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第8号  2004年12月


(第158話) 除夜の鐘 2004,12,31
 “大分県国東町の泉福寺住職、無着成恭さん(77)はいう。「仏教では一切の欲望、妄念を煩悩という。人間だけがモノを作る生き物なので、煩悩が増大してしまい、自分でコントロールしなければならなくなった。それができない人を餓鬼という。だから、除夜の鐘は餓鬼になるなと自分自身を戒め、新しい気持ちで出発するために突く」
 また、宗教思想家のひろさちやさん(68)は「思うがままにならないことを思うがままにしようとすることが煩悩。せめて大晦日だけは自分の中にある煩悩を108数えだし、1年の総反省をする機会だととらえればいいと思う」”(12月26日付け毎日新聞)

 さて今年も残すところ数時間、まもなく除夜の鐘が聞こえてくるだろう。ボクも今年1年を反省し、新たな気分で新しい年を迎えることとしよう。
 この「話・話」を愛読していただいた皆さんには、拙い文におつき合いくださいまして、またご声援いただきましてありがとうございました。それではよいお年をお迎え下さい。

(第157話) 年末状 2004,12,30
 桑名市の加藤さん(78)の投稿文からである。
 “12月に入り、今年も「年末状」を書いた。年末状は古希を迎えたとき、年賀状に代えて書き始めた。高齢になって過去を振り返る気持ちが強くなったからだろう。その年のことは、その年のうちに区切りをつけようと思ったことも理由の一つかもしれない。年末状は、いわば私の活動報告だが、私と年末状を受け取った人々との「約束」でもあるから、きちんと実行していかねばならない。”(12月26日付け朝日新聞・要約)

 年末状などとは始めて聞いた。古希になっての発想というのもいい。いくつなっても新たな挑戦ということは大切である。
 これを知ったボクはどうすべきか・・・・・今年1月1日に恥ずかしげもなく、多くの人にメールで今年の抱負を書き送った。年末状として、1年のお礼と共に活動結果を送ろうか・・・・。

(第156話) 家計簿45冊 2004,12,29
 “「もうやめようか」と思いながら45冊の家計簿が並んでいる書棚を見ると、我ながらよく続けたものだと感心する。「結婚以来つけている」というと「エーッ」」とびっくりされる。新婚のころは婦人雑誌を活用することが多かったが、今は統計ノートを使っている。赤線が適当な間隔で引いてあるので、私なりの項目をつくり日記も兼ねて記帳していて、とても重宝だ。”(12月24日付け朝日新聞・要約)

 この文は鈴鹿市の主婦・鈴木さん(69)の投稿文である。家計簿も日記と同じである。どうもボクは継続という行為にはすぐ感心してしまい、ここに紹介することが多くなってしまう。(第10話)(第45話)(第146話)(第154話)・・・など。我々凡人がなせる最大の行為は「小さな行為の継続」だと思っているからである。
 ところで家計簿であるが、実はボクの妻も全く同じであるのだ。結婚して以来日記を兼ねて続けている。ただ違うのは、家計簿が一貫して「ときわ総合サービス(株)(以前は貯蓄広報中央委員会」編集発行のものであることと、継続年数が違うことだ。ボクたちはもっと若いのだ。

(第155話) ヒミツのサンタ 2004,12,28
 “12月に入ってクリスマス気分も高まってきました。我が家の「ヒミツのサンタクロ−ス」は今年も本屋通いが始まりました。
 12月25日の早朝、目覚めた娘たちの歓声を聞きたくて、あれこれ悩みながらもクリスマスプレゼントの本を選ぶこと23年。長女の誕生以来、枕元にはたくさんの玩具やお菓子といっしょに必ず1冊の本を添えてきました。(中略)
 絵本から始まって童話や小説、伝記、ブームになった本、ハウツーもの。人として女性としてすてきな人生を歩んでいけるようにと、5人の娘たちの年齢や個性に合わせて毎年選んできた5冊の本。親の思いを伝えたくて贈り続けてきました。”(12月21日付け朝日新聞)

 5人の娘さんに、クリスマスの日に23年本を贈り続けた名古屋市の主婦・牧山さん(51歳)の作文である。贈る母親ももらう娘さんも、素晴らしい家族だ。本だというのがまたいい。「23年間も師走の本屋通いをさせてもらったのですから、娘たちのからの贈り物だったのかも知れません。」という言葉も素晴らしい。そしてどこまで続くのでしょう、興味があります。
 それぞれの家庭にはそれぞれのやり方で素晴らしいことが行われている。ボクは娘にしてやらなかった分、孫に考えるか・・・・。

(第154話) 学級通信7000号 2004,12,27
 “一宮市北方小学校の三輪教諭(59)が、子どもや親に当てて作り続けた学級通信が、今月7000号に達した。三輪さんは「子どもたちの喜ぶ顔が楽しみで作り続けてきたが、来年3月の退職を前にいい記念になった」と38年の教師生活に充実感を抱いている。”(12月17日付け中日新聞)

 学級通信はすべて手書きで、内容は子どもたちの日記から数人をピックアップし、三輪さんのコメント付きで紹介したり、子どもたちの様子を大きなイラスト入りで伝えたりである。最初は週2、3回の発行、90年からは毎日にしたという。
 全くすごい人がいるものだ。それも身近に・・・・調べてみたら高校の先輩であった。7000だよ!7000!。

(第153話) ちいさな「いいこと」 2004,12,26
 “モンテーニュもいっている。「人間は、物事それ自体によってではなく、彼らがこれに関して抱いているところの考えによって苦しめられている」
 ぼくもこの意見に賛成する。外の世界が暗いとき、自分の心まで暗くしてはいけない。自分の心の暗さや明るさ、温度や湿り気を決めるのは、それぞれの人に任せられた仕事なのだ。大変な1年だったけれど、何とか今年も乗りきることができた。日々を懸命に生きている人の暮らしなら、必ず心の隅を照らすような小さなエピソードが、この1年であったことだろう。あなたの家族あるいは好きな人に、なにかいいことは起きませんでしたか。そういうちいさな「いいこと」を胸に灯のようにかかげて、ちょっと早いけれど新しい年も、ゆっくりとすすみましょう。”(12月16日付け日本経済新聞)

 日本経済新聞の「プロムナード」という欄から作家の石田衣良さんの文を紹介するのは、(第62話 得するカード)(第129話 子どもの運命)ともう3回目である。この欄で知るまでこの作家の名さえ知らなかった。「約束」という本も買って読んだ。何かファンになってしまった。
 「自分の幸不幸など自分の気持ちの持ち方次第、小さな良いことなどきっとある」という今日の引用した文など、全く頷ける。「話・話」をきっかけに、こうした文を注意深く読むようになっただけでも、今年はいい年だった。

(第152話) いのち 2004,12,25
 “ねぇ お父さん
  まい日死ぬ人がいて まい日生まれる人がいるね
  どうしてだろう 人ってふしぎだな いのちってふしぎだな
  まえからずっとかんがえていたけど
  わかる? おとうさん”       (12月16日付け読売新聞)

 これは清水さんという小学2年生の詩です。このページでも第143話などで命について触れてきた。自殺を含め命が粗末にされていると感じる昨今である。この命の不思議と思う心が、命の大切さを知ることになるであろう。お父さんはどう答えられたのでしょう。

(第152話) 今年の漢字「災」 2004,12,24
 “2004年の世相を象徴する「今年の漢字」に「災」が決まり、日本漢字能力検定協会が13日、京都市東山区の清水寺で発表した。
 全国から過去最多の約9万2千通の応募があり、「災」はうち2割強の約2万9百票を集めた。新潟中越地震や相次いで列島に上陸した台風、夏の猛暑など記録的な天災と、イラクでの人質殺害や幼児虐待、子どもの殺人事件など人災が多発したことを反映した。 「人間の身勝手さに神や自然が怒ったように感じた」「天災に人間がいかに無力化を痛感した」などの意見が多かった。”(12月14日付け中日新聞)

 このような漢字を選ばなければならなかったとは、それほどに嫌な年であったのか・・・・。2位以下は、韓、震、金、新、風であった。
 ボク個人的には・・・新?、静?、・・・。

(第151話) 日記術  2004,12,23
 書店や文房具店に、2005年の日記帳が並んでいます。「今度こそは!」と決意するのですが、三日坊主に終わる人も多いでしょう。12月14日付け読売新聞に、「三日坊主にならない!?日記術」が載っていましたので紹介します。

 “30年間日記を続け、「日記の魔力」を出版した駿河台予備校講師の表三郎さんは、「気負って、うまく書こうとすると、長続きしません」とアドバイスします。
「朝何時に起きたとか、誰にあった、といった事実だけを淡々と、短く書き続けるだけで最初は十分です」。寝る前、起きてからなど、日記をつける時を決め、自分の生活リズムにあわせて習慣化することも、長続きのコツだと言っています。
 「怒りや落ち込んだ感情などをそのままぶつけると、後で読み返した時に、恥ずかしくなるから、やめましょう。」表さんは、学生時代に書いた愚痴ばかりの日記を、後から焼き捨てたことがあるそうです。”

  まとめれば@事実だけ淡々とつけてみよう。Aいつ書くか決めて習慣化。B「よい思い出」を中心に。
 Bについて、向後千春早稲田大学助教授も、「できるだけ嫌なことは書かずに、楽しい思い出やエピソードを書くようにします」と同じことを言っています。

(第103話)でも触れたが、日記を書き続ける効用は大きい。私も21年目にはいるが、続けてこられたのはAのことが大きいと思っている。私は朝起きて、前日のことを書くのである。夜は仕事や飲んで帰ったりして一定の時間が取りにくいが、朝は行動がほとんどパターン化していて、その中に組み入れてしまえば楽なものである。私のHP「付録→継続の秘訣」でも触れています。

(第150話) 捨てられない「初代車いす」 2004,12,22
 “車いすは体の一部であり、なくては生活が成り立たない。それを今月、新調した。先代とは1999年からの付き合いだった。
 アスファルトの道が思ったよりデコボコしていること。平らに見える道も傾斜や高低差があること。目的地が見えていても、行けないところが多いことなど始めて気づいた。
 車いすの操作方法もたくさん学んだ。側溝の溝には前タイヤがはまってしまうので、斜めに横断する方がいいこと。急な坂道は後ろ向きに降ろしてもらうことなのだ。
 初代はボロボロでもう乗ることはできないが、思い出がいっぱいで、捨てることができない。”(12月12日付け読売新聞)

 同志社大学4年の館林さんの文である。やさしい街作りで車いすの活動もしやすくなったとは思うが、健常者の我々には思い至らないことがまだまだいっぱいであろう。(第31話)で点字ブロックのことを書いたが、昨日(12月21日)の新聞にも、横断歩道の白線を越えて停止した車のために、盲導犬が青でも前に進まない話がでていた。こうした人にも活動しやすい環境に気配りしていきたいものだ。体の一部だから古くなっても捨てられない、これも優しさである。

(第149話) 「天下取り」第1歩 2004,12,21
 “8月12日の誕生日、窓のない楽屋の壁に、獅篭さんは再起の決意を込め、「この楽屋(どくぼう)にて32歳を迎えた新出発。平成15年」と落書きした。
 明石家さんまやビートたけし、泉ピン子さんも、若き日をこの楽屋で過ごした。さんまさんのギャラは1日1000円、10日で1万円。新幹線は高いので交通費は近鉄往復分だった。
 「今日も客なし、明日は?」。1975年8月16日の日付のある、さんまさんの落書きが「三号楽屋」の化粧用の鏡台の裏側に残されてる。”(12月12日付け読売新聞)

 これは名古屋にある大須演芸場の話である。何度も赤字で廃業の噂が立つ演芸場でもある。この演芸場は東京や大阪から来たギャラの少ない若手芸能人たちが、今も「天下を取るぞ」「スターになる」という落書きがある楽屋で寝泊まりし、歯を食いしばっている。こうした苦労をした何人かがスターになっていくのである。
 私の発案で今年9月、職場でそろってこの演芸場に出かけた。入場料2500円、飲み食いしながら大いに楽しんだ。

(第148話) あたたかい心を育てる運動 2004,12,20
 「あたたかい心を育てる運動」は、「あたたかい心を持つ人間づくり」を目指し、「育児の神様」といわれる内藤寿七郎・日本小児科医会名誉会長と、漫画家の故・手塚治虫氏、葛西健蔵・アップリカ育児研究会理事長の3人が約30年前に提唱。97年に同医会、同研究会、手塚プロダクション、内藤育児記念会、大阪小児科医会、日本・中国育児研究会、毎日新聞社の7団体が運動本部を設立し、子育てに関するシンポジウムの開催などに取り組んでいる。今年の大阪大会が11月16日に開かれ、仁志田博司氏(東京女子医科大学)の記念講演の概要が12月10日付け毎日新聞に掲載されていた。

 “日本の新生児医療は「なぜ世界一の水準になったのか」とよく尋ねられます。私は「社会ダーウィニズムから脱却したため」と答えています。社会ダーウィニズムとは、強者が生き残り弱者が死んでもいい、いや死ぬべきだという優生思想です。世の中で一番弱いのは赤ちゃんです。弱い人とも共に生きる。そのあたたかい心が社会を豊にします。
 新生児、障害者、高齢者らを含め人間は皆つながって生きており、そのつながりを感じることが優しさの根源です。
 他人の痛みが分かる優しさを、ではどうやって学ぶのか。幼いときに愛を受けると、この世で絶対的に自分を受け入れてくれる人が、たった一人でもいることを知ります。そして、その人を悲しませたくないと思うようになります。”

 いろいろな運動があるものだ。そして今こそ必要だと思う運動が、すでに30年も前につくられていた。

(第147話) 切り干し大根 2004,12,19
 “愛知教育大の西村敬子教授によると、尾張地方は古くから大根産地として知られ、江戸時代には尾張原産の「宮重大根」や「方領大根」が人気を集めた。関東の練馬大根、京都の聖護院大根も、本家は尾張。県内の切り干し大根は約300年前、稲沢市の農家が自家用につくったのが始まりとされ、知多や三河に広がったという。
 庶民の味として親しまれる切り干し大根だが、近年は都市化の波や後継者不足で生産が大幅減。しかし、地域の食文化に熱い視線を注ぐ西村教授は「切り干し大根は食物繊維やカルシウム、カリウムを多く含み、安価で栄養価の高い保存食」と絶賛。自ら考案した30余種の新メニューを授業や市民講座で紹介している。”(12月10日付け毎日新聞)

 ボクはここに書かれている切り干し大根の本場、尾張の一宮出身、伊吹おろしの寒風を利用した切り干し大根の風景は懐かしく思い出される。ボクの小中学生の時代は、冬になると一面切り干し大根を干す風景であった。ボクもよく手伝った。大根を突く(切る)といっしょに手も突いてしまった痛い記憶は一度や二度ではない。今では自家用に数軒見かけるのみである。

(第146話) 小さなチャリティー 2004,12,18
 “数年前のある日突然、日本点字図書館の本間一夫理事長から点字の手紙が届いた。
 「長年にわたる毎月のご協力、今回も3千円確かにいただきました。カードを見ますと、最初にいただいたのは昭和45年の12月となっておりますからもう30年となります。極めて少ないケースです。その間に事業はずいぶん大きくなりました。お陰様です」とあった。
 私自身は、30年の間に転勤があったり出張中だったり、うっかりして忘れることもあったので、実際の寄付は200回を少し超える程度だったが、文字通りの「貧者の一灯」が長い間しっかりと記録されていたことに驚くと同時に感激した。”(12月10日付け日本経済新聞)

 これは、富士電気ホールディングスの加藤丈夫相談役の文である。「私の幸運は上司の(小さくても何か一つのチャリティーを続けてやればいいんだという)一言から始まったのだが、チャリティーは継続するもの、そして心の通い合ったものでありたいと思う」とも書かれている。「私の幸運」と書かれている、私はこの言い方も素晴らしいと思う。
 私????・・・・。

(第145話) 血液型の性格判断 2004,12,17
 “またぞろ無責任きわまりない血液型の話が、テレビで流され始めている。ABO血液型による性格判断には、一編の科学的な論拠もなく、統計的にも全く無意味なことが、学会ではとっくに決着済みだ。しかし、この「迷信」はしぶとく生き残り、差別という害毒を流し始めている。
 隣人や同居人として避けたい血液型というアンケートでは、B型とAB型が多数を占めたという。血液型性格判断の文章を読むと、売れ行きを意識してか、日本では多数派のAとOについては肯定的な言葉で表現し、少数派のBとABを協調性を欠く負のイメージで描くことが多い。”(12月11日付け日本経済新聞)

 私は子どもが生まれたとき、名付けの本を買ってきた。その中に「Aという占い師が付けた名を、Bという占い師のところへ持っていったら、絶対そのまま認めないだろう。」という文章に出合った。もっともだ、それでは商売にならない、目から鱗が落ちた思いだ。多分20代の時だったと思うが、ある本の姓名判断を見たら、私の名はこの世に存在するのが不思議なくらい不運な名だった。でも、私は今でもとりたたて不満もなく生きている。もともとこのような話は信じない私であるが、それ以来さらに信じなくなった。もちろん血液型も・・・・・小学生の中ではいじめの原因にもなっているという。もう酔狂な遊びではすまなくなっている。

(第144話) 「死」から目をそらす人たち 2004,12,16
 “北米産のブラックバス駆除法がほぼ確立したとの記事(9月)に、メールやファクスをいただいた。バス釣りが好きな中学生のメールが気になった。
 「地元の小学生と一緒に駆除をしたといいますが、手伝わせるなんてひどすぎる。命の大切さを学ぶところなのに、それをやらせるなんてかわいそうです。」
 心優しい彼にとって、バスの駆除は命を奪うことで、バスによって絶滅させられるメダカやフナ、タナゴなど在来種の命は見えないのだ。(中略)
 「死」を知らない世代が増えている。「太陽も死もじっと見詰めることはできない」と喝破したのはラ・ロシュフコーだが、死から目をそらすよう教えられた子どもは、命の大切さを知らず、自然の営みに思いをはせることも少なくなるかも知れない。”(12月11日付け朝日新聞)

 昨日の(第143話)「鶏の解体実習」に通じる話であるので、続けて紹介した。中略した部分には、野のタンポポを摘むことや、トンボを捕ることの非難の話も出ていた。
 人間は何を言っても動植物の命を奪ってしか生きられない。自分が命を奪わなくても、奪うことを職業にしている人がいて、その恩恵で我々は生きていることもある。そのことを見据えて、命を大切にしていかねばならない。感傷や身勝手な判断であってはならない、極端に走ってはならない。状況をしっかり捉えた判断が重要だと思う。 

(第143話) 鶏の解体実習 2004,12,15
 11月20日にNPO法人グラウンドワーク東海も係わって、「大江川 水土里フォーラム」が開催された。その展示会場に「新田舎人」という冊子が置かれていて、第41号をいただいてきた。その第1ページに「命を大切にする教育」と題した随想が載っていた。
 
 “九州のある高校の農業系学科で、生徒たちがニワトリをヒヨコから飼い、生育後に解体し、食べる「いのちの授業」を行っているというのだ。この高校は、従来、飼育したニワトリには情が移り、生育後は出荷していたところを、あえて「尊い命をいただく日」の実施に踏み切った。
 想像してほしい。もっとも多感な高校生たちが、自ら飼育したニワトリをさばき、食べる姿を。そこには並々ならぬ葛藤がある。実際、解体時には悲鳴や泣きじゃくる生徒の姿があった。
 「命」は理屈では教えられない。また、青少年だけではなく、大人自身が「命」とどう向き合うか、どう向き合っているかが問われている。”

 高校教育でここまでやるのか、一読して私はショックを受けた。インターネットで早速調べてみた。授業を担当した高校教諭自身の授業リポートや生徒たちの心情、葛藤、授業の準備と様子、その後が詳しく書かれている。人間が生きていくには、動植物の命を奪わねばならない、そこをしっかり見詰めることによって命の大切さを知ろうというわけである。
 凶悪な青少年犯罪が頻発している。「命を大切にする教育」の重要性が叫ばれ、いろいろな試みがなされている。私自身の命を含め真剣に向かい合わねばならない。「親が育てたいようには子どもは育たないが、親のように子どもは育つ」という言葉もある。人のことはさておいて、まず自分自身が問題だ。

(第142話) 一筆入魂・木梨憲武 2004,12,14
 12月11日、夜9時からのテレビドラマ「にんげんだもの・相田みつを物語」をつい引きずり込まれながら、一生懸命見てしまった。

 “「筆を持ち半紙に向かっているうちに、似せて書こう、うまく書いてやろうという余計なものが消えた。自分の気持ちが入って書けたときに、石橋冠監督からOKが出た。俺は日ごろ絵筆で遊んでいるけど、書は1色1回勝負。呼吸やリズムが大切だと教わりました」”(12月10日付け毎日新聞)

 上記は「相田みつを物語」で自らの書を披露した木梨憲武の言葉である。当初、アップは吹き替え代筆の予定だったが、書の先生のお墨付きがでたほどの「一筆入魂」とあり、これを読んでうなってしまい、ここに紹介する気になった。あれが吹き替えではなかったのか・・・。
 それまで、相田みつをについては書家?詩人?程度、その役を演じた木梨憲武についても何かお笑いに出ている人程度の知識であった。この文章を書くに当たって、二人について少しインターネット調べてみた。「つまづいたっていいじゃないか、にんげんだもの」二人ともつまづいて、努力して、こうした素晴らしい人間になった。

(第141話) 白い卵  2004,12,13
 “壺井栄さんの童話の一つに「白い卵」がある。食料事情が悪かった終戦後の話だろう。おじさんが持ってきてくれたにわとりが真っ白な卵を産んだ。「てのひらにのせてながめているだけでも、じようになりそうな気がしました」子どもはそう思い、すぐ食べるのは惜しいと、卵をラジオの前に飾ってみんなでながめるのだった。
 まもなく彼らの年がくる。その賜を茶の間に飾る時代ではないが、日々食することができるありがたさは味わい直したいものだ。”(12月4日付け中日新聞)

 (第137話)「飯に醤油」と同じような時代、同じような話である。私もこの話に思い出すことがある。
 小学校時代、私の家では数羽のにわとりを飼っていた。産んだ卵は籾殻の中に入れて保存した。20〜30個たまると近くの万屋(よろずや)へ持っていって物々交換をしていた。そしてほんの時折、卵ご飯を食べさせてもらった。あの嬉しかったこと、最高に幸せな気分であった。今は何を食べてもあのような幸せな気分になれない気がする。
 今年は鶏卵が13年ぶりの高値になっているという記事からの話であるが、また懐かしいことを思い出させてくれた。

(第140話) 選ばれた靴 2004,12,12
 “お気に入りの靴がなくなって半月が過ぎました。それは、市内の和食店でのこと、食べ応え十分のランチを終え、お座敷を出たときでした。どこを見ても私の靴がないのです。その代わり、色も形も異なる靴がポツンと置かれていました。間違えて履かれたとは思えない状況に、はだしの私は「やっぱり」とがっかりです。
 どなたかの元へ持ち去られたのでしょう。とすれば「あなたは選ばれたの」とあの靴に諭してやりたくもなります。あの靴を履いた方が、転んだりしないで、私みたいにどこまでもランランランと歩いてくれたらと願いましょう。そんな考えが自然にできる年齢になったことに感謝の私です。”(12月5日付け中日新聞・一部省略)

 「くらしの作文」に載せられた豊橋市の主婦・近藤さん(58歳)の作文である。靴を褒められると自分が褒められているような気分であったというので、さぞお気に入りの素晴らしい靴であったろう。普通なら悔しく、腹が立ったでしょう。でも近藤さんはこのように書かれた。ただ年齢でしょうか?・・・ボクはその年齢を超えている。

(第139話) ゼロに戻す営み 2004,12,11
 歌手の加藤登紀子さんが、毎日新聞の「この人、この時」の欄に5回にわたり書いていた。その12月3日の最終回から。

 “特に団塊世代の男性、元気がないですね。間近に迫る定年退職、そんなに心配かしら。定年はチャンス。今まで生きてきた時間を生かすため、仕切り直しをして、元気を出さないともったいないよね。
 女はこれまでも、とても短いサイクルで生きてきた。ご飯を作って食べて、洗濯をしてまた汚して。進歩がないように見え、若いころはうんざりしたけど、毎日創り出して毎日ゼロに戻す営みをしぶとく積み重ねたことが、今、強みになっている。
 男たちは進歩したり、増やしていくことに価値を置いてきたから、定年で白紙に戻されるのがつらいのでしょう。毎日プラスマイナスゼロで生きる生活感が必要ではないかしら。残る人生で、男性に「営む」ことを経験してほしいな。”

 彼女独特の強い女と弱い男の分析に興味をひいて紹介した。なぜこんな主張を紹介するの?・・・・実はボクも非常に不安なのだ、弱い男なのだ。更に最後に「人間はなぜ生きているの?生きるようにできているから。目的も理由もいらない。生きることの中に答えがある。」と書いている。

(第138話) 強迫性障害  2004,12,10
 強迫性障害とは、細かいことが気になって、いくら振り払おうとしても振り払えず苦しくなる強迫観念と、不安を振り払おうとして同じ行動を繰り返す強迫行動が特徴的な精神疾患です。

 “強迫性障害もほどほどであれば大切な意味を持つということである。手を洗うことは感染症を予防するために大事なことだし、ガスの元栓や家の鍵もきちんと確認しなければもちろん心配だ。うつ病でも同じだが、精神疾患の症状はある程度まで安心して生活するために必要なもの。誰でもかかる可能性があるものだ。”(11月30日付け日本経済新聞)

 車のキーをしたか、家の鍵をかけたか、電気は消したか、出かけ始めて気になってまた戻ってくる。ほとんど100%きちんとしてある。ボクは少しおかしいのではないかと思ったりしていた。しかし、この文を読んで安心した。ボク程度のことは誰にもあることなのだ、そして、必要なことなのだ。でも、極端な場合は「生活に支障を及ぼす十の疾患」のひとつである。

(第137話) 飯に醤油 2004,12,9
 中日新聞に「月が照っても青いから」というタイトルで、劇作家の北村想氏が月2回随想を書いている。11月30日の第38回は「哀しい話」という題で、飯に醤油をかけたの昼飯のことを書いていた。
 学校給食のない土曜日、共稼ぎの北村氏の家では、北村氏が学校から帰っても昼飯が作ってなくて、冷や飯にバターを落として、醤油をかけて食ったというのである。このことが「哀しい」ということではなく哀しいのは別のことで、このことは強さを養ったといっている。

 この文からボクは小学校時代を懐かしく思い出した。「飯に醤油をかける」、もうすっかり忘れていたが、ボクも全くそうだった。北村氏より7歳年上のボクは全く学校給食にありつく機会もなかった。北村氏はバターといっているが、ボクは白砂糖であった。飯に白砂糖をまぶし、たまり(醤油)をかける。それも内緒で白砂糖をかけるのであり、多くはたまりのみである。それでも少しも哀しいという思い出ではなく、今はただ懐かしい。人間の豊かさ、幸せって何だろう。
 北村氏の文がなかなか要領よくまとまらなかったが、「飯に醤油」のことを思い出させてくれたことを是非書きたくて書いた。

(第136話) 年賀状の添え文 2004,12,8
 年賀状の心得として、マナーデザイナー・岩下宣子さんが“印刷された年賀状でも一言手書きが添えてあると目に留まる。「あの人の年賀状が毎年楽しみ」と思ってもらえるようにしたい。”と書きながら、
 “添え文に書く内容に悩む人も多いだろうが、要は新年のあいさつに行ったときのことを思いだして書けばよい。「今年はこれに励もうと思うのでご指導よろしくお願いします。」といった「所信表明」の場にもなる。年賀状で結婚報告や引っ越し通知をする人もいる。正月をはさんで2ヶ月くらいであればかまわない。あるJR東日本の元役員は、今の職場の名称や肩書きなども差出人の場所に書く。「いまここで頑張っている」と相手に知って欲しいとの思いからだ。”(12月4日付け日本経済新聞)

 今年ももう年賀状を書く季節である。考えてみると、妻はほとんどの年賀状に添え文を書いているが、私はだんだん少なくなっている気がする。もう一度初心に戻らねばと思う。ただ私の救いは、1981年以来夫婦二人の川柳を掲載していることである。これを楽しみにしていると言っていただける知人もある。(このホームページの「川柳→年賀状展」に過去のものすべてを載せていますのでご覧ください)
 今年はどんな句だって?・・・正月が来たら教えましょう。

(第135話) 残された男たち 2004,12,7
 永六輔(71歳)と田原惣一朗(70歳)・・・共通点は愛する妻をがんでなくした。
 
 “死んだ妻の後を追った江藤淳の気持ちがよく分かるという。永は食器を洗っていてそばの包丁が目に入り、これは危ないと急いで包丁を隠した。田原は空いた時間があれば100%妻のことを考えてしまい、つい後を追いたくなる・・・。そして後に続く男たちへの二人の言葉は「妻が元気なうちに、もし妻がいなくなったらどうするかを考えておくこと」。自らが果たせなかった「自立」への準備のすすめである。”(11月29日付け中日新聞)

 これは「文藝春秋 12月号」の永・田原の記事を紹介・感想を書いた文から抜粋したものである。この社会一級に恵まれ、自立していると思われる二人にしてそうかと、正直驚きである。私はこの文藝春秋を読んでいない上での推測だが、事実と全く違っていればそのような女々しいことを話題にわざわざすることもなかろうと思うので、ある程度事実であろう。
 妻が1日2日いないだけで自堕落になるボクなど一体どうなるだろう。妻をボクより絶対長生きさせよう。そのためには・・・・。

(第134話) 夫婦一緒の趣味 2004,12,6
 “50代ともなれば、定年後の資金計画や子どもの将来などについて夫婦で話し込むことが多くなる。しかし、定年離婚などの相談を受けてきた弁護士の渥美雅子さんは「お金と子どもの話は、結構危険な話」と警告する。現実を考えると、どちらもハッピーな会話になりにくいからだ。一方、共通の趣味を始めれば、互いを励まし切磋琢磨する会話が増え、楽しい雰囲気になる。「50代からは会話が前向きになるように意識的に努力する必要がある」と渥美さん。夫婦一緒の趣味の効用は大きいと言える”(11月28日日本経済新聞)

 そして「夫婦一緒の趣味を始めるときの心得」
・妻にとって抵抗のない趣味を選ぶ・・・・妻の好みを優先。
・相互乗り入れ、譲り合いの精神で・・・・好みが違う場合、軽い趣味で妥協。
・勝ち負けにこだわりすぎない・・・・勝った側は相手のプライドを傷つけない。
・初心者は失敗するのが当たり前・・・・相手の失敗に気づいても黙っている温情。
・趣味に集中する時間を妻に与える・・・・家事で中断してばかりでは上達が遅くなる。
・すべてを夫婦一緒にしない・・・・すべて一緒では窮屈、一人で楽しむ場も持つこと。

 妻より趣味のない夫のほうが多いと思うが、妻優先で何か変では???・・・これはこれから一緒に始めるときの心得か・・・・・なるほど。

(第133話) 青春18きっぷ 2004,12,5
 “PHP研究所がこの夏に出した「ほんとうの時代」の特別増刊号「定年後『青春18きっぷ』の旅に出る。」は、発売1週間で在庫切れに。同編集部は「値段ではなく、時間のぜいたく感が味わえることと、『青春』という名前が、定年前後の世代にヒットした最大の理由」という。
 きしゃ旅ライターの松尾定行さんは「各駅停車の旅が見直されているのは、文明がすごいスピードで進んでいくことへの懐疑もあるのではないでしょうか」と話す。”(11月27日付け朝日新聞)

 「青春18きっぷ」について、ウォーカーの間では常識だと思うが、世の中には知らない人が結構いるようだ。この切符は、春、夏、冬の季節限定の切符で、JR全線の普通・快速列車の自由席が乗り放題、1枚11500円で、1人だと延べ5日間、5人で1日使うことなどもできる。つまり1人1日2300円で乗り放題だということである。年齢制限はない。JR西日本の99年度調査では50歳以上の人が40%を超えているという。
 私は昨年まで連続10年、毎年12月の鎌倉ウォークにこの青春切符を使って参加、尾張一宮から東京往復を約3800円ですませた。使い方はいろいろある。 

(第132話) 小さな親切(その2) 2004,12,4
 今度は11月27日の毎日新聞に“第29回「小さな親切」作文コンクール”入賞作の掲載があった。小・中学生から作文を募ったもので約3万9千編の応募があったという。これも(社)「小さな親切」運動本部の主催である。内閣総理大臣賞の中学3年深沢彩美さんの文の一部を紹介する。

 “友人とコンビニへ行ったときのことです。私と友人の前を歩き、先に店に入った人に対して友人はこう言ったのです。「あの人、いい人だね。」あの人とは私たちよりも先に店に入った人のことです。私はあの人のどこがいい人なのか分からず、尋ねると、「私たちが店にはいるまで、ドアが閉まらないように持っていてくれたんだよ。」と私に言いました。私は友人に言われるまで全く気付きませんでした。気づかなかった私も悪いけれど、そんな小さな親切に気付く友人もすごいと思います。そして、その親切に感謝する気持ちも。
 親切とはいいことをして感謝される、そんなイメージが私の中にありました。でも先ほどのコンビニでの親切は、している側も、受けている側も気付いていない人が多いと思います。たくさんの人が気付かないうちにやっている親切もあるということを知り、私の中でのイメージも少し変わりました。”

 親切について大人が優れているというものでもない。大人が青少年の言葉に心を傾けねばならぬ時もある。

(第131話) 小さな親切(その1) 2004,12,3
 11月25日付け読売新聞に“第20回「小さな親切」はがきキャンペーン”の入賞作の掲載があった。これは(社)「小さな親切」運動本部が主催したもので、このような団体があることを始めて知った。この「小さな親切」運動は、茅誠司氏の東京大学での卒業告辞をきっかけに昭和38年6月にスタートしたものという。今年の「小さな親切」運動本部賞を得た作品を紹介したい。

 「やさしさのライト」と題した楠神恵子さんの作品である。12月のとっぷり日が暮れた真っ暗な道ばたで、バイクの前かごに入れていた食品を落としてしまったとき、
 “バイクを道ばたに止め拾おうとしましたが、ほとんど見えません。そのとき、前から1台の車が・・・・。「今がチャンスだ」と思い、拾いはじめました。全部拾い終わりましたが、その車は動きません。ライトをつけたまま止まっているのです。バイクは道ばたに止めてあるので、通れるはずなのに。どうしたのかしら?と、私のほうが動き出そうとしたとき、車の窓から「もう全部拾いましたか」という声が聞こえました。そうなんだ、その車の人は私を照らしてくださっていたんだと、そのとき、ハッと気がつき、温かさと優しさでいっぱいになりました。”

 私はこういった話には弱く、すぐ目尻がにじんでくる。優秀賞作品に「第83話 心豊に生きる」で紹介したような、郵便局員さんの温かい話もあった。世の中良い話がいっぱいある、それを探す旅を続けよう。 

(ともの米国便り第10便) サンクスギビングデー  2004,12,2
毎年、アメリカの11月の第四木曜日は「サンクスギビングデー」という祝日で、この週末は
アメリカ各地に居る人々が家族のもとに集まります。
日本の元旦のような感じでお店はすべて閉まってしまいます。

私達には初めてのサンクスギビングデーという事で、上司のご家庭にご招待していただきました。サンクスギビングのメニューといったら、ターキー(七面鳥)無しでは語れません。
このターキーは、スタッフィングと言われるパンや御飯などの詰め物をして焼いたものです。オーブンで3〜4時間掛けて焼き上げるそうです。これぞアメリカ!と言う感じのお料理です。
またこのターキーは甘いクランベリーソースをつけていただくのが定番なようです。
その他は、マッシュポテト・パンプキンパイ・クランベリーパイ・コーンブレッドが付け合わせのようです。

アメリカという国は、家庭を大切にする国なんだなと改めて思います。
最近の日本では、家族と食卓を囲む機会も少なくなっていると感じられますが
家族との団欒が人間にとって一番の幸せなのではないかなと思いました。

(第130話) 自信より夢中 2004,12,1
 若者世代に「理想の上司」と支持される阪神タイガースシニアディレクター・星野仙一氏が、これから就職する若者に対して答えたインタービュー記事から。 
 
 “・「何がやりたいか分からない、自信が持てない」という不安定な気持ちに対して、大切なのは、自信があるかないかではなく、自分の仕事に夢中になっているか否かだ。自分の仕事に馬鹿になれるなんて、すごく幸せなことだ。
・夢中になれる仕事自体が見つからないと言うことに対して、見つけることよりも、やってみることが大事なんだ。少しでも好きに慣れそうな仕事に、とりあえずチャレンジしてみる。
・失敗しても、挑戦しないで後悔するよりもはるかにいい。失敗したときは「なぜなぜなぜ」と原因を考え抜く習慣を身につけることが大切。
・自分以外のすべての人から学ぶことはできる。そして、まねをする。何事も、他人のやり方や姿勢をまねすることから始まる。まねをしながら、少しずつ自分なりの肉付けをしていけばいい。
・現在は頭でっかちであるので、「心・技・体」ではなく、「体・心・技」の順で重要。健康管理も大切。”(11月24日付け日本経済新聞)

 第二の人生を始める人にも、同じように必要な心構えか????、いや、若者より必要かも知れない。  


ハイブリッジ > 除夜の鐘 : 煩悩が溜まりすぎて、12月は餓鬼になったかもしれません。一言メッセージも独断と偏見の記述になり、メッセージ欄を汚してしまいました。 除夜の鐘を静かに聞き、煩悩をはきだしながら行く年をおくり、来る年をすがすがしい気持ちで迎えたいと思います。 最後になりましたが、この一言メッセージ欄を提供していただいた寺さんに大変感謝しています。来たる鶏年もよろしくお願いします。それでは良いお年を!! (2004/12/31/18:49:58)
ハイブリッジ > ヒミツのサンタ : 世の中には素晴らしい心の持ち主の方が大勢みえる。見えないのは小生のアンテナが低いのだろう。 孫の成長に合わせた本選びは小生も考えたが、それは小学校へ上がるまでのこと。子供さんが23歳・・いや今後も続くのだから・・その年齢に応じた本選びは至難の業だ。5人の娘さんの年齢や個性は勿論のこと時代感覚、人生論などなど、タイトルだけでは選べない本の選択は想像を絶する。その真似事を正月のゆっくりした時にやってみよう、小生がサンタで自分に贈る本選びを。 (2004/12/29/14:14:55)
ともちん > 学級通信‥寺さんも日記を何十年も書かれているのですから、素晴らしいです。まとめてメッセージ送ってごめんなさい。一日経つスピードが最近速いです。 (2004/12/28/2:41:1)
ともちん > いのち‥よく「家族が健康で幸せなまま時が止まれば良いのに」と考えます。今ある命が大切なので、毎日楽しくしなくては損ですね。 (2004/12/28/2:36:53)
ともちん > ちいさな良いこと‥毎日、小さい良い事、悪い事の繰り返しのような気がします。良い事があったときには喜んでくれる人、悪い事があったときには励ましてくれる人が身近にいるかどうかが、自分が前向きに進める秘訣だと思います。 (2004/12/28/2:30:40)
ともちん > 今年の漢字‥私も「災」か「韓」かなぁと思ってました。私的には「韓」!冬のソナタ大好きです。最初友達に勧められて見てみたのですが、名言が沢山です。 (2004/12/28/2:27:25)
ハイブリッジ > 学級通信7000号 : すごい! 継続もこれだけ続ければ! 頑張れ、寺さんも、これからの時間はたっぷりある! (2004/12/27/19:40:43)
ハイブリッジ > ちいさな「いいこと」: この話・話の掲載も、ちいさな「いいこと」の一つである。小生は受動態で参加しているが、能動態で掲載されている寺さんの継続される力に拍手を贈りたい。 日々、是々非々の見かたで何事にも取り組んでいるつもりだが、良いことよりも悪いことに目がいきやすい。それと健康の有りがたさを今更ながら痛感し、不健康は悪いことに目がいく傾向が強い。どんな状態でも「いいこと」を優先させる心の持ち方が大切だ。 (2004/12/27/9:33:13)
ハイブリッジ > 今年の漢字「災」 : 清水の舞台・・・をバックにして大きな筆に墨汁を滴らしながら書かれる文字。圧巻です。小生の私的な文字は、「会」or「健」。今年も多くの方にお会いした、親交を深めた方も多い。健康の有りがたさを痛感した年、年初1月に「インフルエンザ」で1週間寝込んだ、11月末には「鼡形ヘルニア」の根治手術と痛い目にあった。来年は、前向きな明るい言葉を選出したいものです。気が早い! (2004/12/26/8:8:12)
ハイブリッジ > 日記術 : @事実だけ・・ A書く時間の習慣化 B「よい思い出」を中心に。小生も日記をつけた事があるが、3日坊主で終わった。中座した要因は習慣化と言うよりも、日々の変化が少なく同じような記述に嫌気が指したと記憶している。このアドバイスは日記だけに留まらず、メール交換などにも有効だと思う。メールを開封する時間を決めて対応し、前向きな良いことを中心に意見交換することがポイントだ。このところ愚痴っぽいメールを撒き散らしているので、見直すよい機会になった。 (2004/12/24/17:3:8)
ともちん > 日記術‥最近はスケジュール帳に日記を書き込む人が多いそうです。移動など空いた時間にサッと書けるので良い方法かも知れません。 (2004/12/24/2:40:48)
ハイブリッジ > 「天下取り」第1歩 : どこの世界でも天下取りする人は氷山の一角。毎日のコツコツとした練習が、芸の世界では特に大切だと思う。それを成し遂げる為に、何気ない落書きや決意を込めた落書きで、自分を奮い立たせている様子が伺える。大須演芸場へは一度足を運んだ。庶民的な劇場で、名も知らぬ芸人が一生懸命演技、未来のスターへ拍手してきたことを思い出した。 (2004/12/22/12:54:19)
ともちん > 大須演芸場‥行った事がないので、行ってみたいです。スター達の原点が大須にあるなんて、すごいですね。 (2004/12/22/12:7:9)
ともちん > あたたかい心を育てる運動‥人に優しくされると、優しくしてあげたいと思います。また心優しい人になると思います。以前このページにも掲載された「小さな親切」も優しさを与えられた人だからこそ、自然に出来るのかもしれません。 (2004/12/20/22:25:36)
ともちん > 切干大根‥私は大好物で、先日母がこちらに来る時にまとめて買ってきてもらいました。保存が利き、栄養があり、日本の故郷の味ですね。切り干はひじきや高野豆腐など同じで、使い方が分からない人が多いかもしれません。 (2004/12/20/22:20:28)
ハイブリッジ > 切り干し大根 : 最近は食卓でお目にかかる日が少なくなった。後継者の問題もさることながら、栽培時期をずらした野菜の育成や保存食の技術が発達したことも、市場に出回る量が少なくなった要因だろう。それと切り干し大根の料理の仕方が??という方も多く、購入量が低下していることもあろう。懐かしい母さんの味に乾杯といきたいところだ。 (2004/12/20/7:56:0)
ハイブリッジ > 小さなチャリティー : 私の幸運:@ 一言、 A 上司を含む人との出会い、B 継続すること ・・・と続くのだろう。出会いと心の触れ合いの大切さ、感銘した言葉を継続する力の素晴らしさを、改めて一言に。 (2004/12/20/7:55:36)
ハイブリッジ > 血液型の性格判断 : ここで名乗るのも奥がましいが、小生の血液型はB型である。現在小学生なら、いじめの対象になっている? 所詮、血液型は4種類。これに性格判断をつけること自体がナンセンスなのだが・・・。 (2004/12/20/7:55:18)
ハイブリッジ > 「死」から目をそらす人たち : 鶏の解体実習も含めて、子孫にどのように教えたら良いのか? 迷いが生ずる。自然体を強調する小生も、その環境がなければ絵に描いた餅。逆にフィクションの悲惨な世界を、ゲームや漫画などで簡単に触れ、現実との乖離が大きすぎるのも命の大切を軽んじている要因の一つと考える。個の充実も重要だが全の改善も重要なファクターである。 (2004/12/20/7:54:53)
ともちん > 血液型‥血液型でいじめにまで発展してしまうんですか?確かに自分自身、「ちょっと苦手なタイプと思ったら●型だったのね」と言う血液型は存在するような気がします。でも経験上付き合い方も何となくわかり、自分に無いところを持っていたりするので、勉強になったりもします。 (2004/12/18/3:27:59)
ハイブリッジ > 白い卵 鶏の解体実習 : 2件を合わせて一言。小生が小中学生の頃、家で鶏を10羽ほど(3ケ所に年代が異なる鶏を)飼っていた。その飼育の世話から卵を取り出すなどの手伝いをしていた。卵は我家の蛋白源として食し、魚や肉を食する機会より多かった。従い「白い卵」のような貴重さはなく、自給自足の自然体であった。鶏の解体は、確か中学生になった時、初めは親父が「見てろ」次は「手伝え」3回目になると「自分でやってみろ」で手を染めた。自分が手にした時は、今まで可愛がって育てていた鶏を・・・目をそむけて血を出しグッタとすると後は機械的に調理した記憶が蘇る。「命の大切さ」というような感覚ではなく、これも自給自足の一環として捉えていた。それが現代は「いのちの授業」などと振りかぶったことになっている、難しい世の中になったものだ。 (2004/12/16/7:53:50)
ともちん > 私が結婚する時にお祝いとして、尊敬する上司に相田さんの本をいただいた。これを拝見しとても感動しました。寺さんがお孫さんに絵本を贈るように、「本を贈る」って良いですよね。この本も自分の趣味を押し付けるのではなく、さらっと読めて分かり易いものが良いです。 (2004/12/15/8:10:45)
ともちん > ゼロに戻す営み‥女性のみならず男性の方も就職、転勤などゼロからの出発も多かったのではないでしょうか?私の主人も転勤族なので、どこに引っ越してもゼロからです。でもゼロは不安なものではなく、これから新しいものを作れると言う期待感を感じさせるものだと思います。 (2004/12/14/0:43:2)
ハイブリッジ > 選ばれた靴 : 見方考え方の違いにより、心の広さとゆとりを感じます。靴に焦点を当てますと、小生もウオーキンググッズで重要なのは“靴”と、自分の足に合った靴(価格やデザインではない)を選ぶことから、履き方、手入れなど、かなり気を使っています。仮にその靴を間違えて履かれてしまったら・・・。まだまだ未熟さを感じます。 (2004/12/13/7:25:50)
ハイブリッジ > ゼロに戻す営み : 社会1級の方が見る視点は一般人とは異なると思うが、ポイントを突かれている。団塊世代だけでなく、現在のリタイア組みにもこの傾向は顕著。以前にも記したと思うが要因の一部は「プライドが邪魔をする」「現役からの切替が出来ない」など、従来の肩書きや経歴を捨てて(ゼロクリアして)地域社会へ出て行こうとする方が少ない。ゼロクリアした方は、あれもこれもと広範囲に手が出せるから、その人たちとの二極分化が起こっている。社会福祉協議会なども引きこもりを少なくしようと「シニアのための・・・」と銘打ってイベントを開催しているが、参加者の大多数は女性。小生はバカかチョンが幸いして、ゼロクリア出来た(もともとゼロだったかもしれない)。大いに第2の人生を謳歌している。
ハイブリッジ > 強迫性障害 : 正式な症状名からは第3者から何らかの圧迫による・・・と読めます? 家を最後に出かけると、鍵を掛けたかと心配になったことが最近2〜3度ある。歳と共に中高年が掛かる症状(前立腺肥大や鼡形ヘルニアと同じように)と勝手に想定していたが、これは現代病ですか。いずれにしても、どんな症状が出てもその根源を知り、早めは早めの対応と、歳の性にせず上手く付き合っていくことが肝要ですね。 (2004/12/11/7:23:23)
ハイブリッジ > 飯に醤油 : 小生も懐かしいが、別の観点から一言。・・哀しいのは別のこと・・、当時と現在では共働きの比率は各段の差があろう。小生家は貧乏であったが、母親は家に居て家事やら野菜作りやらをしていた。その影響もあって、小生家は子育て中は(末っ子が小学校低学年まで)家内を家庭にいさせた。それを自分達の子供たちが引き継ぐと思っていたが、さにあらず長女は家に居るが、三女は1年間の産休が終わると、孫を小生家に預けて仕事へ復帰した。孫には決して良いことではないと考えるが、こちらの思うとおりにならない。・・強さを養った・・などと言えるような孫の育て方を、小生家に課せられている。 (2004/12/10/20:58:26)
ともちん > 年賀状の添え文‥いつも一言は必ず添えるようにしています。でも「今年こそ 会おうと書いて 10年目」(川柳っぽく)と言うお友達が最近増えつつあります。 (2004/12/10/0:18:13)
ハイブリッジ > 年賀状の添え文 : 受取った年賀状は添え文から拝見する。差し出した小生はどうか? 添え文に相当するものとしての工夫はしている。 差出名が家内のみの年賀状は添え文欄を広く取ってある。差出名が小生名オンリーや連名の賀状は一律の文面としないで、6区分に分けている。つまり区分ごとに異なる挨拶や所信を表現して、少しでも添え文の要素を取り入れようと言うものである。しかし所詮手抜きで家内名差出し以外の賀状は相手には通じていないかも知れない・・・。 (2004/12/9/11:21:20)
ともちん > 残された男たち‥私の主人ももし私が先に逝ってしまえば、じきに死んでしまうと思う‥と、今の段階から思ってます。でもそれは私にも通ずると思います。先に逝ってしまったほうが悲しまなくても良いから楽だなと考えてしまいます。 (2004/12/9/10:53:52)
ハイブリッジ > 残された男たち : この社会一級に恵まれ自立していると思われる二人・・・。身近な例で、社会3級レベルの両親。母が80歳でくも膜下出血にて永眠、父が「ボー」としてしまい6ヶ月後(89歳)心筋梗塞で後を追う。年齢もあるが自立出来なかった一例。 一般的には女性の方が生命力が強く、男性がお先にのケースが多い。しかし、確立の少ない場合を想定し、まずは同じ趣味を持って、家事は分担し、より多くの自立要件を吸収しておくことが肝要。今更と言わずに、定年前に面舵を切替えることがポイント。頭では切替えたが、実践が伴っていない小生、これを機に家事分担の実行を・・・。 (2004/12/8/7:47:33)
ともちん > 小さな親切‥自分が意識してない行動を他の人が親切だと思うことはあると思う。でもそれは意外にも人としての最低限のマナーだったりする。無意識に自然な親切が出来ることは、子供の頃からの躾も影響していると思う。 (2004/12/7/2:38:8)
ハイブリッジ > 夫婦一緒の趣味 : この中で実行している項が一つだけある。「すべてを夫婦一緒にしない」で、この時間が長い。つまり一緒の趣味は海外旅行だけ、これは同一行動を取らないととんでもないことになるから。それ以外の趣味は全て異なり、お互いに距離間があって良いと思っている。一緒にいる時間が長いと窮屈で、ストレスが溜まると思うのは小生一人ではないと思うが? (2004/12/6/20:40:46)
ハイブリッジ > 青春18きっぷ : 時間は有るが金が無い、小生にとっては利用価値の高い切符である。この利用はウオーキングイベントへの参加。千葉県千倉市や岡山県倉敷市に出かける時に利用した。利用期間が限定(学生の春休み・夏休み・冬休みの期間)されている為、その利用範囲は限られる。更に利用日を土日・祝日全てに拡大されれば有りがたいのだが…。 (2004/12/6/20:40:23)
ハイブリッジ > 小さな親切 : 小生に出来る小さな親切。寺さんが撮影・収集している狛犬。落語家の三遊亭円丈が「日本参道狛犬研究会」を主謀し、HPを開設しているとの情報を朝日新聞で見ましたので紹介します。 http://enjoo.com/komaken/ これは既に承知されていて、小さな親切ではなく、大きなお節介ですか? (2004/12/5/9:4:59)
ともちん > 小さな親切‥このお話の車のかたは、本当に心が温かい人なんでしょうね。温かい心の持ち主になる為には、家族の存在が大きいと思います。思いやりや助け合いの気持ちが大切ですね。 (2004/12/4/11:13:2)
ともちん > 自信より夢中‥失敗に対して反省すべき点を見つけないと、同じ失敗を繰り返すと思います。夢中になれる仕事ってなかなかないので、チャレンジすることが大切ですね。 (2004/12/4/2:10:46)
ともちん > ハイブリッジさん、お体の具合はいかがですか?私なんてハイブリッジさんの代わりにもならないと思いますが、出来る限り頑張ります。 (2004/12/4/2:7:10)
ハイブリッジ > サンクスギビングデー : ワシントンの生活文化から「幸せな家族の団欒」情報を受け、日本の正月と比較しています。 子供の頃は貧しい中にも家族全員で食卓を囲み、母親が作ったおせち料理で団欒するひと時が合ったと思います。現在もそれに近い形は取りますが、食べ終わると即三々五々に自分の時間に入る傾向にあります。ゆっくりとこの時間を大切にすれば良いのにと考えるのですが、小生も頭の中だけ、実際の行動は早めに切り上げてしまいます。何故、このように心のゆとりと家族全員の纏まったゆとりと金銭の若干のゆとりとがかけ離れ、お年玉を授受すればそれで良しです。まずは自分から率先して家族の団欒を見直し行動したいものです・・・。 (2004/12/3/19:27:13)
ハイブリッジ > 自信より夢中 : その中の一言。「心・技・体」ではなく「体・心・技」の順で重要 ⇒ 手術後に時々発生する激痛に悩まされ(現在も続いているが時間が解決するとのこと)、健康がいかに大切かを身を持って感じています。一例としてウオーキングを早く開始したいというはやる気持ち!しかし身体がついていきません。まずは健康な身体(体力)、土台がしっかりしている上でのこと良くわかります。ただ技術が最後になっているのは腑に落ちませんが、一流の方はあたり前のこととして捉えているのでしょう? (2004/12/3/19:26:36)
ハイブリッジ > このところ雲隠れして失礼しました。ちょっと病院まで出かけていました。実は「鼡形ヘルニア」根治手術(両方)をして退院したいところです。現段階では手術前の予想と大きく異なり、長引きそうです。激痛と共に頭の回転も鈍り(もともと鈍いのが更に度を増し・・・)しばらくは間引き運転します。その間、ともちん、既に引き受けて頂いていますがよろしくお願いします。 (2004/12/1/20:34:32)


川柳&ウォーク