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(第158話) 除夜の鐘 |
2004,12,31 |
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“大分県国東町の泉福寺住職、無着成恭さん(77)はいう。「仏教では一切の欲望、妄念を煩悩という。人間だけがモノを作る生き物なので、煩悩が増大してしまい、自分でコントロールしなければならなくなった。それができない人を餓鬼という。だから、除夜の鐘は餓鬼になるなと自分自身を戒め、新しい気持ちで出発するために突く」 また、宗教思想家のひろさちやさん(68)は「思うがままにならないことを思うがままにしようとすることが煩悩。せめて大晦日だけは自分の中にある煩悩を108数えだし、1年の総反省をする機会だととらえればいいと思う」”(12月26日付け毎日新聞)
さて今年も残すところ数時間、まもなく除夜の鐘が聞こえてくるだろう。ボクも今年1年を反省し、新たな気分で新しい年を迎えることとしよう。 この「話・話」を愛読していただいた皆さんには、拙い文におつき合いくださいまして、またご声援いただきましてありがとうございました。それではよいお年をお迎え下さい。
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(第157話) 年末状 |
2004,12,30 |
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桑名市の加藤さん(78)の投稿文からである。 “12月に入り、今年も「年末状」を書いた。年末状は古希を迎えたとき、年賀状に代えて書き始めた。高齢になって過去を振り返る気持ちが強くなったからだろう。その年のことは、その年のうちに区切りをつけようと思ったことも理由の一つかもしれない。年末状は、いわば私の活動報告だが、私と年末状を受け取った人々との「約束」でもあるから、きちんと実行していかねばならない。”(12月26日付け朝日新聞・要約)
年末状などとは始めて聞いた。古希になっての発想というのもいい。いくつなっても新たな挑戦ということは大切である。 これを知ったボクはどうすべきか・・・・・今年1月1日に恥ずかしげもなく、多くの人にメールで今年の抱負を書き送った。年末状として、1年のお礼と共に活動結果を送ろうか・・・・。
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(第156話) 家計簿45冊 |
2004,12,29 |
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“「もうやめようか」と思いながら45冊の家計簿が並んでいる書棚を見ると、我ながらよく続けたものだと感心する。「結婚以来つけている」というと「エーッ」」とびっくりされる。新婚のころは婦人雑誌を活用することが多かったが、今は統計ノートを使っている。赤線が適当な間隔で引いてあるので、私なりの項目をつくり日記も兼ねて記帳していて、とても重宝だ。”(12月24日付け朝日新聞・要約)
この文は鈴鹿市の主婦・鈴木さん(69)の投稿文である。家計簿も日記と同じである。どうもボクは継続という行為にはすぐ感心してしまい、ここに紹介することが多くなってしまう。(第10話)(第45話)(第146話)(第154話)・・・など。我々凡人がなせる最大の行為は「小さな行為の継続」だと思っているからである。 ところで家計簿であるが、実はボクの妻も全く同じであるのだ。結婚して以来日記を兼ねて続けている。ただ違うのは、家計簿が一貫して「ときわ総合サービス(株)(以前は貯蓄広報中央委員会」編集発行のものであることと、継続年数が違うことだ。ボクたちはもっと若いのだ。
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(第155話) ヒミツのサンタ |
2004,12,28 |
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“12月に入ってクリスマス気分も高まってきました。我が家の「ヒミツのサンタクロ−ス」は今年も本屋通いが始まりました。 12月25日の早朝、目覚めた娘たちの歓声を聞きたくて、あれこれ悩みながらもクリスマスプレゼントの本を選ぶこと23年。長女の誕生以来、枕元にはたくさんの玩具やお菓子といっしょに必ず1冊の本を添えてきました。(中略) 絵本から始まって童話や小説、伝記、ブームになった本、ハウツーもの。人として女性としてすてきな人生を歩んでいけるようにと、5人の娘たちの年齢や個性に合わせて毎年選んできた5冊の本。親の思いを伝えたくて贈り続けてきました。”(12月21日付け朝日新聞)
5人の娘さんに、クリスマスの日に23年本を贈り続けた名古屋市の主婦・牧山さん(51歳)の作文である。贈る母親ももらう娘さんも、素晴らしい家族だ。本だというのがまたいい。「23年間も師走の本屋通いをさせてもらったのですから、娘たちのからの贈り物だったのかも知れません。」という言葉も素晴らしい。そしてどこまで続くのでしょう、興味があります。 それぞれの家庭にはそれぞれのやり方で素晴らしいことが行われている。ボクは娘にしてやらなかった分、孫に考えるか・・・・。
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(第154話) 学級通信7000号 |
2004,12,27 |
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“一宮市北方小学校の三輪教諭(59)が、子どもや親に当てて作り続けた学級通信が、今月7000号に達した。三輪さんは「子どもたちの喜ぶ顔が楽しみで作り続けてきたが、来年3月の退職を前にいい記念になった」と38年の教師生活に充実感を抱いている。”(12月17日付け中日新聞)
学級通信はすべて手書きで、内容は子どもたちの日記から数人をピックアップし、三輪さんのコメント付きで紹介したり、子どもたちの様子を大きなイラスト入りで伝えたりである。最初は週2、3回の発行、90年からは毎日にしたという。 全くすごい人がいるものだ。それも身近に・・・・調べてみたら高校の先輩であった。7000だよ!7000!。
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(第153話) ちいさな「いいこと」 |
2004,12,26 |
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“モンテーニュもいっている。「人間は、物事それ自体によってではなく、彼らがこれに関して抱いているところの考えによって苦しめられている」 ぼくもこの意見に賛成する。外の世界が暗いとき、自分の心まで暗くしてはいけない。自分の心の暗さや明るさ、温度や湿り気を決めるのは、それぞれの人に任せられた仕事なのだ。大変な1年だったけれど、何とか今年も乗りきることができた。日々を懸命に生きている人の暮らしなら、必ず心の隅を照らすような小さなエピソードが、この1年であったことだろう。あなたの家族あるいは好きな人に、なにかいいことは起きませんでしたか。そういうちいさな「いいこと」を胸に灯のようにかかげて、ちょっと早いけれど新しい年も、ゆっくりとすすみましょう。”(12月16日付け日本経済新聞)
日本経済新聞の「プロムナード」という欄から作家の石田衣良さんの文を紹介するのは、(第62話 得するカード)(第129話 子どもの運命)ともう3回目である。この欄で知るまでこの作家の名さえ知らなかった。「約束」という本も買って読んだ。何かファンになってしまった。 「自分の幸不幸など自分の気持ちの持ち方次第、小さな良いことなどきっとある」という今日の引用した文など、全く頷ける。「話・話」をきっかけに、こうした文を注意深く読むようになっただけでも、今年はいい年だった。
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(第152話) いのち |
2004,12,25 |
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“ねぇ お父さん まい日死ぬ人がいて まい日生まれる人がいるね どうしてだろう 人ってふしぎだな いのちってふしぎだな まえからずっとかんがえていたけど わかる? おとうさん” (12月16日付け読売新聞)
これは清水さんという小学2年生の詩です。このページでも第143話などで命について触れてきた。自殺を含め命が粗末にされていると感じる昨今である。この命の不思議と思う心が、命の大切さを知ることになるであろう。お父さんはどう答えられたのでしょう。
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(第152話) 今年の漢字「災」 |
2004,12,24 |
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“2004年の世相を象徴する「今年の漢字」に「災」が決まり、日本漢字能力検定協会が13日、京都市東山区の清水寺で発表した。 全国から過去最多の約9万2千通の応募があり、「災」はうち2割強の約2万9百票を集めた。新潟中越地震や相次いで列島に上陸した台風、夏の猛暑など記録的な天災と、イラクでの人質殺害や幼児虐待、子どもの殺人事件など人災が多発したことを反映した。 「人間の身勝手さに神や自然が怒ったように感じた」「天災に人間がいかに無力化を痛感した」などの意見が多かった。”(12月14日付け中日新聞)
このような漢字を選ばなければならなかったとは、それほどに嫌な年であったのか・・・・。2位以下は、韓、震、金、新、風であった。 ボク個人的には・・・新?、静?、・・・。
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(第151話) 日記術 |
2004,12,23 |
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書店や文房具店に、2005年の日記帳が並んでいます。「今度こそは!」と決意するのですが、三日坊主に終わる人も多いでしょう。12月14日付け読売新聞に、「三日坊主にならない!?日記術」が載っていましたので紹介します。
“30年間日記を続け、「日記の魔力」を出版した駿河台予備校講師の表三郎さんは、「気負って、うまく書こうとすると、長続きしません」とアドバイスします。 「朝何時に起きたとか、誰にあった、といった事実だけを淡々と、短く書き続けるだけで最初は十分です」。寝る前、起きてからなど、日記をつける時を決め、自分の生活リズムにあわせて習慣化することも、長続きのコツだと言っています。 「怒りや落ち込んだ感情などをそのままぶつけると、後で読み返した時に、恥ずかしくなるから、やめましょう。」表さんは、学生時代に書いた愚痴ばかりの日記を、後から焼き捨てたことがあるそうです。”
まとめれば@事実だけ淡々とつけてみよう。Aいつ書くか決めて習慣化。B「よい思い出」を中心に。 Bについて、向後千春早稲田大学助教授も、「できるだけ嫌なことは書かずに、楽しい思い出やエピソードを書くようにします」と同じことを言っています。
(第103話)でも触れたが、日記を書き続ける効用は大きい。私も21年目にはいるが、続けてこられたのはAのことが大きいと思っている。私は朝起きて、前日のことを書くのである。夜は仕事や飲んで帰ったりして一定の時間が取りにくいが、朝は行動がほとんどパターン化していて、その中に組み入れてしまえば楽なものである。私のHP「付録→継続の秘訣」でも触れています。
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(第150話) 捨てられない「初代車いす」 |
2004,12,22 |
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“車いすは体の一部であり、なくては生活が成り立たない。それを今月、新調した。先代とは1999年からの付き合いだった。 アスファルトの道が思ったよりデコボコしていること。平らに見える道も傾斜や高低差があること。目的地が見えていても、行けないところが多いことなど始めて気づいた。
車いすの操作方法もたくさん学んだ。側溝の溝には前タイヤがはまってしまうので、斜めに横断する方がいいこと。急な坂道は後ろ向きに降ろしてもらうことなのだ。 初代はボロボロでもう乗ることはできないが、思い出がいっぱいで、捨てることができない。”(12月12日付け読売新聞)
同志社大学4年の館林さんの文である。やさしい街作りで車いすの活動もしやすくなったとは思うが、健常者の我々には思い至らないことがまだまだいっぱいであろう。(第31話)で点字ブロックのことを書いたが、昨日(12月21日)の新聞にも、横断歩道の白線を越えて停止した車のために、盲導犬が青でも前に進まない話がでていた。こうした人にも活動しやすい環境に気配りしていきたいものだ。体の一部だから古くなっても捨てられない、これも優しさである。
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(第149話) 「天下取り」第1歩 |
2004,12,21 |
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“8月12日の誕生日、窓のない楽屋の壁に、獅篭さんは再起の決意を込め、「この楽屋(どくぼう)にて32歳を迎えた新出発。平成15年」と落書きした。 明石家さんまやビートたけし、泉ピン子さんも、若き日をこの楽屋で過ごした。さんまさんのギャラは1日1000円、10日で1万円。新幹線は高いので交通費は近鉄往復分だった。 「今日も客なし、明日は?」。1975年8月16日の日付のある、さんまさんの落書きが「三号楽屋」の化粧用の鏡台の裏側に残されてる。”(12月12日付け読売新聞)
これは名古屋にある大須演芸場の話である。何度も赤字で廃業の噂が立つ演芸場でもある。この演芸場は東京や大阪から来たギャラの少ない若手芸能人たちが、今も「天下を取るぞ」「スターになる」という落書きがある楽屋で寝泊まりし、歯を食いしばっている。こうした苦労をした何人かがスターになっていくのである。 私の発案で今年9月、職場でそろってこの演芸場に出かけた。入場料2500円、飲み食いしながら大いに楽しんだ。
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(第148話) あたたかい心を育てる運動 |
2004,12,20 |
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「あたたかい心を育てる運動」は、「あたたかい心を持つ人間づくり」を目指し、「育児の神様」といわれる内藤寿七郎・日本小児科医会名誉会長と、漫画家の故・手塚治虫氏、葛西健蔵・アップリカ育児研究会理事長の3人が約30年前に提唱。97年に同医会、同研究会、手塚プロダクション、内藤育児記念会、大阪小児科医会、日本・中国育児研究会、毎日新聞社の7団体が運動本部を設立し、子育てに関するシンポジウムの開催などに取り組んでいる。今年の大阪大会が11月16日に開かれ、仁志田博司氏(東京女子医科大学)の記念講演の概要が12月10日付け毎日新聞に掲載されていた。
“日本の新生児医療は「なぜ世界一の水準になったのか」とよく尋ねられます。私は「社会ダーウィニズムから脱却したため」と答えています。社会ダーウィニズムとは、強者が生き残り弱者が死んでもいい、いや死ぬべきだという優生思想です。世の中で一番弱いのは赤ちゃんです。弱い人とも共に生きる。そのあたたかい心が社会を豊にします。 新生児、障害者、高齢者らを含め人間は皆つながって生きており、そのつながりを感じることが優しさの根源です。 他人の痛みが分かる優しさを、ではどうやって学ぶのか。幼いときに愛を受けると、この世で絶対的に自分を受け入れてくれる人が、たった一人でもいることを知ります。そして、その人を悲しませたくないと思うようになります。”
いろいろな運動があるものだ。そして今こそ必要だと思う運動が、すでに30年も前につくられていた。
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(第146話) 小さなチャリティー |
2004,12,18 |
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“数年前のある日突然、日本点字図書館の本間一夫理事長から点字の手紙が届いた。 「長年にわたる毎月のご協力、今回も3千円確かにいただきました。カードを見ますと、最初にいただいたのは昭和45年の12月となっておりますからもう30年となります。極めて少ないケースです。その間に事業はずいぶん大きくなりました。お陰様です」とあった。 私自身は、30年の間に転勤があったり出張中だったり、うっかりして忘れることもあったので、実際の寄付は200回を少し超える程度だったが、文字通りの「貧者の一灯」が長い間しっかりと記録されていたことに驚くと同時に感激した。”(12月10日付け日本経済新聞)
これは、富士電気ホールディングスの加藤丈夫相談役の文である。「私の幸運は上司の(小さくても何か一つのチャリティーを続けてやればいいんだという)一言から始まったのだが、チャリティーは継続するもの、そして心の通い合ったものでありたいと思う」とも書かれている。「私の幸運」と書かれている、私はこの言い方も素晴らしいと思う。 私????・・・・。
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(第145話) 血液型の性格判断 |
2004,12,17 |
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“またぞろ無責任きわまりない血液型の話が、テレビで流され始めている。ABO血液型による性格判断には、一編の科学的な論拠もなく、統計的にも全く無意味なことが、学会ではとっくに決着済みだ。しかし、この「迷信」はしぶとく生き残り、差別という害毒を流し始めている。 隣人や同居人として避けたい血液型というアンケートでは、B型とAB型が多数を占めたという。血液型性格判断の文章を読むと、売れ行きを意識してか、日本では多数派のAとOについては肯定的な言葉で表現し、少数派のBとABを協調性を欠く負のイメージで描くことが多い。”(12月11日付け日本経済新聞)
私は子どもが生まれたとき、名付けの本を買ってきた。その中に「Aという占い師が付けた名を、Bという占い師のところへ持っていったら、絶対そのまま認めないだろう。」という文章に出合った。もっともだ、それでは商売にならない、目から鱗が落ちた思いだ。多分20代の時だったと思うが、ある本の姓名判断を見たら、私の名はこの世に存在するのが不思議なくらい不運な名だった。でも、私は今でもとりたたて不満もなく生きている。もともとこのような話は信じない私であるが、それ以来さらに信じなくなった。もちろん血液型も・・・・・小学生の中ではいじめの原因にもなっているという。もう酔狂な遊びではすまなくなっている。
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(第144話) 「死」から目をそらす人たち |
2004,12,16 |
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“北米産のブラックバス駆除法がほぼ確立したとの記事(9月)に、メールやファクスをいただいた。バス釣りが好きな中学生のメールが気になった。 「地元の小学生と一緒に駆除をしたといいますが、手伝わせるなんてひどすぎる。命の大切さを学ぶところなのに、それをやらせるなんてかわいそうです。」 心優しい彼にとって、バスの駆除は命を奪うことで、バスによって絶滅させられるメダカやフナ、タナゴなど在来種の命は見えないのだ。(中略) 「死」を知らない世代が増えている。「太陽も死もじっと見詰めることはできない」と喝破したのはラ・ロシュフコーだが、死から目をそらすよう教えられた子どもは、命の大切さを知らず、自然の営みに思いをはせることも少なくなるかも知れない。”(12月11日付け朝日新聞)
昨日の(第143話)「鶏の解体実習」に通じる話であるので、続けて紹介した。中略した部分には、野のタンポポを摘むことや、トンボを捕ることの非難の話も出ていた。 人間は何を言っても動植物の命を奪ってしか生きられない。自分が命を奪わなくても、奪うことを職業にしている人がいて、その恩恵で我々は生きていることもある。そのことを見据えて、命を大切にしていかねばならない。感傷や身勝手な判断であってはならない、極端に走ってはならない。状況をしっかり捉えた判断が重要だと思う。
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(第143話) 鶏の解体実習 |
2004,12,15 |
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11月20日にNPO法人グラウンドワーク東海も係わって、「大江川 水土里フォーラム」が開催された。その展示会場に「新田舎人」という冊子が置かれていて、第41号をいただいてきた。その第1ページに「命を大切にする教育」と題した随想が載っていた。 “九州のある高校の農業系学科で、生徒たちがニワトリをヒヨコから飼い、生育後に解体し、食べる「いのちの授業」を行っているというのだ。この高校は、従来、飼育したニワトリには情が移り、生育後は出荷していたところを、あえて「尊い命をいただく日」の実施に踏み切った。 想像してほしい。もっとも多感な高校生たちが、自ら飼育したニワトリをさばき、食べる姿を。そこには並々ならぬ葛藤がある。実際、解体時には悲鳴や泣きじゃくる生徒の姿があった。 「命」は理屈では教えられない。また、青少年だけではなく、大人自身が「命」とどう向き合うか、どう向き合っているかが問われている。”
高校教育でここまでやるのか、一読して私はショックを受けた。インターネットで早速調べてみた。授業を担当した高校教諭自身の授業リポートや生徒たちの心情、葛藤、授業の準備と様子、その後が詳しく書かれている。人間が生きていくには、動植物の命を奪わねばならない、そこをしっかり見詰めることによって命の大切さを知ろうというわけである。 凶悪な青少年犯罪が頻発している。「命を大切にする教育」の重要性が叫ばれ、いろいろな試みがなされている。私自身の命を含め真剣に向かい合わねばならない。「親が育てたいようには子どもは育たないが、親のように子どもは育つ」という言葉もある。人のことはさておいて、まず自分自身が問題だ。
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(第142話) 一筆入魂・木梨憲武 |
2004,12,14 |
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12月11日、夜9時からのテレビドラマ「にんげんだもの・相田みつを物語」をつい引きずり込まれながら、一生懸命見てしまった。
“「筆を持ち半紙に向かっているうちに、似せて書こう、うまく書いてやろうという余計なものが消えた。自分の気持ちが入って書けたときに、石橋冠監督からOKが出た。俺は日ごろ絵筆で遊んでいるけど、書は1色1回勝負。呼吸やリズムが大切だと教わりました」”(12月10日付け毎日新聞)
上記は「相田みつを物語」で自らの書を披露した木梨憲武の言葉である。当初、アップは吹き替え代筆の予定だったが、書の先生のお墨付きがでたほどの「一筆入魂」とあり、これを読んでうなってしまい、ここに紹介する気になった。あれが吹き替えではなかったのか・・・。 それまで、相田みつをについては書家?詩人?程度、その役を演じた木梨憲武についても何かお笑いに出ている人程度の知識であった。この文章を書くに当たって、二人について少しインターネット調べてみた。「つまづいたっていいじゃないか、にんげんだもの」二人ともつまづいて、努力して、こうした素晴らしい人間になった。
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(第141話) 白い卵 |
2004,12,13 |
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“壺井栄さんの童話の一つに「白い卵」がある。食料事情が悪かった終戦後の話だろう。おじさんが持ってきてくれたにわとりが真っ白な卵を産んだ。「てのひらにのせてながめているだけでも、じようになりそうな気がしました」子どもはそう思い、すぐ食べるのは惜しいと、卵をラジオの前に飾ってみんなでながめるのだった。 まもなく彼らの年がくる。その賜を茶の間に飾る時代ではないが、日々食することができるありがたさは味わい直したいものだ。”(12月4日付け中日新聞)
(第137話)「飯に醤油」と同じような時代、同じような話である。私もこの話に思い出すことがある。 小学校時代、私の家では数羽のにわとりを飼っていた。産んだ卵は籾殻の中に入れて保存した。20〜30個たまると近くの万屋(よろずや)へ持っていって物々交換をしていた。そしてほんの時折、卵ご飯を食べさせてもらった。あの嬉しかったこと、最高に幸せな気分であった。今は何を食べてもあのような幸せな気分になれない気がする。 今年は鶏卵が13年ぶりの高値になっているという記事からの話であるが、また懐かしいことを思い出させてくれた。
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(第140話) 選ばれた靴 |
2004,12,12 |
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“お気に入りの靴がなくなって半月が過ぎました。それは、市内の和食店でのこと、食べ応え十分のランチを終え、お座敷を出たときでした。どこを見ても私の靴がないのです。その代わり、色も形も異なる靴がポツンと置かれていました。間違えて履かれたとは思えない状況に、はだしの私は「やっぱり」とがっかりです。 どなたかの元へ持ち去られたのでしょう。とすれば「あなたは選ばれたの」とあの靴に諭してやりたくもなります。あの靴を履いた方が、転んだりしないで、私みたいにどこまでもランランランと歩いてくれたらと願いましょう。そんな考えが自然にできる年齢になったことに感謝の私です。”(12月5日付け中日新聞・一部省略)
「くらしの作文」に載せられた豊橋市の主婦・近藤さん(58歳)の作文である。靴を褒められると自分が褒められているような気分であったというので、さぞお気に入りの素晴らしい靴であったろう。普通なら悔しく、腹が立ったでしょう。でも近藤さんはこのように書かれた。ただ年齢でしょうか?・・・ボクはその年齢を超えている。
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(第139話) ゼロに戻す営み |
2004,12,11 |
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歌手の加藤登紀子さんが、毎日新聞の「この人、この時」の欄に5回にわたり書いていた。その12月3日の最終回から。
“特に団塊世代の男性、元気がないですね。間近に迫る定年退職、そんなに心配かしら。定年はチャンス。今まで生きてきた時間を生かすため、仕切り直しをして、元気を出さないともったいないよね。 女はこれまでも、とても短いサイクルで生きてきた。ご飯を作って食べて、洗濯をしてまた汚して。進歩がないように見え、若いころはうんざりしたけど、毎日創り出して毎日ゼロに戻す営みをしぶとく積み重ねたことが、今、強みになっている。 男たちは進歩したり、増やしていくことに価値を置いてきたから、定年で白紙に戻されるのがつらいのでしょう。毎日プラスマイナスゼロで生きる生活感が必要ではないかしら。残る人生で、男性に「営む」ことを経験してほしいな。”
彼女独特の強い女と弱い男の分析に興味をひいて紹介した。なぜこんな主張を紹介するの?・・・・実はボクも非常に不安なのだ、弱い男なのだ。更に最後に「人間はなぜ生きているの?生きるようにできているから。目的も理由もいらない。生きることの中に答えがある。」と書いている。
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(第138話) 強迫性障害 |
2004,12,10 |
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強迫性障害とは、細かいことが気になって、いくら振り払おうとしても振り払えず苦しくなる強迫観念と、不安を振り払おうとして同じ行動を繰り返す強迫行動が特徴的な精神疾患です。
“強迫性障害もほどほどであれば大切な意味を持つということである。手を洗うことは感染症を予防するために大事なことだし、ガスの元栓や家の鍵もきちんと確認しなければもちろん心配だ。うつ病でも同じだが、精神疾患の症状はある程度まで安心して生活するために必要なもの。誰でもかかる可能性があるものだ。”(11月30日付け日本経済新聞)
車のキーをしたか、家の鍵をかけたか、電気は消したか、出かけ始めて気になってまた戻ってくる。ほとんど100%きちんとしてある。ボクは少しおかしいのではないかと思ったりしていた。しかし、この文を読んで安心した。ボク程度のことは誰にもあることなのだ、そして、必要なことなのだ。でも、極端な場合は「生活に支障を及ぼす十の疾患」のひとつである。
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(第137話) 飯に醤油 |
2004,12,9 |
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中日新聞に「月が照っても青いから」というタイトルで、劇作家の北村想氏が月2回随想を書いている。11月30日の第38回は「哀しい話」という題で、飯に醤油をかけたの昼飯のことを書いていた。 学校給食のない土曜日、共稼ぎの北村氏の家では、北村氏が学校から帰っても昼飯が作ってなくて、冷や飯にバターを落として、醤油をかけて食ったというのである。このことが「哀しい」ということではなく哀しいのは別のことで、このことは強さを養ったといっている。
この文からボクは小学校時代を懐かしく思い出した。「飯に醤油をかける」、もうすっかり忘れていたが、ボクも全くそうだった。北村氏より7歳年上のボクは全く学校給食にありつく機会もなかった。北村氏はバターといっているが、ボクは白砂糖であった。飯に白砂糖をまぶし、たまり(醤油)をかける。それも内緒で白砂糖をかけるのであり、多くはたまりのみである。それでも少しも哀しいという思い出ではなく、今はただ懐かしい。人間の豊かさ、幸せって何だろう。 北村氏の文がなかなか要領よくまとまらなかったが、「飯に醤油」のことを思い出させてくれたことを是非書きたくて書いた。
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(第136話) 年賀状の添え文 |
2004,12,8 |
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年賀状の心得として、マナーデザイナー・岩下宣子さんが“印刷された年賀状でも一言手書きが添えてあると目に留まる。「あの人の年賀状が毎年楽しみ」と思ってもらえるようにしたい。”と書きながら、 “添え文に書く内容に悩む人も多いだろうが、要は新年のあいさつに行ったときのことを思いだして書けばよい。「今年はこれに励もうと思うのでご指導よろしくお願いします。」といった「所信表明」の場にもなる。年賀状で結婚報告や引っ越し通知をする人もいる。正月をはさんで2ヶ月くらいであればかまわない。あるJR東日本の元役員は、今の職場の名称や肩書きなども差出人の場所に書く。「いまここで頑張っている」と相手に知って欲しいとの思いからだ。”(12月4日付け日本経済新聞)
今年ももう年賀状を書く季節である。考えてみると、妻はほとんどの年賀状に添え文を書いているが、私はだんだん少なくなっている気がする。もう一度初心に戻らねばと思う。ただ私の救いは、1981年以来夫婦二人の川柳を掲載していることである。これを楽しみにしていると言っていただける知人もある。(このホームページの「川柳→年賀状展」に過去のものすべてを載せていますのでご覧ください) 今年はどんな句だって?・・・正月が来たら教えましょう。
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(第135話) 残された男たち |
2004,12,7 |
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永六輔(71歳)と田原惣一朗(70歳)・・・共通点は愛する妻をがんでなくした。 “死んだ妻の後を追った江藤淳の気持ちがよく分かるという。永は食器を洗っていてそばの包丁が目に入り、これは危ないと急いで包丁を隠した。田原は空いた時間があれば100%妻のことを考えてしまい、つい後を追いたくなる・・・。そして後に続く男たちへの二人の言葉は「妻が元気なうちに、もし妻がいなくなったらどうするかを考えておくこと」。自らが果たせなかった「自立」への準備のすすめである。”(11月29日付け中日新聞)
これは「文藝春秋 12月号」の永・田原の記事を紹介・感想を書いた文から抜粋したものである。この社会一級に恵まれ、自立していると思われる二人にしてそうかと、正直驚きである。私はこの文藝春秋を読んでいない上での推測だが、事実と全く違っていればそのような女々しいことを話題にわざわざすることもなかろうと思うので、ある程度事実であろう。 妻が1日2日いないだけで自堕落になるボクなど一体どうなるだろう。妻をボクより絶対長生きさせよう。そのためには・・・・。
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(第134話) 夫婦一緒の趣味 |
2004,12,6 |
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“50代ともなれば、定年後の資金計画や子どもの将来などについて夫婦で話し込むことが多くなる。しかし、定年離婚などの相談を受けてきた弁護士の渥美雅子さんは「お金と子どもの話は、結構危険な話」と警告する。現実を考えると、どちらもハッピーな会話になりにくいからだ。一方、共通の趣味を始めれば、互いを励まし切磋琢磨する会話が増え、楽しい雰囲気になる。「50代からは会話が前向きになるように意識的に努力する必要がある」と渥美さん。夫婦一緒の趣味の効用は大きいと言える”(11月28日日本経済新聞)
そして「夫婦一緒の趣味を始めるときの心得」 ・妻にとって抵抗のない趣味を選ぶ・・・・妻の好みを優先。 ・相互乗り入れ、譲り合いの精神で・・・・好みが違う場合、軽い趣味で妥協。 ・勝ち負けにこだわりすぎない・・・・勝った側は相手のプライドを傷つけない。 ・初心者は失敗するのが当たり前・・・・相手の失敗に気づいても黙っている温情。 ・趣味に集中する時間を妻に与える・・・・家事で中断してばかりでは上達が遅くなる。 ・すべてを夫婦一緒にしない・・・・すべて一緒では窮屈、一人で楽しむ場も持つこと。
妻より趣味のない夫のほうが多いと思うが、妻優先で何か変では???・・・これはこれから一緒に始めるときの心得か・・・・・なるほど。
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(第133話) 青春18きっぷ |
2004,12,5 |
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“PHP研究所がこの夏に出した「ほんとうの時代」の特別増刊号「定年後『青春18きっぷ』の旅に出る。」は、発売1週間で在庫切れに。同編集部は「値段ではなく、時間のぜいたく感が味わえることと、『青春』という名前が、定年前後の世代にヒットした最大の理由」という。 きしゃ旅ライターの松尾定行さんは「各駅停車の旅が見直されているのは、文明がすごいスピードで進んでいくことへの懐疑もあるのではないでしょうか」と話す。”(11月27日付け朝日新聞)
「青春18きっぷ」について、ウォーカーの間では常識だと思うが、世の中には知らない人が結構いるようだ。この切符は、春、夏、冬の季節限定の切符で、JR全線の普通・快速列車の自由席が乗り放題、1枚11500円で、1人だと延べ5日間、5人で1日使うことなどもできる。つまり1人1日2300円で乗り放題だということである。年齢制限はない。JR西日本の99年度調査では50歳以上の人が40%を超えているという。 私は昨年まで連続10年、毎年12月の鎌倉ウォークにこの青春切符を使って参加、尾張一宮から東京往復を約3800円ですませた。使い方はいろいろある。
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(第132話) 小さな親切(その2) |
2004,12,4 |
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今度は11月27日の毎日新聞に“第29回「小さな親切」作文コンクール”入賞作の掲載があった。小・中学生から作文を募ったもので約3万9千編の応募があったという。これも(社)「小さな親切」運動本部の主催である。内閣総理大臣賞の中学3年深沢彩美さんの文の一部を紹介する。
“友人とコンビニへ行ったときのことです。私と友人の前を歩き、先に店に入った人に対して友人はこう言ったのです。「あの人、いい人だね。」あの人とは私たちよりも先に店に入った人のことです。私はあの人のどこがいい人なのか分からず、尋ねると、「私たちが店にはいるまで、ドアが閉まらないように持っていてくれたんだよ。」と私に言いました。私は友人に言われるまで全く気付きませんでした。気づかなかった私も悪いけれど、そんな小さな親切に気付く友人もすごいと思います。そして、その親切に感謝する気持ちも。 親切とはいいことをして感謝される、そんなイメージが私の中にありました。でも先ほどのコンビニでの親切は、している側も、受けている側も気付いていない人が多いと思います。たくさんの人が気付かないうちにやっている親切もあるということを知り、私の中でのイメージも少し変わりました。”
親切について大人が優れているというものでもない。大人が青少年の言葉に心を傾けねばならぬ時もある。
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(第131話) 小さな親切(その1) |
2004,12,3 |
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11月25日付け読売新聞に“第20回「小さな親切」はがきキャンペーン”の入賞作の掲載があった。これは(社)「小さな親切」運動本部が主催したもので、このような団体があることを始めて知った。この「小さな親切」運動は、茅誠司氏の東京大学での卒業告辞をきっかけに昭和38年6月にスタートしたものという。今年の「小さな親切」運動本部賞を得た作品を紹介したい。
「やさしさのライト」と題した楠神恵子さんの作品である。12月のとっぷり日が暮れた真っ暗な道ばたで、バイクの前かごに入れていた食品を落としてしまったとき、 “バイクを道ばたに止め拾おうとしましたが、ほとんど見えません。そのとき、前から1台の車が・・・・。「今がチャンスだ」と思い、拾いはじめました。全部拾い終わりましたが、その車は動きません。ライトをつけたまま止まっているのです。バイクは道ばたに止めてあるので、通れるはずなのに。どうしたのかしら?と、私のほうが動き出そうとしたとき、車の窓から「もう全部拾いましたか」という声が聞こえました。そうなんだ、その車の人は私を照らしてくださっていたんだと、そのとき、ハッと気がつき、温かさと優しさでいっぱいになりました。”
私はこういった話には弱く、すぐ目尻がにじんでくる。優秀賞作品に「第83話 心豊に生きる」で紹介したような、郵便局員さんの温かい話もあった。世の中良い話がいっぱいある、それを探す旅を続けよう。
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(ともの米国便り第10便) サンクスギビングデー
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2004,12,2 |
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毎年、アメリカの11月の第四木曜日は「サンクスギビングデー」という祝日で、この週末は アメリカ各地に居る人々が家族のもとに集まります。 日本の元旦のような感じでお店はすべて閉まってしまいます。
私達には初めてのサンクスギビングデーという事で、上司のご家庭にご招待していただきました。サンクスギビングのメニューといったら、ターキー(七面鳥)無しでは語れません。 このターキーは、スタッフィングと言われるパンや御飯などの詰め物をして焼いたものです。オーブンで3〜4時間掛けて焼き上げるそうです。これぞアメリカ!と言う感じのお料理です。 またこのターキーは甘いクランベリーソースをつけていただくのが定番なようです。 その他は、マッシュポテト・パンプキンパイ・クランベリーパイ・コーンブレッドが付け合わせのようです。
アメリカという国は、家庭を大切にする国なんだなと改めて思います。 最近の日本では、家族と食卓を囲む機会も少なくなっていると感じられますが 家族との団欒が人間にとって一番の幸せなのではないかなと思いました。
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(第130話) 自信より夢中 |
2004,12,1 |
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若者世代に「理想の上司」と支持される阪神タイガースシニアディレクター・星野仙一氏が、これから就職する若者に対して答えたインタービュー記事から。 “・「何がやりたいか分からない、自信が持てない」という不安定な気持ちに対して、大切なのは、自信があるかないかではなく、自分の仕事に夢中になっているか否かだ。自分の仕事に馬鹿になれるなんて、すごく幸せなことだ。 ・夢中になれる仕事自体が見つからないと言うことに対して、見つけることよりも、やってみることが大事なんだ。少しでも好きに慣れそうな仕事に、とりあえずチャレンジしてみる。 ・失敗しても、挑戦しないで後悔するよりもはるかにいい。失敗したときは「なぜなぜなぜ」と原因を考え抜く習慣を身につけることが大切。 ・自分以外のすべての人から学ぶことはできる。そして、まねをする。何事も、他人のやり方や姿勢をまねすることから始まる。まねをしながら、少しずつ自分なりの肉付けをしていけばいい。 ・現在は頭でっかちであるので、「心・技・体」ではなく、「体・心・技」の順で重要。健康管理も大切。”(11月24日付け日本経済新聞)
第二の人生を始める人にも、同じように必要な心構えか????、いや、若者より必要かも知れない。
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