球も許してくれるでしょうが、必要以上にやりすぎだと思います。人間は地球(自然)に感謝しもっと大切にしなければ自滅の道をたどると、いえ、すでにたどってると思います。 (2005/5/24/21:35:52)
ともちん > 共生と寄生‥上原さんの「寄生は寄生する相手が死んだら死ぬ」という言葉に怖さを感じます。人はそれでも自然と共生できないのでしょうか?真剣に考えるべきだと思います。 (2005/5/24/21:27:24)
ともちん > 焼き餅‥定年後の主人がダンスを始めたいと言ったら、その時の私は焼き餅を焼くのでしょうか?ちょっと想像ができません(笑)社交ダンス楽しそうですね。 (2005/5/24/2:14:3)
悠澪 > 焼き餅:幾つになっても焼いたり焼かれたり、麗しいお話だと思います。私は、正式な社交ダンスはスポーツだと思っているので焼いたりはしませんが、私も同じダンスクラブに入会します。見張るためではなく、自分が楽しむために。 (2005/5/23/23:0:32)
悠澪 > 働く人の犠牲:早く・美しく・完璧にと要求するばかりで、働く人が無理をしているだろうことを見て見ぬふりして、事が起きれば責任追及をする。危険を訴えても、時間がない・予算がないと取り合ってくれず、問題が起きてから騒ぎ出す。 上も下もなく、すべての人がもっと聞く耳と思いやりとゆとりを持たなければと思います。 (2005/5/23/22:44:31)
ハイブリッジ > 働く人の犠牲 : お客さんの立場に立って、顧客第一主義などユーザーを意識した企業のサービス向上策はあちこちで見られる。これにより公共交通機関は時刻を守ること1分でも早く運行することなど、愛・地球博では笑顔でのおもてなし。それぞれの立場や場所やサービス内容などで働く人へ多大なプレッシャを掛けている。それを利用者側や参加者側は、あたり前と思っている。伊藤さんはこれを冷静に判断されて、相手の立場を理解されようとしている。 (2005/5/23/19:9:7)
ともちん > 兼六園の八重桜‥旅行は時間に制限があり、観光名所をできるだけ沢山回りたいという気持ちからゆっくりと景色を楽しめず「とりあえず写真!」と言う事になることが多いです。絵、文章として想い出に残せるような旅がしたいです。 (2005/5/22/22:41:47)
悠澪 > 兼六園の八重桜:文章によるスケッチなんてすてきですね。「見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。」金子みすゞのように見えないものを感じ取ることができて、加賀乙彦のように言葉での表現力があれば私も… 永遠に無理ですね。 (2005/5/22/22:18:54)
ハイブリッジ > 兼六園の八重桜 : 自然との付き合い、感触を味わいスケッチブックに収める。中々出来ないことだ。万博会場を見学して感じることだが、人気のあるパビリオンの前は人だかりである。せっかくの万博だから、世界各国のパビリオンをゆっくりと見学してその国なりを知る機会でも有るのに・・・。もうひとつ、テーマは「自然の叡智」であるが、意識して見学されている方がどのくらいいるだろう。先日、長久手会場の「森の自然学校」へ足を運んだ。のんびりと自然と共生するためのヒントを体感する森林ゾーンである。ゆっくりとした時間が流れており、一時の清涼感を味わった。インタープリターと歩けば更に自然を満喫すると思うが、このゾーンへ足を運ぶ人は少ない。同じような現象が「地球市民村」や「瀬戸会場」でも起きている。スケッチブック派が少数であることを示しており、「自然の叡智」をどうやって前面に出すかが課題であると思う。 (2005/5/22/16:5:35)
ハイブリッジ > パーソナル・スペース : 理解はするが田舎に住んでいるとあまり気にしないことだ。トイレの件、ウオーキングでは意識したことがない。隣を気にするよりこの先のトイレの場所を気にしていて、チャンスを有効に活かすことしか考えていない。このような場所で実験すると別の結果が出たかもしれない。電車のラッシュ経験は、東京で単身赴任をした時の通勤時と名古屋勤務の帰宅時の地下鉄ぐらいである。その際、他人の顔が目の前にあるのは避けている。意識はしていなかったがパーソナル・スペースなるものを確保していたとは!今後このような場面に遭遇したら意識して自分を観察してみよう。 (2005/5/21/6:50:53)
悠澪 > パーソナル・スペース:人の心理的、無意識の行動を観察してみるのも面白いかもしれません、そして、自分の行動を振り返ってみたいような気がします。女性専用車両は、女性は安心して乗れるし、男性のほうもいたづらに疑われることがなくていいと思います。 (2005/5/20/23:3:53)
悠澪 > 今時の若者:「今時の若者は」と、一まとめにして考えたくないです。夢に向かって努力している若者も多くいます。問題行動を起こす若者にしても他人にはわからない事情があると思いますし、きっかけさえあれば更正できると信じたいです。 (2005/5/20/22:51:2)
ともちん > パーソナルスペース‥満員電車は周りが他人だから耐えられると思う。これが自分の会社の人だったらと思うと絶対に耐えられそうもありません(笑)自分の縄張りを無意識に作り出しているとは驚きです。でも確かに至近距離で他の人と話す時には圧迫感を感じる事もありますね。 (2005/5/20/21:11:52)
ハイブリッジ > 今時の若者 : 十把一絡げとして「今時の若者」と取上げることに偏見がある。その若者を育てたジェネレーションの方が、他人事のように表現するのもおかしい。街で目に付く若者に??が多いのは事実であり、前面に出ている。しかし、それが全てかと言うとそうではない、素晴らしい若者も大勢いる。例えば成人式で暴れまわる若者もその一部で、大多数の若者は被害を被っていると思う。一部の分子をどう導くかが課題であり、これは根が深い。 ロータリークラブの活動はその人となりを見直させる絶好の機会で、全国に数多く展開することを望む。 (2005/5/20/7:56:54)
ハイブリッジ > 成果主義賃金 : 一時、上司から部下を評価するだけでなく、部下が上司を評価する制度を取り入れた会社があった。その後本制度が継続しているかどうかは分からない。従前の賃金は終身雇用を重視する観点から、年功序列制と上司の主観的な評価で行われていた。これが賃金を正当に支払っている制度であるかと言うとはなはだ疑問である。学閥や派閥あるいは人脈に左右されやすく、成果とかけ離れたところで評価される傾向にある。成果主義も一つの評価策、試行錯誤しながら評価ツールとして育成することが必要と考える。 (2005/5/19/8:10:5)
ともちん > 成果主義賃金‥サラリーマン川柳で「成果主義 最終評価は 好き嫌い」というのがありました。本人の能力が優れていても、上司との折り合いが悪いとこの川柳のようになりかねません。人が人を評価するのは非常に難しい事だと思います。 (2005/5/19/5:25:50)
悠澪 > 成果主義賃金:上司は従業員の働き振りを一日中見ていることはできませんし、従業員の中には陰ひなたのない人もいれば要領のいい人もいます。正しく評価することは難しいと思います。成果主義賃金は生産量や売り上げなどの数字に執着してしまい、多ければいいということになりかねません。短時間で大量生産すれば欠陥製品も出るでしょうし、ただ売りさえすればいいというのでは消費者とのトラブルが起こりかねません。会社も利益を上げなければ成り立たないので仕方ないのかもしれませんが、私は賛成できません。 (2005/5/18/23:57:34)
ハイブリッジ > ご無沙汰。 シドニーオペラハウス : オーストラリアを観光旅行した時オペラハウスを観た。対岸の公園から、湾を一周する観光船から、最後に建物の近くから、劇場内へはイベントがある日以外は入場禁止とのことで、残念ながら中には入っていない。外観からのイメージと館内の構造を結び付けようとしたのだがダメであった。写真等で見る以上に、湾とオペラハウスや周辺がマッチしていた景観を思い出している。 芸術性のあるもの(絵画、音楽、建築物など)は作成された時に価値が認められず、後世になって認識されるケースが多い。芸術の一部には、作者の感性が先行し過ぎて同年代の一般人が受け入れがたいものがある。小生などその際たるもの。一例、万博の「夢見る山」のテーマシアター「めざめの方舟」押井守監督の映像は理解できなかった一つ。 (2005/5/18/8:46:52)
ともちん > クオレ‥自分が原点に戻れる本があるなんて素敵なことですね。児童文学や絵本は読み終えた後、なぜかジーンとしたり、心が温まります。 (2005/5/18/8:19:44)
悠澪 > クオレ:懐かしいタイトルですね。子供ができたときに読ませたいと思ったことを思い出しました。誰が言ったのかは忘れましたが、外国の人だったと思います、“ただ子供の本だけを読もう”という言葉を何かの本で読んだことがありますが、まだ学生だった私には意味が理解できませんでした。今ならわかるような気がします。児童文学や絵本は素朴で、やさしさやぬくもりがあり、それでいて社会の厳しさやきまりを教えているからだと思います。 (2005/5/17/23:53:34)
悠澪 > シドニーオペラハウス:大型の公共構造物の構築に携わった人々が遠い将来のことを考えていたかどうかはわかりませんが、少なくとも構築中は命がけと言ってもおかしくないほど真剣だったのではないかと思います。幸い構築された後で無駄な物だと言われても構築に掛かった莫大な費用は戻ってこないのですから、必要な物になるような工夫・努力をするしかないと思います。幸いシドニーオペラハウスはシンボルになってよかったのですが、 (2005/5/16/22:44:35)
ともちん > シドニーオペラハウス‥オーストラリアの写真で必ず使われる美しい建物ですね。建設の際にそんな裏話があったなんて知りませんでした。長い年月を経て評価されるものも数多くあるので、目先の利益よりも、未来を見据える気持ちが大切だと思います。 (2005/5/16/21:59:42)
悠澪 > ボランティアの報酬:多くの人に関わることでいろいろな性格や考え方を、つまり人間というものを知ることができると思いますし、いろいろな事に携わることは社会勉強になるのではないでしょうか。 (2005/5/16/21:38:37)
ともちん > ボランティアの報酬‥自分にメリットがあるからこそ、ボランティアは続けられると思います。そのメリットは人によって違うとは思いますが、確実にその人自身を成長させると思います。 (2005/5/15/22:40:46)
悠澪 > 母の日:夫の母は90歳です。白内障の目薬以外、薬は使用していません。血圧も正常だそうです。杖なしでどこまででも歩きます。好奇心も衰えていません。私が自慢に思うのは、この歳で薬をひとつも服用していないということです。すごいでしょ。あるがままを受け入れて、不平不満を言わず、無理はせず自分にできることをして、老人会の集まりには出席する。これが元気で長生きの秘訣かもしれません。 (2005/5/15/0:4:30)
悠澪 > 広くて豊かな日本:豪雪地帯から雪の降らない地域まであり、動植物や食物も、言葉や生活様式も多種多彩。風光明媚なところも多いし、日本はほんとに広くて豊かな国ですね。こんな素敵な国に暮らしていて、どうして心病む人が増えているのか、毎日耳をふさぎたくなるような事件ばかりで悲しいです。 (2005/5/14/23:27:49)
悠澪 > 吹っ切れる:恥ずかしさと逃げ出したい思いを吹っ切ることができるまでには測り知れない心の葛藤があったことでしょう。ゴールまで走ることができて本当に良かったと思います。現在はスポーツ関連のレポーターやマラソンの解説者として御活躍のようですが、この時逃げ出していたら死ぬまで悔いが残り、二度と自信を取り戻せなかったのじゃないかと思います。 (2005/5/13/23:45:17)
悠澪 > ボケーッと賢く:子供の頃は時間がゆったりと流れていたように思いますが、そのころに比べて休みがかなり増えた現在、もっと時間にゆとりがあってもいいはずなのに、逆に時間に追われているのは私が歳を取ったせいでしょうか、周りに流されて無意味に急かされているのでしょうか。どちらにしても、もう少しのんびりと生きて行きたいものです。 (2005/5/13/0:2:47)
修行ランナー > 時間という財:定年を過ぎて5年になる。確かに自分の自由になる時間は多くなった。定年を過ぎてからいろいろ始めようと考えている人は多い。しかしながら、その頃には気力が衰えており、挫折する事になる。何はともあれ、現役のうちから大いに気力を高め、充電しておきたいものだ。 (2005/5/12/18:7:40)
悠澪 > いい人ばかり:誰にも二面性はあると思いますが、最近は良心が悪い心に負けてしまう人が多すぎますよね。お金のために弱者をだましたり、殺傷したり。うかつに人を信じてはいけないなんて悲しいです。 (2005/5/11/23:43:49)
ハイブリッジ > いい人ばかり : ポジティブ・シンキングはネガティブ・シンキングに勝る、小生も同感だ。この卑近な例が、今回のJR西日本の事故でのマスコミの取上げ方である。ネガティブ・シンキングというよりも本質を見失う記事が多い。ゴルフだの宴会だの旅行だのと、一社員として不謹慎な行動であることは確かであるがそれが前面に出て、事故の原因究明とか今後の対策とかの本質から離れている。視聴者への情報サービスはこれで良いのか?マスコミ関係者にも「いい人ばかり」で記事を構成することを望む。 (2005/5/11/8:16:43)
ハイブリッジ > 時間という財 : “お金はちょっぴり、時間はたっぷり”表現が良い。小生は「時間は有るが、金が無い」と言いながら細切れな行動していた。表現を比較してみると前者は何となくゆったりとしていて纏まった贅沢感がある。それに比べ後者は細切れでせせこましい。それもそうだ、オールジャパンウオーキングカップで全国を飛び回るのに、費用効率の良いルートを選択して参加している段階だから。これを達成したらシリーズ編へ面舵を向け、ロングランの時間を上手に使いたいものだ。 (2005/5/11/8:15:39)
悠澪 > 時間という財:思春期に徒歩か自転車で日本一周、せめて九州一周でもできれば、人間形成にとても役立つでしょうね。しかし、最近の子供たちは塾や習い事が多くてそんな時間ないんですよね。やはり、時間は定年退職後でないと持てないのかもしれません。 (2005/5/10/23:57:42)
ハイブリッジ > もったいない(U) : 目線を変えて見る。小生の母が無くなって7回忌が過ぎたので時効にして、「もったいない」と何でも溜め置く習性があった。亡くなった時にそれらを整理するのが大変で、他への転用が利かない物が大半であった。食の「もったいない」はさることながら、衣・住の「もったいない」は溜め置くことではなく「ほかに活かす 使う」が大前提であり、溜めおく前に転用することが重要だと思う。 (2005/5/9/8:0:43)
ハイブリッジ > 自利利他 : 5月に入り早1週間が過ぎた。ご無沙汰していたら月が替わっており失礼しました。仏教からきているきているこの言葉、普段余り見たことが無く使わないが、精神は良く解かる。小生が携っているボランティアも基本的にはこの精神に基づいている。一時的ではダメ(災害復旧支援は除く)で自分を活かしながら継続できることを念頭に置いている。 (2005/5/9/8:0:24)
悠澪 > もったいないU:節約もあまり気負うとストレスになり持続しないと思うので、ひとりひとりが無理なくできることからはじめて、徐々に節約を広げていけばいいと思います。大切なことは、「私ひとりが節約しったて…」とか「これくらい節約してもしなくても…」なんてことは考えずに、“塵も積もれば…”を念頭に置いて、節約を心がけることだと思います。 (2005/5/8/23:59:0)
悠澪 > 義経効果:山内一豊の生誕地は(どちらの町にしても)愛知でしたか。今年は愛知の年と思っていましたが、来年も愛知の年になりそうですね。 (2005/5/8/23:4:38)
悠澪 > 職業の王:人の生死には職業に関係なくあらゆる人がかかわりうると思います。たとえば、マンション住まいで火事を出せば自分の意志に関係なく惨事を招くでしょう。他人(ひと)が起こした事件・事故は注意のしようもありませんし、自分は絶対に事件・事故を起こさないとは言い切れません。いつ・どこで・だれが、大惨事を招くかわからないということを全員が常に意識して、注意して生きていかなければと思いました。  (2005/5/8/23:0:27)
ともちん > 職業の王‥仕事でなくても他人の生死に関わる事もあります。「生」に関わるのなら良いですが、自分の不注意、認識の甘さはもとより、そんなつもりはなくても他人に「死」をもたらす事が日常でも起こりえる事を深く認識しなくてはなりません。自分の行動に責任をもてるように日々心掛けなくてはいけないと思います。 (2005/5/6/21:35:5)
ともちん > 不幸保存の法則‥なぜ人間はもっと人間が安心して暮らせるようにする事が出来ないのでしょうか。全て自分のことに置き換えて物事を考えるべきだと思います。 (2005/5/6/9:54:33)
悠澪 > 不幸保存の法則:「人は安全対策でリスクが減るとその分だけ行動を危険な方向に変化させる」分かるような気がします。安全対策が行き届くと、安心して注意散漫になり事故につながる可能性が高くなる、もしくは、安全なことが物足りなくてスリルを求めて危険なことに挑戦する、それにしても、いたましい事故が多すぎて厭になりますね。 (2005/5/5/23:45:55)
悠澪 > 土を知る:木は生き物ですから癖があるかもしれませんが、土をたがやして木の癖がつかめるとは。法隆寺の柱(木)が山に育っていたときと同じ方位ですえられ、巧みに組み合わされているなんて、いったい何人の人がそう思って見てきたでしょう。神秘的なお話ですね。 (2005/5/5/23:17:42)
ともちん > 自利利他‥この発想で無いとボランティアは続かないし、取組めないと思います。自分にやりがいがあるボランティアを探すには、色々経験しなくてはいけませんね。 (2005/5/4/21:17:29)
悠澪 > 自利利他:ボランティアのあり方について深く考えたことはありませんが、私が“点字を習って点字翻訳したい”と思ったのは、体力がなく外出もできない私にできることはこれくらいしかなく、自分も本が読めて目の不自由な人も本が読めて、一石二鳥だと考えたからです。この発想でよかったのですね。 (2005/5/3/23:38:23)
ともちん > 仕事志向‥日本では人生の大半を仕事に費やしてしまう人が多いと思います。有休も消化できずに無くなり、有休を全て消化する人は周りからは良く思われない事も多いです。お休みをきちんと取り、その休みにやりたい事に色々チャレンジすれば、老後の生きがいも見つかりやすいと思います。 (2005/5/3/2:54:35)
悠澪 > 母の涙:うらやましいお話です。私の母はヒステリックな人で、朝から晩までガミガミ言っていましたから、私は幼い頃からいつもびくびくして母の顔色ばかり窺っていました。母に甘えた記憶もありませんし、自分の心をさらけ出したこともありません。母は今年80歳になりました。ずいぶん穏やかになりましたが、いまだに会話のない母子で、寂しく哀しいです。 (2005/5/3/0:4:13)
悠澪 > 仕事志向:私は経済的に許されるなら、今すぐにでも仕事を止めて趣味やボランティアに生きたいです。点字を習って点字翻訳をして、本の好きな目の不自由な人にたくさんの本を読んでもらいたいです。人生50といわれていた時代は、趣味や遊びなどを考えるゆとりもなく、子育ての最中に死を迎えることが多くその名残が、日本人には先天的に備わっているのではないでしょうか。それに、少子高齢化が進めば年金の受給は少なくなりよほどの蓄えがなければ、早く仕事を退いて趣味に生きたいなんて悠長なことは言ってられません。悲しいですね。 (2005/5/2/0:10:46)
悠澪 > 師勝歴史民俗資料館:昨夜は仕事で遅くなったので、今夜読みなおそうと思っていたのですが… 幼稚園に上がる前だったと思いますが、家の近くに駄菓子屋さんがあって、赤・青・黄色・緑・白・桃色…、きれいな色でかわいい形の、金平糖やビーンズなどを量り売りしていたように思います。あのころはお菓子にも夢があって、のどかで良かったですよね。資料館覘いてみたいです。 (2005/5/2/0:8:25)
ともちん > 師勝歴史民俗資料館‥田舎のおばあちゃんを思い出せる資料館は、ほのぼのとしていいですね。ラムネやみかん水が懐かしいです。 (2005/5/1/10:22:42)

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