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第11号  2005年3月


(第242話) 習い事の継続 2005,3,31
 “1年のうちで習い事を始める人が最も多い4月に向け、各地の講座・教室は今、新規客の獲得に懸命。
 「ケイコとマナブ」編集長の三木千鶴さんによると、習い事ブームの中、三大定番は英会話、料理、スポーツ。だが、いざ始めても続けるのは結構難しい。実際に途中で脱落する人も多い。
 三木さんは「資格取得でも趣味でも、習い事は目標が明確でない人は続かない」と指摘する。「土曜日はスポーツジムに行く日と決めるなど、習慣づけるのもいい。通いやすい教室や時間帯選びも大事です」
 生涯教育をテーマに活動するNPO法人「学習学協会」代表理事の本間正人さんは、「習い事を始める前に、始める理由を三つ挙げる」ことを提唱する。理由が三つあれば、一つ消えても続けられるからと言う。始めてからは、勉強した日をカレンダーにしるすなど、進歩の軌跡が目で見えるようにするといい。”(3月20日付け中日新聞)

 継続の困難、重要性についてはもう何度も書いてきているが、習い事の継続はまた困難なものである。必要性について稀薄であり、楽しさを感じるまでに時間がかかる。
  ・・・・挫折しないための3ヶ条・・・・
  1)たとえ趣味でも自分なりの目標を立てる。
  2)自分はなぜ始めるのか理由を明確にする。
  3)一緒に習う仲間をつくる。

(第241話) 名古屋テレビ塔 2005,3,30
 文化審議会が3月18日に、名古屋テレビ塔を有形文化財に登録するように答申した。

 “登録有形文化財に答申された名古屋テレビ塔は、完成後50年を過ぎた国内最古のテレビ放送用集約電波鉄塔で、名古屋市のシンボルとして親しまれてきた。だが、地上デジタル放送への完全移行に伴い、11年にテレビ塔としての役割を失うため、将来の活用策が課題。文化財登録も生き残りをかけた試みの一つだ。
 登録文化財は築後50年以上が条件の一つ。54年6月、同市中区の久屋大通公園内にに完成した名古屋テレビ塔は、58年完成の東京タワーなどに先駆けてその条件をクリアした。
 高さ180mで、地上90mに展望台があり、4放送局5波の電波を東海3県に送る。設計者の内藤多仲氏(1886~1970)は、大阪の通天閣や東京タワーも設計した人物で、建設技術も戦前から戦後の過渡期を象徴すると評価された。”(3月19日付け朝日新聞)

 名古屋テレビ塔の入場者は減り、その役割は終えるが、名古屋のシンボルであることに変わりはない。まさしくボクらと共にあった。まだ2年ほど前に遠来の友人を案内し、展望台に上がったばかりである。上手に活用して欲しいものだ。

(第240話) 2007年オヤジの反乱 2005,3,29
 コラムニスト・小林洋子さんが毎日新聞に「オバさんの逆襲」と題して書いている3月19日付けのものである。

 “「2007年問題」で反乱を起こすのは機械ではない。機械のように働き続けたオヤジたちである。
 この年から3年間、団塊世代が定年を迎え、大きな影響が出ると言われる。例えば、ベテラン技術者が皆引退するのでITの基幹システムが保守できなくなる、年金負担や地域福祉コストが増大する、オフィスの入居者が激減して不動産賃貸業が破綻する、など。
 しかし、それ以上に企業や役所がひそかに恐れているのが「苦情の増大」である。リタイアした団塊世代は暇になるが、女房からは相手にされず、持て余した知性と労力のはけ口を「お客さま相談窓口」に求め苦情マニアになる、という予測である。
 身近にも、はやその兆候が。「テレビのモザイク乱用はカメラマンの堕落だ!」と息巻くM氏は番組制作者だった。M氏は時間ができたら膨大な苦言書をしたためテレビ局に送ることを計画している。オソロシや・・・・。オヤジの苦情は理屈が通っていて手ごわい。本欄も2007年には「オヤジの鉄槌」に変わっている・・・・かも。”

 いいことを教えてくれた、ボクもマニアになろうかな。使い方を間違えなければ、世の中の改革になる。それに、オヤジもそれだけの元気が備わっていれば結構なことだ。

(第239話) 名古屋文化 2005,3,28
 “生まれも育ちも名古屋の私が、名古屋の特性について気付くのは、名古屋を離れたときだった。
 濃い色・味のみそ汁、トンカツにソースより味噌をかける。喫茶店のコーヒーにつまみがつく。モーニングサービスがすごい。新装開店の花を少しいただくなど、よそへ行って「ない」と知り、初めてそれが独自の文化と知る。「名古屋帯」という言葉に、実は名古屋こそ着道楽なのではと想像して楽しんだ。
 自分の結婚式の時には絶対嫌と思っていた「菓子まき」の風習。嫌悪感、羞恥心といった負の気持ちが、今は思い出の中で正の気持ちにわずかでも傾いたとしたら、私を小さいころから知り、可愛がってくれた近所の方々に「おめでとう」と惜しみなく言ってくれたことか。名古屋ならではだ。”(3月19日付け毎日新聞)

 「名古屋」というテーマに投稿した岐阜県の主婦・三輪さん(39)の文である。中部国際空港、愛知万博の開催で活気づく名古屋であるが、独特の名古屋文化はすたれていない。どこもかしこも標準化していくが、それでは話題にも思い出にもならない。守っていいものは守っていきたいものだ。名古屋の味は東京にも進出して頑張っている。

(第238話) 生理の終わり 2005,3,27
 “中1の春から始まった生理が52歳の夏で終わった。私は30年近く自分の生理日をきちんと記録した。1年トータルで見ると誠に正確で、自分の体をありがたいと思う。これからは、白いパンツも心おきなくはける。ブランド品にこだわることなく、自分にあったおしゃれもできると気づいた。女を卒業したと言うより、新しい女の始まりと思うことにしている。老いの魅力とは、女を捨てることではなく、女を意識して美しく生きることだ。若いころより、いい女になれると思う。”(3月18日付け読売新聞・要約)

 茨城県・匿名希望さん(53)の投稿文である。ボクがなぜこの文を取り上げたか・・・・改めて女性の偉大さに気づいたからである。男子にはないこうした身体の特徴を負いながら、社会で、家庭で活動するのは大変なことだ。女性は「直感と忍耐」という要素を持っていると先日「ロレアル・ユネスコ女性科学賞」を受けた慶応大名誉教授の米沢富美子さんが言っているが、それもこうした女性の体の特徴から来ているのだろうか。改めて全女性に敬意を表したい。

(第237話) こどもの詩  2005,3,26
 “詩人・宗左近さんの「詩のささげもの」(新潮社)に教えられた詩がある。
   「さかなは 目を あいたまま しんで いる
    きっと たべられるのまで 見ようと しているんだね」
 たきぐちよしお、「さかな」。1968年(昭和43年)の発表当時、作者は小学2年生という。「恐れ入りました。・・・深々と頭をたれるよりほかはありません」。宗さんは読後の感想をそう書き留めている。
  「『命屋』さんがあればいいね でも 命を買い替えられたら
   みんな一生けん命 生きないかもね
   そしたら つまらない人生になるね・・・・」
   (小学3年、東郷史敬)
 本紙のくらし面、「こどもの詩」の最新秀作集「にんげんぴかぴか」(川崎洋編)が中公ラクレから出た。その一編「命屋」には、「ドキッとしました」と川崎さんの評がある。”(3月18日付け読売新聞)

 この「こどもの詩」は(第152話 いのち)でも紹介した。本当にドキッとする。ボクの川柳など足元にも及ばない。

(第236話) ナマハゲ伝導士 2005,3,25
 “秋田県の男鹿半島に伝わる「ナマハゲ」。あのちょっぴり怖くて、なんとなく頼もしい奇習の魅力を広める人を増やそうと、地元の男鹿市観光協会が今月13日、「ナマハゲ伝導士」認定試験を実施した。113人が受験し、男鹿市内は22人のみ、県外からは北海道から福岡県まで47人が集まった。合格してもプラスチック製の認定証とバッジがもらえる程度。
 鬼のような面をかぶり、うなり声を出しながら、ぐずる子供や怠け者を戒める伝統行事。男鹿半島88地区のうち、23地区は「ナマハゲのやり手がいない」「子供がいない」という事情でナマハゲが廃れてしまった。少子化、地域活動の減少、自然への関心の薄れ・・・・。ナマハゲ衰退は、現代社会の象徴のようだ。
 ナマハゲの語源は「ナモミハゲ」。こたつやいろりにあたってばかりいると皮膚にできるナモミ(赤い斑点)をはぐ、怠惰な生活を戒めるという意味だ。ナマハゲは私たちに叫んでいるように聞こえる。
 「自然との暮らしを忘れ、楽に生きようとしている人はいねーがぁー」”(3月17日付け中日新聞)

 私も秋田県に行ったとき「なまはげ館」で見学したことがある。しかし、面白いことを考えるものだ。こういった人生の余興はいい。ボクの「公認ウォーキング指導員」も同じようなものだ。

(第235話) 和魂洋才 2005,3,24
 “名作「雪国」を使って、東洋と西洋の違いを見た実験がある。「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」という書き出しを絵に描いてもらう。日本人の多くは運転士の視線で、トンネルの丸い輪郭とその向こうに広がる雪景色を描く。ところが欧米人の多くは、列車がトンネルを出たところを、鳥の視線で描くという。
 物の見方がこうも違うわけは専門家に任せるとして、欧米人の説明的な絵は、客観性を重んじる科学にも通じる。西洋の科学が日本に入ってきたのは明治時代だが、人々はこれを上手に消化して、日本を科学技術大国に育てた。「和魂洋才」である。
 先月のH2A打ち上げでも、和魂洋才を実感した。チームの幹部がこういったのだ。「(失敗した前回と)三社参りの順番を変えました」。ロケットと神様の組み合わせには驚いたが、別の幹部いわく「それで成功するとは思わないが、行わずに失敗したら後悔するでしょ」
 先端技術を結集した巨大システムを「情」で補強する。なるほど「雪国」の絵も、風情は日本が勝る。欧米臭い科学に、もっと和魂のスパイスをきかせよう。”(3月16日付け毎日新聞)

 毎日新聞科学環境部の元村有希子さんの文である。神頼みの行為は、ほとんどの日本人が、信じてもいないのに今も行なっている。冷徹に考えれば人生の無駄な部分であるが、それがどこかで生きているのであろう。全く面白い物である。

(第234話) 名古屋の金シャチ 2005,3,23
 “名古屋が、愛知万博が近づいてにわかに注目されている。不況知らずの中部経済界に目が注がれがちだが、それ以上に異彩を放つのは食べ物と、金シャチである。そもそも金シャチは江戸城にも大阪城にもあったが、なぜ名古屋のそれだけがマスコットとしてかくも愛されるのか。井上章一の『名古屋と金シャチ』(NTT出版)は、その金シャチの謎に光を当てようとしている。”(3月16日付け中日新聞)

 同日の朝日新聞にその井上章一氏が、『万博に降臨する金シャチ』と題して文を載せていた。
 “いよいよ、愛知万博が始まる。なんと、その開会式には、名古屋城の金シャチが「参列」するという。出品物として陳列されるのではない。博覧会協会から正式に招かれ、列席するのである。地元名古屋では、それがけっこう話題になっている。(名古屋は)不思議な街である。(金シャチが)アイドルになったのは、世界の中でも名古屋だけなのだ。
 理由をあえて簡単にまとめれば、尾張徳川家は、服属のあかしとして明治新政府に、金シャチをさしだした。それが、政府の戦利品として、全国の博覧会で陳列されることになる。海外のウィーン万博にさえ、送りだされていた。名古屋の立場を保全する。金シャチはそのための人身御供、いやさらしものになったのだ。新政府は、まるで尾張公を服属させた、そのあかしでもあるかのように、シャチをあつかってきた。ひどいなあ。あわれだな。こんな気持ちが、名古屋人のシャチに対する愛を増幅させていく。
 以後さまざまな機会をへて、地元のシャチ愛は増幅していった。そして、その感情は今年の万博、名城博へもあふれ出す。”

 私は毎日のように名古屋城の金シャチを見ている。その金シャチが、先日博覧会に列席するために地上に降ろされた。名古屋城の金シャチは明治時代から各地の博覧会のマスコットになっていたのだ。今度はいよいよ地元である。そして、明日開幕である。頑張ってもらいたい。

(第233話) 農業文明 2005,3,22
 “赤ちゃんは、お母さんの体内でどんな過程を経て「人間の形」になっていくのか。
 最初はまず、口と肛門ができて筒状の形になるそうだ。次に、手足や筋肉、骨格がつくられ、最後に脳・神経系統が整備されて、人間さま一丁あがりとなる。
 人類学者の梅棹忠夫さんによると、人間の文明は、この発生学の順番に従って動いてきたという。
 確かに、最初に生まれた農業文明は、口と肛門を満足させるためのものだった。やがて、手足や骨格の動きを助ける機械文明が生まれ、次の段階で脳・神経系に対応する情報文明の時代となる。
 この事実は、三つの文明のうち農業が一番基本的かつ重要な文明であることを意味している。人間は、農業なくして生きることができないが、パソコンやケータイがなくとも、車や洗濯機がなくても、数万年にわたって幸福な生活を営んできたのだから。”(3月12日付け中日新聞)

 これは、地域農業のリーダーたちを称える「中日農業賞」の贈呈式にあたって、小出編集局長が書かれた文の一部である。面白い切り口であると思って紹介した。情報文明の時代といっても、農業文明がしっかりしていてこそ言えることである。果たして、日本の食糧自給率にして農業文明がしっかりしていると言えるだろうか。ボクは家庭菜園に精を出そう。

(第232話) 祖母力 2005,3,21
 評論家・樋口恵子さんが、「祖母力を見直そう」と提案している。今どきの「祖母」世代は、孫の世話だけに満足するのではなく、仕事や趣味を持ち、自分の生き方を持つ。これからの時代にふさわしい祖母の生き方や役割を見直そうと呼びかける。

 “女性が子育てしながら働くとき、いかに祖父母が働く女性を支えてきたか。しかし、評価されていません。祖母が孫を無私の心で慈しみ、孫も祖母を慕うという行為を否定しません。それを踏まえた上でなお、祖母の行為を当たり前のように思っている風潮に違和感を覚えるんです。
 かつて祖父母と孫との関係は5、6歳まで。だから、たとえ溺愛しても子供の成長には問題はなかった。しかし、今は孫が中年になるまでの40年余り、祖父母との関係が続きます。特に、思春期をともに過ごす祖父母にとっては孫との距離の取り方が大切。これが問題です。
 英国では15年前にその名も「祖父母協会」というのが創設されています。祖父母世代の法的な権利を確立しようという動きです。”(3月10日付け中日新聞)

 ここにも「力」が出てきたことにびっくり。確かに母親ばかりではなく祖母の力も大きい。それだけに接し方も重要である。ここも祖母の生き方の姿を見せることが大切であろう。祖父も同じである。

(第231話) もったいない 2005,3,20
 “かつて日本人は「もったいない」をよく口にした。ご飯粒を残しても、しかられた。食や物を大事にするつましさや、たしなみ、作った人への感謝を教える言葉。これを最近注目した外国人がいる。昨年、ノーベル平和賞を受賞したケニアの環境副大臣、マータイさんだ。
 先月来日した際にこの日本語を知って、感銘を受けたという。この4日には国連の「女性の地位委員会」閣僚級会合で、こう演説している。消費削減(リデュース)、再使用(リユース)、資源再利用(リサイクル)、修理(リペア)という「4つのR]を、日本では「もったいない」の一言で表している、と。
 古来まっとうに生きる心を教えてきた「もったいない」。それを忘れては、それこそもったいない。情けない”(3月9日付け中日新聞)

 ボクらこうして育ったが、最近使わなくなったな。これがいけないのだ、外国人に教えられて何としよう。ボクはまだこの精神が残っているから、もっと堂々と使おう。しかし、同じ新聞でも他のページでは消費を進めている・・・これで、エコライフや京都議定書が進められるだろうか。

(第230話) 究極の省エネ 2005,3,19
 楽観主義と題しながらいささか深刻な話を続けましたが、さらに追い打ちをかけるように窮屈な話???イヤ、楽しい話です。

 “私は学生時代、どうしたら省エネになるのか、と家の中を徹底的に調べたことがあります。そして、電気代も月千円程度まで減らせたものの、それ以上は限界でした。
 ところが友人の一人は、何と電気を全く使わないようになったため、アパートのブレーカーを落としてしまったのです。それも、ひもじい生活どころか、とても幸せに暮らしているとのこと。究極の省エネです。
 実はその友人、すてきな彼女を見つけたのです。彼女の部屋に入り浸りになって自分のアパートには帰らず、電気を何も使わないからとブレーカーを落としたという次第です。家で電気を使わなくても、二人でとても幸せな時間を過ごしたということ。納得できましたか?。”(3月6日付け中日新聞・要約)

 「エコらいふガイド」と題してこれから始まる、ひのでやエコライフ研究所・鈴木靖文氏の第1回目の文からです。笑い話のような話ですが、ここには大きなヒントがあります。一人でも多く集まって生活すれば省エネ、大家族は究極の省エネですね。 

(第229話) 楽観主義(その3) 2005,3,18
 “少なくとも過去の負の遺産を未来に付け回しをすべきではありません。たとえば温暖化ガスの排出削減義務を京都議定書の批准どおりに達成するためには、われわれが使用するエネルギーは昭和44年の消費量まで落とさなければならないと言われています。まだ、空調がデパートや高級レストランにしか普及していない時代です。家庭のルームエアコンは全く普及していません。私たちは直ちにその時代に戻らねばなりません」
 こんな政治演説をして当選する政治家は、この衆愚政治の中ではいない。この時代、民主主義の欺瞞は、一国を滅ぼすであろう、甘やかされた衆愚によって動かされているのである。地球規模の複合的カタストロフが時々刻々と近づいている。政治はそれに目をつぶっているのである。三位一体改革や郵政民営化などは枝葉末節の問題であり、政治はこんな小事にうつつを抜かしている暇などないのではなかろうか。”

 いささか過激ではあるが、ここに書かれていることは事実だと思う。アメリカは経済活動を妨げるからと参加していないし、発展途上国は先進国が先取りしておいて自分たちにしわ寄せしていると反発して、無規制になっているようでは誰もが本気とは思いがたい。本当に温暖化が人類の危機ならそんなこといっている場合ではない。まあ、人類なんて地球にとっては単なる一つの生物に過ぎないのだから地球にとってはたいした問題ではない。人類はもう滅亡しかないと腹をくくった方がいい。ボクの時代に滅亡するのではないから・・・これも楽観主義か??? 

(第228話) 楽観主義(その2) 2005,3,17
 “こういう暗い未来の予測はひとり温暖化という問題に限らない。地球的に言うならオゾン層の破壊、森林の急速な減少と砂漠化の進行、酸性雨の広域的増加、種の壊滅的減少、人口の爆発的増加と食糧問題、ダイオキシンや環境ホルモン問題、薬剤耐性菌や化学物質・電磁波による人体汚染、国内的には過飽和状態のゴミ処理問題、人口の減少、少子高齢化。こういうアポリア(解決不能の問題)は、すべて政治が真剣に取り組むべき重要なテーマであろう。
 ところが、民主主義という政治形態を採る国においては、すべての政治家は「明るい未来」を提示できなければ、選挙に勝つことはできない。いわば国家としてのあるべき良きビジョンを指し示せなければ、政治家として通用しない。しかし、これだけ未来に多くの、しかも深刻な懸念がある以上、「カタストロフ(大災害)に備える政治」を掲げるのが政治家の義務といっていい。
 「日本の未来は、暗いのです。しかも極めて危険であります。このことをよく考えて、われわれは現在を未来に備える時代と認識すべきです。(続く)”

(第227話) 楽観主義(その1) 2005,3,16
 3月8日付け建設通信新聞に「民主主義という楽観主義」という論評が載っていた。全くうなずく話で、よくここまで書いてくれたと思うので、いささか長いがほぼ全文を3回に分けて紹介する。

 “昨年の夏は台風の多発と未曾有の上陸率が記録された。台風の多発、真夏日日数の記録更新は地球温暖化が原因とされている。温暖化対策は京都議定書採択以来7年、昨年9月30日、ロシア政府による条約批准の方針が決定されたことによって、先月発効した。だが、2002年度の日本の温暖化ガス排出量は前年度比2.2%増、90年度と比べると7.6%も増加し、達成目標との差は13ポイント以上とほぼ達成不可能な数字となっている。信ずべき科学的予測によれば、このまま温暖化ガスの削減が実行されなければ、自然生態系への甚大な影響、気候の激変(降水量の増加・大雨・渇水)、沿岸の水没・浸食、氾濫区域面積の拡大、砂浜の滅失、農業・水産業への深刻な打撃などが確実に進行していくことになろう。(続く)”
 (*日本は1990年の排出量の水準から、2008年〜2012年の間に、6%排出量を削減することになっている。)

(第226話) 五省 2005,3,15
 先日職場で退職者を送る会が行われた。そのとき挨拶に立たれた人が「五省」を紹介するとともに、それをもじった「シルバー五省」を持って送別の言葉とされた。私は「五省」なるものも全く知らなかったが、感じ入ったので紹介しておきたい。

 “一、 至誠(しせい)に悖(もと)るなかりしか(真心に反する点は、なかったか)
  一、 言行(げんこう)に恥(は)ずるなかりしか(言行不一致な点は、なかったか)
  一、 気力(きりょく)に缺(か)くるなかりしか(精神力は十分であったか)
  一、 努力(どりょく)に憾(うら)みなかりしか(十分に努力をしたか)
  一、 不精(ぶしょう)に亘(わた)るなかりしか(最後まで十分に取り組んだか)”
 これをもじった「シルバー五省」は次なるものである。
 “一、 姿勢に曲がりなかりしか
  一、 言語に縺れ(もつれ)なかりしか
  一、 栄養に欠くるなかりしか
  一、 歩行に憾み(うらみ)なかりしか
  一、 頑固に亘る(わたる)なかりしか”

 この「五省」は旧海軍で将校生徒の教育を行っていた江田島海軍兵学校において使用されていたものである。海軍の言葉ではあるが、この言葉に限って言えば、どのような時代でも、人間が生きるうえでの教訓的な意味を持っており、現代人にも十分通用する立派な反省の言葉だと思う。「シルバー五省」は今の60歳にはいささか早すぎる気がするが・・・・。

(第225話) みのむし夫vs進化妻 2005,3,14
 “定年夫の生き方で、妻の人生は揺れ動く。ストレスからあちこち具合が悪くなる人も多い。私もそうだった。定年後何もせず、どこへも行かず、一日中茶色い毛布にくるまって暮らす夫は、誰かに似ている。蓑虫。みのむしだ!
 妻には定年がない。そして、非社交的で趣味もなく、安らかに余生を送りたい男を、この先2、30年支えていく仕事が加わるのだ。
 夫が会社にいる間、妻は何度も脱皮し進化しているのを夫は知らないのだ。定年後、進化妻とみのむし夫が一緒に住むのだ。騒ぎが起きないわけがない。”(3月2日付け中日新聞)

 「夫婦のための定年塾」を主宰する作家・西田小夜子さんの文である。同ページに「つれあいにモノ申す 妻から夫へ」という投稿文があり、有言不実行、悪いことの自覚がないなどいろいろな不満を述べていた。会社人間の夫には辛い定年後である。ボクもまもなく定年だ。老母二人にてんてこまいの妻にボクまで迷惑をかけられない。

(第224話) 今の感動こそ 2005,3,13
 “受験を控える中3の娘がよいことを教えてくれました。国語の教科書に載っている、アラスカを拠点に活躍した写真家、故・星野道夫さんの「旅をする木」には、北極海沿岸で一緒になったテレビ局の人のことが書かれています。番組の撮影が思うようにはかどらず、あせる様子を見て星野さんは話します。
 後10年、20年たって振り返ったら、番組が少しうまく撮れたか撮れなかったなんて、たいした問題ではない。今、ここに自分がいて、北極海のほとりでキャンプをしていることをしっかり見ておかないとすごくもったいないと。
 受験生にとっても意味深い言葉だと思いました。せっかく出あった教科書やテストの文章に感動することなく、ただ受験のためだけに読んで受験戦争に勝ったところで、そんなことは大したことではない。”(3月1日付け朝日新聞)

 金沢市の田村敬子さん(50)の投稿文です。「今」は二度と来ないのだから、将来の感動のためだけではなく、今の感動を大切にする。もっともなことである。私もウォークなどで写真を撮ることに一生懸命で、ついその場をゆっくり味わうことをおろそかにしてしまうことがある。考えねばならぬことである。田村さんは受験生の親としていわれるからさらに素晴らしい。

(第223話) 観光客は支援者 2005,3,12
 2月28日付けの中日新聞に、ページも人も違うが、たまたま同じような内容の意見があった。一人は以前にも紹介した名古屋大学の池内教授で、新潟中越地震に関して、
 “地震の悲惨さを知っていれば、いっそうその惨状を見たくないと思い、温泉でぬくぬくするのに罪の意識を持ってしまう。だから、どうしても足が遠のいてしまうのだろう。その気持ちは分からないではない。けれど、地元の人にとっての思いは違う。都会の人のもの珍しげな目であっても、ほほえみを交わすと変わっていくのが分かる。温泉に入りに来て欲しい、湯にゆっくり浸って楽しんでもらいたい、それが私たちの助けになるのだし、何より私たちと関係を続けて欲しいのだ。”

 もう一人はスマトラ沖地震津波の復興支援を呼び返るため、来日中のプーケット日本人会会長の宮下さんの話。
 “ヨーロッパからの客は徐々に戻りつつあるが、日本人客は一向に戻ってこない。何より大勢の観光客にきれいな海と自然、タイの人たちの温かさに触れて欲しい。実際にプーケットを訪れてくれることが一番復興につながる。中部地方は新空港の開港でタイとの距離がより近くなった。期待している。”

 冷静に考えれば、同情で敬遠する人より、何であれ関心を持ってくれる人がありがたい。さらに、復興にお金を落としてくれる人が一番ありがたい。でも、ボクには観光客で訪れるのは抵抗がある。

(第222話) 楠木は残った 2005,3,11
 “江碕公朗さんは、町並み保存地区(白壁・主税・橦木町)に、多分、最初に注目した人で、この地区に鍋屋・飯田町などを加えた郷土地史「山吹の歩み」を昭和42年に出しました。
 国道41号東片端北、道路の内側に1本の楠の巨木がそびえ立っています。巨木は道路整備の際に伐採する予定でしたが、地元小学校のPTA会長だった江碕さんが呼びかけ、多くの賛同を得て市長に陳情書を提出。かろうじて保存が決まりました。
 江碕さんは旧貞奴の復元を喜ばれ、開館を心待ちにされていたのですが、1月13日に肺炎で亡くなられました。享年86歳でした。
 伝承によると、この木は城下町ができたとき植えられたそうです。”(2月26日付け毎日新聞)

 (第205話 川上貞奴)の続編の文章である。非常にローカルな話で、多くの読者の方には申し訳ないが、私はこの楠をよく見ているので取り上げた。国道41号の、さらにその国道の中央部には名古屋高速道路が走っており、一般の人には車道の中に立つ楠は非常に目障りな木である。しかし、味な風景を作り出している。こんな経緯があって残ったのか・・・・。1本の木にも歴史がある。歴史は人生の潤いだ。 

(第221話) いい時代 2005,3,10
 “ノンフィクション作家・柳田国男氏を招いて講演会が開かれた。小学生児童による殺害事件を素材に取り上げつつ、幼児の発達過程で当然するべき大人からの愛情を欠落させた子どもたちの今がテーマだった。テレビゲームとケイタイネット社会が広がる中、子どもたちの心の病が不可避的に広がっている・・・・。
 講演が済んで、久々、夕食をともにした。よもやま話であったが、「私などはいい時代に生まれたと思いますよ」という一言が心に残った。氏は昭和11年生まれ。敗戦と戦後の混乱期に少年時代を送っている。一般的にいえばとても「いい時代」とはいえまい。氏も少年期、父と兄を結核で失っている。生活の困難も人一倍味わった。それでも「いい時代」という言葉がすとんと落ちた。”(2月26日付け日本経済新聞)

 ノンフィクション作家・後藤正治氏の文である。柳田氏は敗戦と戦後の混乱期よりも、これからの方がもっと大変と思われてこのようにいわれたのだろうか。そうだとしたら、人間は何を目指して努力してきたのだろう。実質比較にならないほど豊かになっているのに・・・。

(第220話) スペシャルオリンピックス 2005,3,9
 “今日から8日間、長野でスペシャルオリンピックス(SO)が行われる。SOとは、知的発達障害のある人たちにスポーツトレーニングと、その成果を発表する競技会を提供する全世界的活動のこと。障害のある人の競技としてはパラリンピックが有名だが、SOの特徴は最後まで競技をやり終えたもの全員が表彰されること。そして、国や地域の競争という概念がないことである。スポーツで得られるものは勝ち負けだけではない。自分に対する信頼感や、他人への気遣い、感謝の気持ちなど。
 「私たちは精一杯力を出して勝利を目指します。たとえ勝てなくても、頑張る勇気を与えてください」と選手は宣誓する。”(2月26日付け中日新聞)

 読んでいて、ウォーキングと一緒だと思った。競争という概念がない、最後までやり終えたものを全員表彰、他人への気遣い、感謝の気持ち、頑張る勇気・・・。人に勝つよりこれが本当に高尚なことだと思う。
 そして、アジアで初めての祭典は3月5日、史上最多の84カ国約2600人の参加を得て、成功裏に8日間の大会の幕を閉じた。

(第219話) 木原光知子の母 2005,3,8
 “日本水泳連盟の理事に就任した木原光知子さん(56)を取材して、母綾子さんの言葉が印象に残った。日大水泳部を辞めた木原さんは、在学中からテレビ界に入るのだが、アマチュアリズム厳しかりしころのこと、水泳連盟幹部は批判的だった。テレビのリポーターとして競泳競技会場を取材しようとしたときも、取材を許可されず会場から追い出された。
 悔しがる娘を、母はこう諭した。「あんた、水泳連盟にほめられるようになりなさい。表彰される人になればいい」。普通の母親なら「かわいそうに」というところだが、綾子さんの発想は、常に前向きなのだ。
 昨年、水泳連盟は創立80周年イベントで130人余の功労者を表彰した。その一人に木原さんが選ばれた。「お母さんいわれた通りに、連盟に表彰された」。「みっちゃん、よかったね。よかったね」と繰り返す母に「いい言葉をありがとうございました」と初めてお礼を言ったという。”(2月26日付け毎日新聞)

 母親の力は大きい。だから、母親の責任は大きい。母親の言葉を見事成し遂げた光知子さんもまた立派である。

(第218話) とりあえず力 2005,3,7
 “本屋に行ったら、「コメント力」「コミュニケーション力」「段取り力」「質問力」と、力のついた本がずらりと並んでいた。「文脈力」「五感力」「提案力」「会議力」「時間力」「話力」「常識力」「大人力」もあれば、「盲点力」「一行力」もある。
 「力」本流行のきっかけになったのは1998年に出た作家・赤瀬川原平氏の「老人力」のようだ。「老人力」は98年流行語大賞、99年毎日出版文化特別賞を受賞した。年をとったというところを「老人力がついてきた」という。すると年をとることに積極性が出てくると赤瀬川さんが言っている。関係ない言葉に力をつけると、赤瀬川さんじゃないが不思議に積極性が出る。”(2月24日付け毎日新聞)

 この「話・話」の中でも、「年輪力」「盲人力」、さらには「おばさんパワー」などが出てきた。安易な造語は言葉の乱れにつながるが、それでも良い方向につながればよしとしようか。それにしてもこんなに本が出ているのか、何かまやかしにあっている気がする。


(第217話) サラ川も妻が活躍 2005,3,6
 “ケンカしてわかった妻の記憶力  子はカスガイ女房タフガイ俺疎外
  おーい風呂入ったわよと古女房  こたつから首だけ出してしきる妻
  オレオレに亭主と知りつつ電話切る  痩せる術百も知りつつ痩せぬ妻
  ファミレスで母親携帯子はゲーム  ファミレスでママは大盛りパパ子守
  君想い十年後の君重い  愛してる聞いた答えは愛してた
  定年を恐れているのは妻の方  リストラで冬のアナタと妻が言う
  仕事なの?写メールよこせと妻が言い  帰宅して妻の機嫌を犬に聞く
  Mサイズ無理して買ってフリマ行き  その昔口説いた結果の自己責任
  塾帰り息子のご飯は炊きたてだ    帰るコールしなきゃ怒られすりゃ不機嫌 
  共稼ぎ妻の稼ぎは妻のもの  2年目で「ゴミお願い」が「ゴミ出した?」”

  恒例となったある生命保険会社が行っている「サラリーマン川柳コンクール」、今年も投稿のあった約22000句の中から100句が選び出されていたチラシがあった。読んでいて「妻」に関するものが多いことに気づいた。拾い出してみたら20句あった。サラリーマンにとって妻の存在の大きさを改めて認識した。そして、強いことも・・・。

(第216話) リヤカーマン 2005,3,5
  “大阪市東住吉区の永瀬忠志さん(49)の別名は「リヤカーマン」。テントや食料を満載したリヤカーを引っ張る徒歩旅行を初めて今年で30年を迎えた。「旅は遅ければ遅いほどいい。人に出会え、自然の姿に浸れるから。同じようにゆっくり生きていけば、密度の濃い人生になる」。
 永瀬さんが国内外をリヤカーで旅した距離は36500km。リヤカーなしの歩き旅を含めれば、地球一周に相当する40100kmに達した。
 「4000km歩くと重うと気が重いが、1日に40kmずつ10日間で400kmなら行けそうに思える。400km到達したらまた次の10日先のことを考える。それを繰り返す。
 何かを信じてなきゃ、こんな旅はできない。あえて言葉にすれば、生きる本質、命の源を信じているのかもしれない」。”(2月24日付け中日新聞)

 記録を見ると、アフリカ横断、タクラマカン砂漠縦断、カラハリ砂漠縦断等、砂漠の中を150kgの荷物を載せたリヤカーを引っ張りながら歩く。全く人間さまざま、でも、とても信じられない。コメントもできない。

(第215話) 山本音吉 2005,3,4
 “伊勢の大黒屋光太夫、土佐の中浜万次郎・・・。江戸時代の著名な漂流者たちである。二人と同様、波乱に富んだ漂流者が今の愛知県美浜町出身の船乗り山本音吉。14歳だった1832年、遠州灘で遭難した。昨年、シンガポールで骨つぼが確認され、遺灰が一昨日173年ぶりに故郷に帰った。関係者は「やっとお迎えすることができた」と感慨新たな様子だ。
 米国西海岸に漂着して、ロンドンやマカオ、上海と転々とした。マカオ時代にはドイツ人牧師ギュツラフに出会い、初の和訳聖書の完成に協力している。英国側の通訳として日英交渉にも尽力した。
 遺灰が着いたのは中部国際空港で、故郷の発展に泉下の音吉も目を見張ったことだろう。”(2月22日付け中日新聞)

 この音吉を主人公に三浦綾子さんの小説「海嶺」があるが、私の手元にあり、この機会に再度読んでみたい。また、「和訳聖書発祥の碑」も以前訪れたことがある。今、知多半島の美浜町では遺灰帰国を機会に大々的に音吉で売り出そうとしている。中部国際空港の開港を機会に、知多半島がどう変わるのか当分目が離せない。

(第214話) ひな人形 2005,3,3
 今日は桃の節句、ひな祭りである。
 “ひな祭りは五節句のひとつ。日本人形協会によると、古代中国ではこの日、水辺で体を清め、宴会を催し、厄よけを行った。
 日本では江戸時代、幕府が五節句を祝日と定めたことから、ひな祭りが華やかな行事として広がっていった。人形の数や種類も増え、ひな人形や道具を扱う店が並ぶ「ひな市」まで市中に立つようになった。
 現在、ひな人形を買っていくのは、女の子が生まれた家庭だけではないようだ。「インテリア感覚で自分のために買うという独身女性や、経済的に余裕ができた高齢の女性が増えているのですよ」と、久月総務部次長の坂尻さんが教えてくれた。
 3月3日のひな祭りは今も多くの女性にとって、子供の頃を思い出すイベントだ。この日を境に春の気配を感じることもある。”(2月24日付け読売新聞・要約)

 ボクは娘が生まれたとき、今のように内裏様だけを扱っているものはない時代で、製造元へ行って、段飾りの内裏様だけ一対を買い求めた。先日、孫娘のために娘夫婦はこの内裏様を持っていって飾り、わが夫婦を招いてくれた。

(第213話) ドロシー・ロー・ノルト 2005,3,2
 “つい最近、ある詩に出合いました。ドロシー・ロー・ノルトというアメリカの家庭教育学者の作った「子ども」という詩で、スウェーデンの中学校の社会科の教科書に収録されております。この詩は人と人との結びつきの大切さ、人を愛することの大切さ、人への思いやりなど今の社会で、ともすれば忘れがちな、しかし子どもの成長過程でとても大切な要素を見事に表現していると思います。
  「批判ばかりされた 子どもは 非難することを おぼえる
   殴られて大きくなった 子どもは 力にたよることを おぼえる
   笑いものにされた 子どもは ものを言わずにいることを おぼえる
   皮肉にさらされた 子どもは 鈍い良心の もちぬしとなる
   しかし 激励をうけた 子どもは 自信を おぼえる
   寛容にであった 子どもは 忍耐を おぼえる
   賞賛をうけた 子どもは 評価することを おぼえる
   フェアプレーを経験した 子どもは 公正を おぼえる
   友情を知る 子どもは 親切を おぼえる
   安心を経験した 子どもは 信頼を おぼえる
   可愛がられ 抱きしめられた 子どもは
     世界中の愛情を 感じとることを おぼえる」”(2月23日付け中日新聞)

 皇太子様の誕生日の日における会見からである。各メディアで紹介されているので、どなたもご存じだろうと思うが、素晴らしい詩であるので、ここにも掲載した。すでに、ハイブリッジさんやくみさんも1行メッセージで引用されている。

(第212話) SRG(ストレスの関係した成長) 2005,3,1
 “ストレスは人間の体や心に悪い影響を与え、時には病気の原因になる。だが、ストレスもその受け取り方によっては、人間を成長させることもあるというのがSRG(Stress Related Growth・ストレスに関係した成長)という考え方である。
 愛する人を失うという体験はつらく、悲しく、強いストレスである。しかし、死別という体験を通して、素晴らしい人間的成長を遂げる人が存在する。
 奥様を看取られたある方が「家内がいなくなって、本当に寂しくなりました。でも、家内の死を通して人の命の尊さ、人間の弱さと強さ、親切にされることのありがたさなどを学びました。今までかなりいい加減に生きてきましたが、これからは家内の分まで、しっかり生きていきたいと思っています」と言われた。典型的なSRGである。
 人間の弱さを理解しつつ、その強さに目を向けることも大切なのである。”(2月22日付け中日新聞)

 もうすでに2回(第169・181話)紹介した金城学院大学・柏木学長の文である。やはりどんな良いこと、悪いこと、楽しいこと、辛いことも捉え方である。何事も成長に捉えることができる人というのは「人生の実力」がある人ということではなかろうか。


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