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第12号  2005年4月

(第272話) 師勝歴史民俗資料館 2005,4,30
 愛知万博の「サツキとメイの家」が大変な人気のようである。その人気に私もまだ入館していないが、いろいろ推し量るところ、「師勝歴史民俗資料館」と同じようなものではないかと思っている。その資料館が4月22日付け毎日新聞に紹介されていた。

 “目の前には、さびたトタン壁の自転車屋。終戦後の国産大型アメリカンバイク「陸王号」が店の前に鎮座し、店内には自転車用の革サドルや部品がぎっしり。赤い丸ポストと木の電柱を通り過ぎると、同様の駄菓子屋が軒を連ねる。見覚えのあるサイダーのビンに「これ、おいしかったよな」とニヤリとさせられる。
 これらは、ほんの入り口に過ぎない。少し進むと70年に開催された大阪万博の思い出の品々を集めた特別企画展「キオクの中の万博と遊ぶ」(5月29日まで)のコーナーが始まる。愛・地球博(愛知万博)の開催に合わせ、当時の万博記念グッズ、アルバム、8ミリ映像など庶民の目線から日本人の生活の変化を検証する企画だ。
 夫婦で訪れた愛知県西春町の優さん(27)と妻園江さん(25)。園江さんが「おばあちゃんの家にきたみたいで懐かしい」と話す一方、優さんは「今でも記念品がこんなにたくさん残されていて、万博への思い入れを感じます」と感心していた。
 資料館は迷路のように入り組み、ほかにも白黒テレビや冷蔵庫、炊飯器などの電化製品をはじめ日用品やおもちゃなど昭和30年代に身近にあった品々計約15000点が収蔵されている。”

 昨年1月に私も訪ねている。このHPのhttp://terasan.web.infoseek.co.jp/wah054.htmで、「昭和日常博物館」として紹介していますので、ぜひご覧ください。 

(第271話) ちまき 2005,4,29
 “らせん状に巻かれたイグサのひもをほどき、ササの葉を1枚ずつ開いていく。現れたのは、円すい形のとろりとした「羊羹ちまき」。あっさりした甘味が心地よい。
 茅(ちがや)の葉で巻いたことが、ちまきの語源と言われる。端午の節句に食べるのは、紀元前300年頃の中国の詩人、屈原の死を悼んだ人々が、命日の5月5日、米を草に包み水に投じた故事にちなむ。
 各地に伝わるちまきはさまざま。円すい形のほか両端を結んだ団子形、平べったい三角形などがあり、葉はショウブやマコモ、アシ・・・。中身は米の粉、もち米、くず粉などを蒸したり煮たり。食べて無病息災を祈るという願いは共通する。われわれに元気をくれる食べ物というわけだ。
 料理ジャーナリストの萬眞智子さんは、「ちまきの伝統が現在に残るのは、自然への尊敬の念や、家族の健康を祈る気持ちと結びついているためでしょう」と話す。
 形の美しさ、葉の殺菌作用など、先人たちの知恵が詰まった食べ物。この大型連休、互いの健康を祈りながら、味わってみてはどうだろう。”(4月21日付け読売新聞)

 ちまきに屈原か・・・・、伝統的な食べ物にはやはりいろいろな謂われがあるものである。こんなことも知りながら食べればまた楽しいものである。さきほど打ち合わせの帰り、明日孫と一緒に食べるために買ってきた。私が孫にものを買うのは珍しいことであるが、これもこのような文に出合ったおかげである。

(第270話) アセビ 2005,4,28
 “釣鐘型の小さな花が鈴なりに垂れ下がっている。今にも音が聞こえそうなので試しに揺すってみたが、もちろん音はしない。それでも、音がしたらどんなに楽しいだろうと、ちょっと残念な気がした。
 アセビは本州から四国、九州の平地から山地に自生するポピュラーな花だ。ツツジの仲間で色は白とピンク。アセビを漢字で書くと「馬酔木」となる。
 万葉集でアセビを詠んだ短歌を調べると10首もあった。一つ紹介しよう。
    我が背子に我が恋ふらくは山奥の馬酔木の花の今盛りなり
 意味は、あなたのことをひそかに思っている私の心は、奥山に咲く馬酔木の花のように今真っ盛りなのです、となる。作者は恋する相手にこの歌で愛を告白したと思われる。
 恋は成就したかどうか。それはわからないが、四季折々の花にたとえて自分の思いを短歌で吐露する感性は現代人にはまずない。科学文明を享受してきた私たちだが、果たして先人と比べて進化したと言えるのだろうか。”(4月25日付け中日新聞)

 映像作家・岩木呂卓巳さんが「フォト歳時記」という欄に、綺麗な写真とともにもう長いことこんな文を書かれている。歳時記を読みながら季節の移り変わりを感じるのもまた楽しいものである。馬酔木は、今月の「川柳連れ連れ草」のタイトルである。回を重ねるにつれて今月は何にしようかと、最近は探すのに少し苦労するようになってきたが、この苦労もまた楽しからずやである。

(第269話) 素直に「ありがとう」 2005,4,27
 “ある町の集まりに出かけたとき、親切にお世話してくださった3人の中年女性の方たちとの会話から、私は一つの発見をした。
   「スカーフ、お似合いよ」 「いえいえ」
   「よく通る声ね」 「いえいえ」
   「字がお上手ね」 「いえいえ」
 どんなことをほめても、たちまち「いえいえ」と返ってくる。反射的といっていいほどだった。感心したことを思ったまま口にしたのだから、心を響かせ合いたい。謙譲の美徳という古いシッポがまだついているのかなあ、と私は思い、心中ひそかに、この3人をイエイエ・シスターズと呼ぶことにした。
 何回か、ひとり旅で訪れたイギリスでは、相手の何かをほめると、明快に「サンキュー」が返ってくる。
 田舎町で知り合い、親しくなったキャスリンという若い女性の結婚披露宴に、一昨年列席したときのこと。私は彼女のお母さんに言った。
   「美しい花嫁ね」 「ええ、とても」
   「旅先で、とても良くしていただいたのよ」 
    「あの子は才能を持っているんです。人を親切にして、よくお世話する才能を」 私はなんだか愉しくなった。”(4月17日付け読売新聞)

 ボクもこのイエイエは良くないと思っているが、それがつい口から出てしまって、まずいなと思うことがよくある。素直に「ありがとう」と言いたい。その方が素直に心を触れあわせることができると思う。

(第268話) 旬を味わう 2005,4,26
 “この季節、フキノトウに始まり、菜の花、たけのこ・・・・と春を感じさせるものが沢山あります。毎年食べていて、特に珍しくはないのですが、「そんな季節になったんだな」といただくと、とても幸せな気分になるものです。
 季節に逆らって夏の野菜を冬に収穫しようとすると、大変な量のエネルギーが要ります。ビニールハウスで温室を作り、温室内を暖房する必要があります。夏のキュウリと冬のキュウリ、見た目は同じようでも実は使われているエネルギーは5倍も違います。旬に食べる方が、省エネにも貢献するのです。
 もっともいちいちエネルギー消費量のことを持ち出さなくても、旬の時期の方が、おいしく、栄養もあり、値段も安いのはいうまでもありません。いつでも同じものを食べられるのは便利かもしれませんが、食べられないからこそ、季節の楽しみがある面もあります。野菜を「いつでも買えますよ」と並べておくよりは、やっぱり、「あと1週間で入荷します。今年はできがいいです」と書いた紙が貼られている方が、楽しみではないでしょうか。”(4月17日付け中日新聞)

 「旬に食べる」これも私の持論である。時季はずれの野菜を買ってくる妻によく苦言をいう。私はかなり野菜を自給しているが、それはビニールの覆いもかけない全くの天然野菜である。だから、採れるころはスーパーで安売りしている。

(第267話) 新短歌 2005,4,25
 “    転げ落ちる蹴り落とされる雨土を
            掘ってうねる大蛇に群がる男   光本恵子
 信州は下諏訪町。この町を拠点に月刊の現代口語短歌誌「未来山脈」の輪が広がっている。「未来山脈」は歌風を従来の文語定型から脱却、口語自由律(現代語で28音から38音くらいまで)を旗印とする。短歌会では日陰だった存在が表舞台に出てきた。
 この短歌誌を語るとき、避けて通れないのが光本恵子主宰だ。新短歌と出会ったのは京都女子大生のころ。目にした短歌誌「新短歌」に驚きと感動を覚え、当時、国鉄職員で京都市内に住む代表宮崎信義の門をたたいたのが、きっかけだった。
 光本はその後、ふるさとの鳥取県で中学校教員をしたあと、結婚と同時に夫の郷里・下諏訪町にきた。しかし、がんに侵され闘病が続く。この間に読んだ作品の数々を40歳で歌集「薄氷」にまとめ、これが新短歌賞に輝く。
 昨年秋。「未来山脈」は、それまでの努力が認められ、日本短歌雑誌連盟の優良歌誌賞に輝いた。今月29日には代表の宮崎にも連盟から第1回功労賞が授与される。”(4月14日付け中日新聞)

 いろいろなところでいろいろな活動があり、いろいろな主義主張があることはわかっているが、短歌が口語自由律とは驚きだ。我が現代川柳もかなり自由だと思っているが、さらにその上をゆく。短詩型文芸の垣根はますます低くなっていく。全く自由にやればいいのだから、今まで無縁の人も望むところで大いに参加されたい。

(第266話) 子どもの夜更かし  2005,4,24
 “ヒトは昼行性の動物である。しかし、日本の子どもたちの間に夜更かしが広がっている。夜更かしは危険だという意識が親も社会も薄いのだ。
 大多数のヒトは、体内時計の周期が24時間よりも長い。夜の明かりはこの周期をさらに延ばし、体内時計と地球時間とのずれを拡大する。このずれは朝、光を浴びることでのみ修正される。両者のズレは時差ぼけ類似状態(内的脱同調)を招く。本来、体温と睡眠・覚せいとの間には、体温が最低になった後に目覚め、最高に達した後で寝入るという関係が存在するが、内的脱同調に陥るとこの関係が破綻する。その結果として、体調は不良となる。具体的には眠りの質が悪化し量は減るとともに、意欲・運動量・作業能率が低下し、疲労し、イライラし、気分がめいる。
 夜更かし・寝不足は小児肥満の危険因子でもあることが最近、富山医科薬科大の研究で確認された。夜更かしをする中学生ほど、落ち込んだりイライラしたりする頻度が高いこと、夜更かしが学業成績を低下させることを明らかにした研究もある。
 早起きをし、朝日を浴び、運動し、早寝をする。そうすることで体内時計と地球時間は同調し、ヒトの潜在能力を最大限に発揮できる。”(4月14日付け読売新聞・要約)

 小児科医・神山潤の文である。氏は「子どもの早起きをすすめる会」発起人でもある。105話で24時間営業の苦々しさを書き、202話で早朝のメリットを書いた私には、してやったりの文である。夜更かしはいろいろな面で弊害が多いのだ。

(第265話) 名所江戸百景  2005,4,23
 “「名所江戸百景」は江戸末期の歌川派の浮世絵師、広重(1797~1858)の代表作として知られる。この120枚揃いの版画に関しては、「四季折々の江戸の名所を描いた作品」としての見方が一般的。しかし、翻訳業のかたわら浮世絵を研究している私は、地震からの復興を伝えようとした「報道」の性格を持つのではないかと考えている。(中略)
 「名所江戸百景」は、安政江戸地震の2ヶ月前に、今で言う出版組合に加入した版元である魚屋栄吉が企画したものだった。新興勢力である彼は、地震から復興する江戸の様子を、町の人々に伝えることを思いついたのだろう。それは大天災によって新しい世が出現するかもしれないという庶民の「世直り」願望とも合致していたのだと思う。”(4月13日付け日本経済新聞)

 浮世絵研究家・原信田実氏の文である。報道と考える理由の部分を省略したので、面白みの欠ける紹介となって申し訳ない。この文が私の目にとまった最大の理由は、この「名所江戸百景」120枚を私が持っていることにある。中日新聞社の発刊で、平成7年に48千円の大枚を払って購入した。以前は1枚ずつ、順に額に入れて玄関に飾っていた。少し関係した記事を見ると嬉しいものである。

(第264話) 道元の月 2005,4,22
 “精神世界に生きる道元48歳。現世利益を象徴する時頼21歳。異なる価値観、人生観で相対する。戦いの業苦を訴える時頼に、道元は「執着を捨てたとき、悠久の自然と一体となった自分が生まれる」と諭す。渇いた心にしみる滴のような言葉だ。時頼が刀を振り上げても平然と座禅を続ける道元に時頼は心を開く。「いつか私も、心に澄んだ月を宿したい」
 あわ立つような緊張感の中、三津五郎と橋之助の演技は熱気があふれ、しかも清らかだ。三津五郎は宗教色を感じさせない説法で人間道元の真情を吐露する。無言の座禅を重みが、口をつく言葉の深みを増す。
 橋之助は、殺した敵の人生や因果応報を思う良心と苦しさを、自らへの運命への怒りがこもる激白で活写する。道元に救済を求める姿に権力者の孤独感が色濃くにじむ。三津五郎と橋之助はまさにはまり役。観客を至福の時間と空間に誘ってくれるのである。”(4月13日付け朝日新聞)

 4月25日まで、名古屋・御園座で演じられている「陽春花形歌舞伎・道元の月」の感想である。立松和平作の新作歌舞伎である。実はこの歌舞伎をつい先日、妻と観てきたのである。御園座で公演される4月10月、年2回の歌舞伎を観るようになってもう10年以上になる。我が夫婦の数少ない楽しみのひとつである。道元さんウォークに参加したこともあって、道元さんには親しみを持っている。

(第263話) オトコの自分史 2005,4,21
 “自分史というものがあるらしい。私のところへも、あちこちから本が送られてくるようになった。著者は全員男性だ。定年退職や60歳記念などの記念に出版するらしい。ほとんどが平凡な半生を苦労話で彩り、ちらちらと自慢話で味付けしてある。
 なぜ男は自分史を書きたいのだろうか。出版してもいいけれど、知り合いに売りつけてはいけないと私は思うのだ。どうしても売りたい人は、きちんと書く訓練を受けたあと書店で勝負すればいい。海外旅行をしたと思い、大酒を飲んだと思って潔く無料で配るのが「正しい男の自分史」だ。
 私は文章教室の講師をしていた時、中高年男性たちに「魅力的な自分史」について話した。あなたが書きたいことは人が読みたくないこと、隠したいことを人は読みたがってる、なんて意地悪をいった。
 つきあいで買わされた自分史の多くは、ページを開かれることなくゴミに出される。こんなさみしい末路をたどる本が世の中にあるだろうか。”(4月13日付け中日新聞)

 作家・西田小夜子さんの文章である。以前、個人の川柳句集をよくもらった。たいがいはパラパラとめくってそのまま本箱に収まっている。自分史を作ることは結構なことだと思うが、、自分の中でどのように位置づけるのか問題であろう。第117話で、一宮自分史の会を紹介した。まあ、こちらは共同の作文集のようなものであるが・・・・。

(第262話) 10句マラソン 2005,4,20
 “     理髪店出て春風とすれ違う
       芽起こしの雨に喫茶の灯がうるむ
 3月下旬のある日のページには、こんな句が連ねられていた。京都市山科区の樋口知津さん(83)は、12年間、毎日、俳句を10句ずつ詠み続けている。「10句マラソン」と呼んでいる。ノートは29冊、作品の数は4万7千句を超えた。
 「うまく作れず、思い悩むこともあります。でもこれのおかげで物事をマイナスにとらえることがなくなったんですよ」
 実は、10句マラソンを始めるまでは、ひとりぼっちで、さまざまな壁に突き当たってきた。10句マラソンを始めたのは、樋口さんが俳句好きであることを知った甥が、熱心に勧めたのだ。「アイデアをノートへいくつも書き留めていく『アイデアマラソン』のように、俳句をいくつも書き留めてみては、と言われたんです。それで、毎日10句を作ることを決めました」
 樋口さんは、10句マラソンをすることで「人生の喜びが3倍になる」と話す。例えば旅行なら、実際に出かけた時、帰宅して俳句を作る時、年月を経てその俳句を読み返した時・・・・と、旅の楽しさが3回分味わえるというわけだ。
 苦しくつらかった経験も、10句マラソンを通じて、いい思い出と受け止められるようになったのかもしれない。”(4月12日付け読売新聞)

 1日10句か・・・・不可能な数字ではないな・・・・。しかし、70歳を過ぎての挑戦は立派だな。

(第261話) 因果応報 2005,4,19
 “銀行に勤める末っ子の二男が先日、お客さまから聞いたといって、とても嬉しいことを話してくれた。
 夫の高等学校の2年後輩だというお客さまの学生時代のこと。当時は戦時中でもあり、しかも男子校、血気盛んな若者同士。下級生に対するいわれのない制裁も半ば公然に行われていた。成績も良く、運動面でも優れていたその方は、上級生に「生意気だ」と、いつも制裁の対象だったらしい。でも「あなたのお父さんは絶対、その仲間に入らなかった」と褒めてくださったのである。
 大切なお客さまのひとりから父親の思わぬ話を聞き、息子もいたく感動したようだ。60数年も前のこと。夫の行動に、私はあらためて「因果応報」という言葉を思い出した。「お父さん、よかったね」と、涙ぐむ夫の手を強く握りしめた。”(4月11日付け中日新聞)

 福井県小浜市の主婦・北村さん(76)の投稿文。父親の素晴らしさを思いがけないところから聞く、子にとって何より嬉しいこと。父親のよい行動が子息によい結果をもたらす、良い話だ。

(第260話) 無限へのスパート 2005,4,18
 “野口みずきがアテネでゴールテープを切ったとき、勝つための綿密な作戦を立てていた。25kmでスパートして、起伏の激しいコースの「のぼり」で可能な限りの貯金をし、「くだり」にはいってからゴールまでひたすら逃げ切るというものだ。この作戦が成り立つのはゴールがあるからである。
 現代日本の政策が「競争至上主義」の末期現象として「無限へのスパート」へ入っていることは周知のことだ。しかし、単純に考えれば無限へ向かってスピードを上げるという行為は破壊を意味する。マラソンランナーに向かってゴールのないラストスパートを走れと言うことはできない相談であろう。
 「近代化」は人間を豊かにしてきたと言うことは疑いがない。だが、幸福にしてきたかどうかはきわめて怪しい。人間の幸福には進歩がないからである。”(4月7日付け建設通信新聞)

 かなりの省略であるし、ただでさえ難しい内容なので理解が難しいかもしれないが「無限へのスパートは破壊行為である」という言葉に惹かれて紹介した。自分で自分のゴールをどこにするのか、決めないと無限地獄に陥る。ゴールを決めればそれ以上の進歩はない、この見極めが難しい。

(第259話) 50、60代女性の俳句 2005,4,17
 “もっとも生き生きとしている現代の俳句は、5、60代の女性の俳句ではないだろうか。その世代の女性は、俳句人口の過半を占めてもいる。
     そらまめのみんな笑って僧のまへ
      にんげんは滅び海鼠は這いをりぬ
 女性が俳句を作るようになったのは大正時代から。杉田久女、星野立子、中村汀女などをさきがけとする。女性がどっと増えたのは大阪の万博のころからである。以来、俳句人口の多くが女性となり、黛まどかの「月刊ヘップバーン」のように女性だけのグループまでできている。
     五番線ばかり日のある余寒かな
     だるまさんが転んだ桜が咲いた
 5,60代の女性の俳句がなぜ面白いのか。彼女たちが人生体験を通して身につけた客観性、すなわち冷静な見方や感じ方、それが俳句の短さにあっているのだ。”(4月10日付け日本経済新聞)

 俳人・坪内稔典さんの文。5,60代女性の元気さは何も俳句の世界に限らない、日本の世の中全般のことだ。
 しかし、俳句と川柳の境界がますますわからなくなってきた。次の句などさらにだ。
     金魚にはきっと歪んでいる私
     出目金のもう老後かもしれない日

(第258話) 持ち込み弁当解禁 2005,4,16
 たかが弁当の話であるが、愛知万博の弁当持ち込み禁止が大きな話題になり、マスコミを賑わせた。そういう私自身が、禁止の話を知ってすぐに万博関係者に不満を言いに行ったひとりであるが・・・。この弁当に関して、少し気をひいた2話を紹介します。

 “愛知万博が始まって最初の日曜日。ある中国人訪日団を案内してちょうど愛知県に行ったので、万博見物に連れて行った。
 会場に着くと、入り口の前に大勢の係が並んで、声を大にして弁当や飲み物の持ち込みを禁止を叫んでいる。「何を懸命に叫んでいるのか」。団長から尋ねられた。事情を説明すると、けげんそうな表情を浮かべ「これは覇王条款ではありませんか。日本の消費者は怒らないのですか」と指摘した。そうだ。これは間違いなく中国で問題になっている「覇王条款」だ。”
「覇王条款」とは、商品やサービスの提供者が自分たちに有利な行動を消費者に強制するために、その他の選択肢を与えないようにした契約書の内容を指す。日本で言う「不当条項」だろう。”(4月9日付け朝日新聞)
 これはジャーナリスト・莫邦富さんの報告である。

 “弁当解禁前の先月31日、北ゲートでこんな場面があった。ベビーカーに幼児を乗せた両親が手荷物検査を受けた際、幼児用の飲料水を入れたペットボトルの持ち込みを、男性係員にとがめられた。戸惑う両親。そこに、さっと出てきた中年の女性係員が「ボトルのラベルをはがしてください。水筒と認めますから」。
 四角四面に言えば、職務違反かもしれないが、私は思わず拍手をしたくなった。まさに子どもを持つ人にしかできない臨機応変な対応だった。彼女の心温まる配慮に、一家はさぞ快適に万博を満喫して帰っただろう。”(4月9日付け毎日新聞)

(第257話) 四つ葉のクローバー 2005,4,15
 “子どものころ、春になると空き地にはいつくばって、四つ葉のクローバーを探した。だれが教えてくれたのか、「見つけるといいことがあるよ」との言葉を信じ、探し出しては押し花にした。
 4月初め、東京都内の生花店でクローバーの鉢植えを見つけた。よく見ると、四つ葉がいくつも出ている。四つ葉は突然変異によるものだといわれるが、最近は品種改良が進み、観賞用も登場してきた。
 欧米では古くから、4枚の葉に名誉、富、愛、健康の意味を託し、幸運を呼ぶと言い伝えられてきた。日本に入ってきたのは江戸時代。オランダから幕府に送られたガラス製品の荷造りに、乾燥したクローバーが使われていたことから、「詰め草」との和名がついた。明治時代には、牧草として本格的に導入された。”(4月8日付け読売新聞)

 「彩事記」という欄の宮智泉さんという人の文である。この短い文で、クローバーが生花店で売っていること、四つ葉の意味、詰め草と書きその名の由来を知った。知るは楽しい、春は楽しい。

(第256話) カラクリ人形 2005,4,14
 “中部の「ものづくり」の原点はカラクリ人形にあるといわれています。時計の歯車、ゼンマイを応用し、カラクリ人形が出来上がりました。弓を射、お茶を運び、うちわで扇ぐなど、「粋」で「いなせ」な作品です。そこには創意工夫が施されています。子供のころ、氏神さまの山車の上で踊るカラクリ人形に胸をときめかせたのを覚えています。どういう仕掛けになっているのか、どうやって動くのか、興味は尽きませんでした。
 この思いが半世紀後、実現しました。当社創立120周年を記念して、何を残そうと思ったとき、カラクリが頭をよぎったのです。衣装は金糸銀糸の西陣織、人形が手に持つ楽器には七宝焼きがはめ込まれ、当社ビルの一角でパフォーマンスする姿は、子供のころ見た、ワクワクどきどきがよみがえるカラクリそのものです。
 最近ものを作る重要性が少し軽んじられるようになってきました。創意工夫の「ものづくり」立国日本です。ものを作る喜び、面白さはいつの時代も変わらないことを、子供のころから知っておきたいものです。”(4月7日付け中日新聞)

 安藤七宝店・安藤社長の文です。カラクリ人形は日本全国どこにもあるものかと思っていたが、全国の山車カラクリの大半は愛知県尾張部のようだし、愛知県には240台、600体もあるようです。また、愛知万博の愛知県館には各地のカラクリ山車が順次展示されるようです。また最近は、犬山駅前、御園座前、大須万松寺、岡崎公園など街中にも見かけるようになりました。ここにも愛知が誇るものがあった。

(第255話) 見て見ぬふり 2005,4,13
 “乗り込んだ列車に空席はなく、床に長々とジーンズの足を投げ出した二人の若い女性が、手鏡のまつげに墨を入れながら、大声で談笑していた。敬三は2人を一瞥すると、少し離れた場所でつり革を握った。
 次の駅で大量の乗客がなだれ込んだ。車内が混雑しても2人に動く気配はなく、乗客たちは投げ出された足を避けながら遠巻きに立った。(どうして誰も注意しない・・・・)見ると、乗客たちの顔には苦々しさが浮かんでいる。
 なぜ注意できない・・・・なぜだ!敬三は人込みをかき分けた。「君たち、迷惑だ。立ちなさい!」「関係ねえだろ、じいさん」2人は蝿を見るように敬三を見て笑った。「立つんだ!」敬三が片方の女性の腕を取った。「キャーッ!痴漢よ!痴漢」「誰か!誰か!痴漢、痴漢!」
 時ならぬ2人の女性の大声に、駆けつけた乗務員が今度は敬三の腕を取った。「私は痴漢ではない!そうでしょ?皆さん、そうでしょ?」乗客は反応するどころか、奇異な生き物を見るような目で敬三を見ていた。”(4月6日付け中日新聞)

 ボクもほとんど毎日このような光景を見ながら、この中の一般乗客のような態度を取っている。そして、どこかで間違って痴漢呼ばわりされないか、心配しながら通勤している。

(第254話) 使命・懸命・宿命 2005,4,12
 “卒業式の学長式辞で、学生に使命・懸命・宿命という3つの言葉を贈った。
 まず「使命」。三浦綾子さんが亡くなる少し前の言葉。「私は小説を書くことが私の使命だと思っています。使命という字は命を使うと書きます。私は小説を1冊書き終わると、くたくたに疲れます。そして、命を使ったなと思います」。
 次に「懸命」。小さな島の診療所で長い間、医療活動を続けてきた74歳の医師の言葉。「私はこの診療所で、今まで懸命に生きてきました」。この医師が、島での診療に命を懸けてきたと言うことがわかった。「懸命」とは命を懸けると書く。
 最後に「宿命」。先ほどの医師は「私は、ここで診療をし続けること、そして、ここに骨を埋めることが、私の宿命だと思っています」とも言った。この文脈中で、私は「宿命」という言葉の中に「命が宿る」という意味を感じます。
 一人ひとりの学生が使命を持って、懸命に生き、これが私の宿命だと思えるような人生を歩んで欲しいと願う。”(4月5日付け中日新聞)

 もう何回も使わせていただいた金城学院大・柏木学長の文章である。使命を持って、懸命に生き、これが私の宿命か・・・・。ボクの人生にはほど遠い言葉だな・・・。

(第253話) キャッチボール 2005,4,11
 “「キャッチボールをすると、その人のことがよくわかるような気がするの。受け止めたときの感触で、強さや、やさしさや、切なさまでが伝わってくる気がするの」。作家・伊集院静さんの短編小説集「ぼくのボールが君に届けば」(講談社)にこんなすてきなせりふがある。
 キャッチボールはやわらかなボールを相手の胸元に投げるのが基本だが、奥深い魅力もある。「だって暴投した人がボールを拾いに行かないで受ける人が走っていくでしょう。悪い、悪いなんて声を聞きながら、いいよ、なんて声を返してさ。面白いよね。あの感じ」
 体を使って楽しく遊びながら、コミュニケーション能力をつけるなんて素晴らしいことだ。戦後60年、そんな野球を通して多くの日本人はスポーツの楽しさと社会性を学んできた。”(4月5日付け毎日新聞)

 キャッチボール一つをこんな風に見る面白さ、何事も見方一つで全く違ったものになる。ボクもこの「話・話」を書くようになって、同じ文でもそのときのとらえ方で、採択したり不採択にしたり・・・面白いと思ったり何とも思わなかったり・・・・この面白さを感じている。確かにキャッチボールはコミュニケーション能力が身につくと思う。

(第252話) 入社式訓辞 2005,4,10
 4月4日付け建設通信新聞に、主な建設会社のトップの訓示が掲載されていたので、6社ばかりを書き抜いてみる。

“(A社)ぜひ心がけてもらいたいことを3つ申し上げる。スピード意識、危機感、チャレンジ精神、を常に意識し、しっかりとした仕事をして欲しい。
 (B社)皆さんには3つのことをお願いする。もの作りに参画する喜びを持つこと。自分の仕事のその先にいるお客さまを常に思うこと。常識を磨くこと。
 (C 社)第1に目標を高く掲げ、オープンにすること、第2に出る杭となって建設的で先進性のある議論を戦わせてもらいたい。第3に、常に視野を世界に広げること、この3点を期待する。
 (D社)存在を主張できる会社をめざして、社員一人一人が研さんを積み、組織として高い技術力を持って努力することで、顧客の信頼を獲得できる。これまでは勉強の仕方を教わってきたと考え、これからが学問の本番であると認識して欲しい。
 (E社)2つのことをお願いしたい。1つは、入社後も勉強して知識を増やすこと。2つめは、人格を磨くこと。
 (F社)新入社員としての基本的なことを申し上げておく。安全ルールに忠実に仕事に取り組むこと、あいさつの励行、失敗を恐れるなと言うことである。”

 新入社員ばかりではなく一般人にとっても、どの言葉も素晴らしく、必要なことである。しかし、問題はそのように対処したとき、きちんと評価する組織になっているかである。特にチャレンジ精神や、失敗について。

(第251話) 町内会役員  2005,4,9
 “年度が替わる4月は、町内会の役員改選の時期でもある。最近は役員を快く引き受けてくれる人が少なく、毎年役員の選出に苦労する。町内会の役員は何かと気苦労が多いが、報酬はなく全くの奉仕活動だ。住民は役員への不満を漏らしたり、批判をしたりしても、感謝することはない。このようなことでは、役員になろうとする人がいないのも当然だ。
 しかし、犯罪のない明るい町にするためにも町内会は絶対に必要だ。このままではお互い助け合って生きるという横のつながりがなくなってしまう恐れがある。私たちは町内会の役員に、もっと協力することが必要ではなかろうか。”(4月2日付け中日新聞)

 名古屋市中村区の主婦・中村さん(64)の投稿文である。ここに書かれている、役員選びに苦労する話は全国津々浦々にある問題であろう。ということは抜本的に改善を図らねばならない問題だということである。私もこの3月まで努め、その苦労を知ったばかりなので取り上げた。1年間堪え忍べばいいという問題だとは思えない。

(第250話) 日本中ナゴヤに注目 2005,4,8
 “「Nagoyaが今、トレンディー」・・・。30日付けの米国ワシントン・ポストは、国内第三の都市として存在感の薄かった名古屋が、愛知万博(愛・地球博)開催や中部国際空港の開港、中部圏経済の好調さを背景に、日本中の注目を集めていると伝えた。
 それによると、「名古屋は何十年もの間、尊敬の対象ではなかった。コメディアンは名古屋のフライ(揚げ物)や独特なファッション、おかしな方言を物笑いの種にしていた。まるで米国の中西部のようだった」と、名古屋の‘過去’を紹介している。
 その上で、トヨタ自動車をはじめとする地元企業の好調な業績が中部圏経済のけん引役になっていることに触れ、名古屋の「無駄遣いや危険なことを嫌う地域文化」が過剰な不動産投資を慎み、1990年前半から続いたバブル破綻の悪影響から逃れられたとする専門家の分析を紹介している。
 さらに、女性ファッション誌が「名古屋嬢」を特集し、「みそカツ」が全国進出したことに言及。このように注目を集めるのは、戦国時代の16世紀後半、日本の中心的存在だった名古屋にとって「ある種のルネサンス」と指摘している。”(3月31日付け中日新聞)

 ワシントン特派員からの報告であるので、どこまで忠実に書かれているかわからない。しかし、いささか持ち上げの感じもするが、大きな間違いはない。米国内でこのように伝えられるとは、今までは間違った伝達も多かっただけに、嬉しいことである。ルネサンスとはまた新たな捉え方だ。

(第249話) 3月31日 2005,4,7
 “1年365日のうち、一番好きな日はと聞かれたら、迷わず3月31日と答える。今年もその日がやってきた。
 他の月末の日は、少しばかり神妙になる。「ああ、今月ももう終わり」とあせったり、「たいしたことはしなかった」と反省したり。そうやって一月ずつ過ぎてゆくのだが、今日だけはちょっと違う。4月1日に向けて「せーの」とジャンプの準備にはいるのだ。
 こどものころ、3月31日と4月1日の間には高い階段が1段あった。1学年進級するってことは、ぐっと大人になることだ。4月1日には自分の両足で「よいしょ」と階段を上がらなければならない。それは素敵なことで、前日はワクワクしたものだ。未来と自分への期待を込めて過ごした「せーの」の日。それが3月31日だった。”(3月31日付け日本経済新聞)

 女優・星野知子さんの随想である。日々に折り目切り目の少なくなった現代社会では、自分自身でその折り目切り目をつけていかないと、365日平坦な日々になってしまう。正月やお盆、誕生日、その他記念日も大切にしていきたいものだ。そして、3月31にという年度の切れ目も・・・・。
 といいながらボクもそんなに大切にしているとは言い難い。早速家族の誕生日、結婚記念日を忘れないように手帳に書き込もう。

(第248話) ならぬもの12戒 2005,4,6
 “義妹夫婦が北関東地方の社寺参りをした折、当世戒め訓を土産物として送ってくれた。この訓に思えば自分自身、これまで人間として最低限なすべきことや、守るべきことを、着実に行ってきたんだろうか。どうも疑わしくなってきた。
 その中から12項目を選び抜き、我流に名付けて「ならぬもの12戒」としてみた。以下、順不同に思いのまま書き連ねてみた。
 @通してならぬものは無理 A踏んでならぬものは道ならぬ道 B捨ててならぬものは義理 C繰り返してならぬものは過失 D乗ってはならぬものは悪い相談 E言ってはならぬものは嘘 F忘れてはならぬものは恩 G破ってはならぬものは約束 Hけなしてはならぬものは人の話 Iゆるめてならぬものは決心 J塗ってはならぬものは人の顔(泥) K曲げてはならぬものはつむじ
 自分を縛ることなく、意識の及ぶ範囲内で「12戒」と付き合っていこうと思う。”(3月30日朝日新聞)

 愛知県知多市・佐々木さん(74)の投稿文である。人はいくつになっても、人それぞれに自分を律する言葉を身に置いている。イヤ、誰でもでなく、佐々木さんが立派か・・・。

(第247話) 親が持ち歩く 2005,4,5
 “21日本欄(中日新聞「賛論異論」)に「日本料理店に子供用箸を」が載っていて、同じ年頃の子供を持つ母親として興味深く読ませていただきました。
 私の場合、娘と一緒に外出するときは必ずお手ふきやエプロン、箸を持参するようにしています。飲み物を飲むために小さめのグラスを持っていくこともあります。またうどんを食べるときは、食べやすくするために小さく切るハサミを用意することも忘れません。
 近ごろはコンビニや自動販売機があちこちにあるため、お茶すら持ち歩かない人が増えました。でも、自分の子供のことは親が一番よく分かっているはずです。店に頼むことはせず、親がまず用意しておくべきではないでしょうか。”(3月29日付け中日新聞)

 愛知県海部郡の主婦・加藤さん(37)の投稿文である。それがあまりに自分勝手な要望でなければ、その要望を出して改善を求めるのも社会を住みやすくする一つの方法である。この主婦のように自衛するのも一つの方法である。私がこの文を紹介したのは、小さなことではあるが、男には気付かない母親のすごさを感じたからである。それと、すぐに何でも要求する風潮の社会でいい心がけだと思った。ハサミまで用意するのか・・・・。

(第246話) 林覚乗住職 2005,4,4
 (第83話 心ゆたかに生きる)で紹介した、高野山真言宗の別格本山でもある福岡県の南蔵院に所属する林覚乗住職の名を、3月28日付け建通新聞で見かけた。愛知県土木研究会に招かれ、講演をされたというものである。

 “1300人もの作業員の家族を現場に招待した現場所長、妻の遺影と共に海外旅行に向かう初老の男性と航空会社の乗務員、デンマーク代表サッカー選手と体が不自由な少年ファンとの交流などの話に心温まり、人として大切なものは何かを感じる。
 「1年の始まりに会社の発展や安全を願うことも大切だが、1年の最後の日に従業員や家族、お客さんに感謝の気持ちを祈ることも大切だ」と住職は言う。「経営者は心豊でなければならない。周囲の環境をどう整えるか、当たり前のことをどう伝えるかが経営者に問われている」とも語る。”

 こんな私の身近に来て講演されたことに何かうれしさを覚える。ただテープを聴き、本を読み、ここで紹介しただけなのに・・・・。氏は多くの人と出会い、人にとって大切なことが何なのかを感じ、それを人に伝えている。ボクとも一つの出会いなのだ。第83話ももう一度読んでもらいたい。

(第245話) 喫茶店は社交場 2005,4,3
 “たかが喫茶店と侮ることはできない。名古屋圏モーニング文化には意外と深い効能がある。
 3月のある日曜日午前10時。店内は家族連れや夫婦で満席だ。みんなモーニングサービスを食べている。380円でコーヒーに2種類の焼きたてパン、卵焼き、ウィンナーソーセージ、サラダがつく。
 総務省家計調査によると、1世帯あたりの年間喫茶店代は岐阜市が約18700円で全国1位、2位は約14600円の名古屋市。東京都約8500円、大阪市約5900円、神戸市約6300円も遠く及ばない。岐阜、名古屋人の喫茶店通いの理由は「格安のモーニングサービス」にある。
 名古屋圏モーニング文化は、よその土地の人間にカルチャーショックを与える。「東京では喫茶店は仕事の打ち合わせの場という感じ。ここはみんながおしゃべりをする場なんですね」。新聞や週刊誌を多く取りそろえているのも特色だ。「喫茶店は地域の交流の場。コミュニティー意識が薄れると店は減っていく。愛知や岐阜で喫茶店がなお隆盛なのは、それだけ地域の人の結びつきが強く残っているからでしょう」”(3月23日付け毎日新聞)

 ボクの家を中心に半径500mの円を描くと、その中に少なくと6軒の喫茶店が入る。他の地域に行くと喫茶店を探すのに苦労をする。そして、コーヒー以外に何もつかいことに物足りなさを感じる。本当に名古屋はいいところだ。この文化がいつまでもすたれないように願う。

(第244話) 人は心で生きている 2005,4,2
 “ある時代劇の名優、と言っておこう。その人が刀での立ち回りを演じるときの心構えを若い人に教えた際、こういった。
 「たとえ自分が主役だからと言って、刀で悪人を斬るとき、ばったばった、と気持ちよく斬り捨ててはいけないものなんだよ」と。「仮に斬る相手が悪人であろうとも、人である限りその人には親もあろうし、子もあるかも知れぬ。またその人を愛する人もあるだろうし、死ねば悲しむ人もある。そういう〈人生〉を俺は斬り殺すのだ、という〈痛み〉を胸に斬らねばいけないのだよ」と。
 実に素晴らしい言葉だと思う。つい、主役になったら忘れ去ってしまう「ひとのこころ」への「慮り」について、その心構えを説いている言葉だ。”(3月28日付け毎日新聞)

 さだまさしの「日本が聞こえる」からである。芝居でさえこの心構えである。ボクなど現実の生活でもこれだけの心構えはない。言葉で人を斬り捨てている。名優とはどうも昨年11月亡くなった新国劇の島田正吾さんらしい。

(第243話) 出会い 2005,4,1
 “「その方は、人形をずっと空いている座席に置いていたんです。シートベルトも締めて」。ある航空会社の客室乗務員が、数年前の忘れ得ぬ経験を語る。
 年配の女性だ。着陸が迫り、安全のため座席の荷物は片づけなければならないが、後輩の乗務員が人形をどかすよう説得しても耳を貸さない。もしやと思い声をかけてみた。「お子様はいったん膝の上に乗せていただけますか」。素直に従ってくれた。
 後日、女性の夫から手紙が届く。子どもに先立たれ、人形を子どもと思い持ち歩くのだという。初めて「人」として扱われたことへの感謝が綴られていた。”(3月23日付け中日新聞)

 この客室乗務員の想像力、機転はなかなかのものである。おとぎ話のような話である。心温まる話である。それにしても子を思う親の気持ちは計り知れない。私の家の近くの墓に、ほとんど毎日のようにお参りに来るご夫婦がある。ご子息を亡くされてもう十数年たつ・・・。


ハイブリッジ > ちまき : ちまきの由来:花より団子派は、語源や故事を気にしていなかった。 ちまきの種類:いろいろな種類が有ることは、新潟のあんこ入りのちまき頂いた時に知った。小生の幼い頃は、母親ともち米の粉を団子にしてササの茎を刺し、葉を外から巻いてイグサで結んで、蒸した。ただそれだけで味も素っ気も無いものだったが、美味しくいただいたものだ。それが新潟のあんこ入り団子をササの葉で巻き井草をぐるぐる巻きにしたものを頂いたとき、これもちまきか?と思ったものだ。由来や伝統を感じながら孫と食することにしよう。 (2005/4/30/9:21:36)
悠澪 > ちまき:昨日から急に暑くなりましたね、皆様体調をくずされないようお気をつけ下さい。ちまきを食べて健康を祈り、菖蒲湯に入って邪気払いをし、父と子で、じいじと孫で、コミュニケーションできたら素敵ですね。 (2005/4/29/22:38:51)
ともちん > アセビ‥花は誰に媚びる事も無く一生懸命に咲いています。自分を花に例えた昔の女性も、花と同じような生き方だったのでしょう。素敵ですね。 (2005/4/29/10:58:34)
ハイブリッジ > 素直に「ありがとう」: 謙譲の美徳 この言葉が理解でき発言している年代に小生も入る。どの世代で「いえいえ」「ありがとう」に分かれているのだろう?「いえいえ」には「ありがとう」の意味を含んでいると思っているのは小生だけだろうか?さすれば、素直に「ありがとう」と表現すれば良いのだが…。なかなか変えられない習性の一つだ。 (2005/4/29/7:18:2)
悠澪 > アセビ:あんなにかわいい花なのに葉や茎に有毒成分が含まれているとは。夾竹桃やすずらん・トリカブトなどなど、かわいくてきれいな花が有毒なんて怖いですね。花はこうして、動物に食べられてしまわないように、子孫を残せるように、自分の身を守っているのですね。 (2005/4/29/0:8:29)
悠澪 > 素直に「ありがとう」:自分や身内のことを話す時、ほとんどの日本人が謙遜を通り越してけなしています。自分のことを褒めると“うぬぼれている”と思われるという潜在意識があるのではないでしょうか。実際そう思う人が多いように感じます。日本人の哀しいサガですね。 (2005/4/28/23:54:23)
ともちん > 素直にありがとう‥私も褒められると照れてしまい、つい「いえいえ」と言ってしまいます。これからは「ありがとう」と褒め言葉を受け止める事ができると良いなと思います。 (2005/4/27/23:36:44)
ともちん > 旬を味わう‥今は年中色々な野菜を食べる事ができるので、野菜の本当の旬がわからなくなってきています。旬を味わうことは、栄養面でも季節を感じる上でも大切な事だと思います。 (2005/4/27/4:16:2)
悠澪 > 旬を味わう:日本にはせっかく四季があるのですから、折々の野菜を「わっ!もうそんな季節?」とか「今年は早いね」などと言いながら、季節を感じながら野菜をいただくことができたら、心も豊かになるのかもしれません。残念ながら私は季節感のない野菜をいただいてます。 (2005/4/26/23:49:6)
ともちん > 子供の夜更かし‥早寝・早起きは健康の基本です。夜更かしの理由が勉強や趣味なら質の良い夜更かしですが、テレビだとしたらいつか健康を損ねてしまうと思います。 (2005/4/26/10:27:3)
悠澪 > 新短歌:NHKラジオ第一で土曜の9:05〜“土曜の夜はケータイ短歌”という番組がありますが、参加者のほとんどが十代・二十代です。口語というか、若者言葉に私はちょっと抵抗がありますが、若者が文学に親しむためにそれもしかたのないことなのでしょう。  (2005/4/26/0:1:11)
修行ランナー > 「子供の夜更かし」を読んで考えさせられた。すべて人間は言うに及ばず動物には充分な睡眠が不可欠である。現代人は夜更かし型人間が増加している。TV番組が大いに関係していることは否定できない。幸いに自分は早朝にランニングをすることが多いので、早寝を励行しその弊害を逃れている。現代人よ下らぬTVなど見ずしっかり睡眠をとれ。 (2005/4/25/20:58:14)
悠澪 > 子どもの夜更かし:テレビにビデオ・CDラジカセ、電話までが、もしかするとパソコンも一人一台の時代です。夜更かしする道具あり、しかも、自分の部屋があって家族の眠りを妨げることなく夜更かしできる。夜更かしするから朝起きられなくて、遅く起きるから夜眠れなくてまた夜更かしをする。この豊かな環境と悪循環が子供たちを夜更かしにするのでしょう。なんとか規則正しい生活に導いて、切れやすい子供が現れないような世の中になってほしいものです。 (2005/4/24/23:18:45)
ともちん > 名所江戸百景‥先日アメリカ国立美術館に行きましたが、あるアメリカの画家の作品に浮世絵の手法が使われているとの事でした。絵には宗教色の濃いものから、生活観溢れるものまで色々ありますから、浮世絵も報道の性格をもっていても不思議ではありません。 (2005/4/24/8:46:51)
悠澪 > 名所江戸百景:自分の所有物や自分に関わることが記事になると、どうしても目を引きますよね。“名所江戸百景”が報道の性格を持っていたかもしれないとは… 人が将来を予測するとき、こうなってほしいという願望が含まれていると思うので、言い得てるのかもしれません。 (2005/4/24/0:8:18)
ともちん > 道元の月‥毎年2回ご夫婦で歌舞伎を観に行かれるなんて素敵ですね。夫婦共通の趣味があることは大変羨ましい事です。 (2005/4/23/8:49:45)
悠澪 > 道元の月:執着を捨てることができたら、無欲になれたら、心静かに平和に過ごせるのでしょうが、凡人にはなかなかできません、哀しいことです。 (2005/4/22/23:37:50)
悠澪 > オトコの自分史:現役を離れるとむなしさを感じ、自分の生きた証・存在証明のようなものがほしくなるのではないでしょうか。“自分が書きたいことは人が読みたくない、隠したいことを人は読みたがっている”おもしろいことをおっしゃる、全くそのとうりだと思います。 (2005/4/22/23:6:50)
修行ランナー > 自分史といえば、かって試みたことがあるが、あまりにも拙い作文能力や題材不足に嫌気がさし、止めてしまった苦い思い出がある。今では県外へマラソン大会に遠征したときの回想記を書きつづり、自分史の一頁として自己満足している。 (2005/4/22/21:14:15)
ハイブリッジ > オトコの自分史 : 自分史とは売るものではなく無料配布するものだと認識していた。それが売る世界があるとは? 売るならばそれなりに読者を引き付ける要素があり、文章も整然としていなくてはならない。数冊無料で頂いたが有料なら受取っただろうか? 小生は自分史を書くほどの「喜怒哀楽」「起承転結」の会社人生を送っていないので論外であるが、作成するとすれば写真のアルバムと同様に整理することから始まる。費用は掛けずに電子ファイルで保管、必要に応じて取り出して読む。それも公開するのでは無く、自分だけのもの、この程度の位置づけにしかない。 (2005/4/22/19:46:3)
ハイブリッジ > 10句マラソン : 小生は俳句を詠まないが、一日10句は大変なことだと思う。「・・・これのおかげで物事をマイナスにとらえることがなくなった」この境地は素晴らしいことだと思う。毎日の生活で、プラス思考を持ち続け良いことに感性を傾けることは言う易し行うは難しだ。一つの例だが万博ボランティアの終礼で、30名弱の方に本日の活動で・良かったこと・悪かったこと・改善点などをヒアリングする。まず良かったことは上がってこない。俳句を読まれる方が見えれば雰囲気が変わるのかなと結びつけた。次回の朝礼で俳句を詠めとは言わないが、本日の活動で良いことを一つ見つけてきて下さいと強調しよう。 (2005/4/21/8:1:24)
悠澪 > 10句マラソン:1日10句は不可能な数じゃないかもしれませんが、12年間欠かさず続けていることに頭が下がります。哀しいことや厭なことがあっても、作句の材料だと思えば気持ちも少しは楽になるかもしれません。やってみようかなっ… (2005/4/21/1:49:51)
悠澪 > 因果応報:人の行いは誰かに見られている。そして世間に伝わる。だから悪いことはできないということですね。教師や警官といった聖職者が事件を起こしたニュースを時々聞きますが、奥さんや子供たちはどんなに恥ずかしいかと、いつも気の毒に思います。 (2005/4/21/1:18:5)
ともちん > 10句マラソン‥一日10句が読めるなんて、この方は感性が豊かな方なのだなと思いました。それ以上に継続する力が素晴らしいと思います。これを勧めてくれた甥も思いやりのある方だなと思いました。 (2005/4/20/21:36:44)
ハイブリッジ > 無限へのスパート : ウオーキングの事例から、ある方がJMLとAJWを目標にして突進した。2年で達成した。満足感に浸ると共に虚脱感が前面に出たとか。一般的には次の目標を立てれば良いのに・・・であるが、切替が効かないようだ。目標も段階的に設けるけることがポイントかも知れない。小生は80歳で地球一周しよう、80歳になっても20kmを軽く歩ける体力を維持することを第一目標にしており、JMLとAJWはその過程と設定しているが・・・。 (2005/4/20/9:5:14)
ハイブリッジ > 持ち込み弁当解禁 : 立場立場で諸種の意見がでる。今回の場合は岡目八目で見ても解禁が良かったと思う。ただし、弁当を持ち込んで食事をされる方は、それなりのマナーを守って頂きたい。万博会場でボランティアが聞いた言葉「日陰で食事をする場所ありませんか」直ぐ近くには無くやや離れたところを紹介すると「そこまで歩けない」?。また、食後の後片付け、一部の方にゴミはそのまま、エコ分別も出鱈目の方が見える。ゴミ箱周辺には清掃担当のスタッフの他に、ボランティアも配置し指導している。それが無ければどのような状況になるか? 何事も要求するのは良いが、その行為に常識が裏づけされていることが前提であると思う。徹底する妙薬は無いものでしょうか。 (2005/4/20/9:4:44)
悠澪 > 無限へのスパート:人生をだらだらと無駄に過ごさないためにもゴールを決めることはいいことだと思いますが、ゴールが近すぎてはやる気が出ないでしょうし、途方もなく遠くても自信をなくすでしょうから、よく見定めることが大切だと思います。「ゴールを決めればそれ以上の進歩はない。」とは、思いません。幸運にしてゴールのテープを切ることができたら、また新たなゴールを決めればいいと思います。かくいう私には目指すゴールはありませんけど。 (2005/4/20/0:25:17)
ともちん > 因果応報‥家族の事を他の人から褒められると、自分の事以上に嬉しいです。また自分の知らない家族の一面を見ることが出来ると、新しい発見にもなります。 (2005/4/19/21:31:36)
ともちん > 無限へのスパート‥ゴールがあるから頑張る事ができるのは確かです。ゴールすると、すぐに次の目標が見えて来る事が多いです。小さな目標を沢山クリアしたほうが、自分に自信が付くし良いのではないでしょうか。 (2005/4/18/23:32:19)
ともちん > 持ち込み弁当解禁‥アトラクション待ちの時に手軽に食べられるおにぎりやサンドイッチがあれば、効率良く万博会場を回れるのになと思います。どこのレストランも混んでいて、それでいてお弁当持込禁止なんて、御飯を食べずに過ごせと言われている事と同じだと思います。 (2005/4/18/9:57:43)
ともちん > 見て見ぬふり‥このような事が現実に目の前で起きたら‥「敬三さんは痴漢ではありません。」と、私なら警察の人に言うと思います。敬三さんはどうなってしまうのでしょうか?気になります。 (2005/4/15/4:52:52)
悠澪 > 使命・懸命・宿命:仕事が次々にやって来て眠らせてくれないよ〜ッ!“話・話”を読みながらコックリコックリ、入力しながらうとうと、これって命使ってるのかしら? 命懸けになったことないなぁーッ! 一度くらい命懸けの恋いなんてしてみたい、なーんちゃって。宿命…… 私があの親の子だということ、違っていたらお互いに今より少しは幸せだったかも。ちょっと悪ふざけが過ぎました。神聖な場所を汚してしまってごめんなさい。 (2005/4/15/1:28:8)
悠澪 > キャッチボール:ゲームや遊びの中に性格が現れると言われます。こうやってコミニケーションをはかり、理解し合っていくのですね。最近ではキャッチボールをする場所が少なくなり、誰もが忙しくなり、あまり見かけなくなりましたが、親子でもっとキャッチボールをしてもらいたいですね。 (2005/4/15/1:14:53)
悠澪 > 入社式訓示:理想と現実とのギャップは大きいですよね。初心を貫くのも大変難しいです。新社会人の皆さんが、挫折することなく困難を乗り越えて行ってくれることを祈ります。 (2005/4/15/1:11:26)
悠澪 > 入社式訓示:理想と現実とのギャップは大きいですよね。初心を貫くのも大変難しいです。新社会人の皆さんが、挫折することなく困難を乗り越えて行ってくれることを祈ります。 (2005/4/15/1:10:4)
悠澪 > 町内会役員:何もしない人に限って文句を言うんですよね。何の役員でも外見からでは分からない、細々とした苦労があります。それを一銭にもならないのにしてくれているということを認識して、感謝しろとはいいませんが、少なくとも文句を言うのはやめるべきだと思います。自分が携わらないことに口出しはいけません、文句があるなら自分から率先してするべきだと思います。 (2005/4/15/1:4:3)
ハイブリッジ > 使命・懸命・宿命 : 言葉そのものから伝わることを、命を使う・命を懸ける・命が宿る、と置き換えると重みが軽くなるように感じ、理解しやすいように思います。一つの例で小説家を紹介していますが、渡辺淳一も同じような見解を述べていたのを思い出しました。センセーションを巻き起こした日経新聞の連載小説を記述中は、大変なエネルギーを要して、くたくたになる毎日であった。気持ちの上で若いエネルギー(命)が無ければとてもあの小説は書けなっかたと。少々外れたかな? (2005/4/13/8:6:43)
ともちん > 使命・懸命・宿命‥このコーナーで、今日も朝から大変良いお話を聞かせていただきました。今日も一日、今ある自分の命を大切にして生活したいと思います。 (2005/4/12/21:18:0)
ハイブリッジ > キャッチボール : この話・話もひとつのキャッチボールだと思う。小生は正面に来たストレートボールも、落ちたり曲がったりするドロップやカーブボールもまともにキャッチしていないケースが多い。それほどピッチャーが多角的かつ多聞的にボールを投げるので、キャッチャーサイドでは右で受けたり左で受けたり、時には真中でキャッチし返球している。時々外して後ろに転がることもある。楽しいコミュニケーションの場を提供して頂いたことに感謝し、参加していることに意義を感じている。 (2005/4/12/7:20:3)
ともちん > キャッチボール‥会話のキャッチボールも相手がどんな事を言ったとしても「いいよ」と許せる心の余裕があれば良いなと思います。 (2005/4/11/21:41:14)
ともちん > 入社式訓示‥このような訓示を聞くと背筋が引き締まり、やる気に満ちてくる気がします。でも入社すると、新人の意見など聞いてはもらえず、「こんなはずではなかった」と思う人も多いと思います。風通しの良い職場作りが、新人を育てると思います。 (2005/4/11/9:40:39)
ともちん > 町内会役員‥役員を引き受ける人がいないのは、大変な仕事なのにそれを感謝する人が少ないのが一番の理由だと思います。どうしたら役員の方の負担を減らせるか考える機会を作るべきだと思います。 (2005/4/11/9:37:51)
ハイブリッジ > 入社式訓辞 : 新入社員だけでなく、在勤の社員全員が心して欲しい訓示である。「喉もと過ぎれば熱さを忘れる」はどこの世界でも同じであり、節目節目で意識させることがポイントだと思う。 (2005/4/11/8:32:2)
ハイブリッジ > 町内会役員 : 小生が住んでいるところは12戸〜14戸位の単町内会役員 : 小生が住んでいるところは12戸〜14戸位の単位で役員を持回りで担当、その中から互選で会長以下の担当役員を決めている。その前に500戸ある地域から、まず会長の立候を募るが、立候補される方はなく互選になっている。役員は数年で一巡するので、各自がその任務が大変なのは良く理解している。課題は、役を降りた時の対応・協力が「喉もと過ぎれば熱さを忘れる」とならないことであるが・・・。 (2005/4/11/8:30:56)
悠澪 > 日本中ナゴヤに注目:ラジオでも毎日、日に何度も、名古屋(愛・地球博)のことが伝えられています。バブルの頃に借金をしてまで事業拡大を図った企業が多い中、愛知の企業は借金をしなかったから、バブルがはじけた後も生き残れたと聞いています。バブル時にも浮かれることなく、地道に努力を重ねた結果ですね。名古屋は偉い、立派です。 (2005/4/8/23:49:35)
悠澪 > 3月31日:今まで意識したことはありませんでした。最近では、お正月でさえ普段と大して変わらず過ぎ去っていました。365日をだらだらとけじめなく過ごすのではなく、せめて、お正月・結婚記念日・誕生日くらいは、誓いを新に、日々の生活を見直し、夢や目標を確認しながら生きていかなければと思いました。 (2005/4/8/22:58:57)
悠澪 > ならぬもの12戒:人間らしく生きていくためには、たくさんの規律があるのですね。その規律を守ることによって、人を傷つけることなく、自分自身も気持ちよく生きていけるのですね。自戒しなければと思いました。 (2005/4/8/22:23:23)
ともちん > 名古屋に注目‥気になってワシントンポストのHPを探して、NAGOYAと入れて検索してみたところhttp://www.washingtonpost.com/名古屋について書かれた記事が出てきました。4月3日付では万博についても触れられています。ワシントン・ポストはワシントンDCの地方紙ではありますが、経済面のページが充実していて多くのビジネスマンも読んでいると思うので、すごい事だと思いました。 (2005/4/8/21:27:37)
ハイブリッジ > 3月31日 : 年度の最終日とその他の月末と異なること。現役の決算日は20日が長く続き、退職3〜4年前に月末に変更されたので、暦の上の月末に馴染まなかった。星野さんのように好きな日はと問われたら12月31日と答える。我家のキッチンにあるカレンダーは、年が変わるごとに各自(嫁に行った娘や孫を含めて)の誕生日にマークが付く。結婚記念日も然り。記念日は意識を持つようにしている。 (2005/4/8/16:59:41)
ともちん > 3月31日‥主婦の私には、3月31日という日は普段と変わりない日になってしまいました。今は結婚記念日が節目でしょうか?月日が経つのは早いので、記念日は特に大切にしたいものです。 (2005/4/7/23:2:2)
ともちん > ならぬもの12戒‥小さい頃から親や周りの方々から教えられてきたのがこの12戒だと思います。日頃から意識したいと思います。 (2005/4/7/10:48:19)
ハイブリッジ > ならぬもの12戒 : 言うは易く行うは難し。見る(聞く)は易く行なうは難し。だ。 重要なのは、これらの訓を見直したり、意識して日々を送ることだと思う。 (2005/4/7/7:32:35)
ともちん > 親が持ち歩く‥お母さん達はいつも「ママバッグ」を持っていて、お店でもママ専用のバッグを色々な趣向を凝らして売っています。その中身はそれぞれでしょうが、何があっても大丈夫といったお母さん方の心構えも詰まっていると思います。 (2005/4/6/21:15:5)
悠澪 > 親が持ち歩く:子供が乳幼児の頃は、遊びやおもらしなどでよく着ている物を汚すので、外出するとなると着替え一式はもちろん、おしぼり・湯冷まし・お気に入りのおもちゃ・おやつ・カットバンなど、大変な荷物でした。が、はし・グラス・はさみまでは思いつきませんでした。それにしても、人に頼らずりっぱなお母さんですよね。最近は、よく箸の持ち方が取りざたされますが、子供用の箸を用意するとかしないとかの以前に、周りの大人たちが正しく持つように心がけるべきじゃないかと思います。 (2005/4/5/23:29:52)
修行ランナー > 喫茶店は社交場:午後3時頃によく使うが、ほとんど一人で入る。静かに明日の作戦を練ることが多い。女性の複数来場者が多いから、やはり社交場かな。 (2005/4/5/21:0:56)
ともちん > 林覚乗住職‥主人の会社からは毎年誕生日にお花と社長からのメッセージカードが送られてきます。経費節減と叫ばれる今日この頃ですが、家族の事を思ってくれている会社に感謝します。素晴らしい話を聴く機会が増えるとそれだけ自分が成長できるように思えます。 (2005/4/5/11:15:50)
悠澪 > 林覚乗住職:“心ゆたかに生きる”読みました。良いお話ですね。“出会い”もそうですが、人の行いの表面だけ見ると馬鹿げているように見えても、その人にとっては深い理由があってのこと、その心を汲み取ってあげることは、目先のことに追い回されている凡人にはなかなかできません。感謝の気持ちも不平不満が先に起ち忘れがちです。常日頃からこのような良い話に触れて、心ゆたかな人になれるように意識し続けたいものですね。 (2005/4/5/0:38:42)
ともちん > 喫茶店は社交場‥名古屋に2年住んでいましたが、モーニングには一度も出掛けた事がありません。どこの喫茶店でもパンなどがついてくるのですか?利用してみたいと思います。 (2005/4/4/0:28:8)
悠澪 > 喫茶店は社交場:北九州の喫茶店にもモーニングサービスはありますが、利用者は少ないようです。喫茶店は、繁華街でないとなかなか見つかりません。家族で食事をするというよりは、待ち合わせやのどの渇きを潤すためにたまに利用しているようです。土地柄によって喫茶店の様子や利用法が違うのですね。自分の住んでいる世界がすべてのように、無意識の内に思っていますが、所変われば品変わるといいますからね。おもしろいですね。 (2005/4/3/22:9:23)
悠澪 > 人は心で生きている:箱入り娘だった私には、周りの人に気配りのできる、思いやりのある人間にならなくてはと思っても、この歳ではそう簡単に性格は変われそうにありません。でも諦めてはいけませんね。せめて、まず笑顔から… 努力しなくてわ。 (2005/4/2/22:49:50)


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