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(第129話) 子どもの運命 |
2004,11,30 |
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「第62話 得するカード」と同じコーナーからまた石田衣良さんの文を紹介したい。 育児雑誌から何度も取材を受けているうちに、だんだんと自分の子どもたちに対する原理はひとつしかない、と分かったと書きながら以下の文である。
“それは「子どもたちは自分自身の運命を持って生まれてくる」というものだ。親が子どもにしてあげられることなど、ほんのわずかでしかない。そういう意味では、英才教育だとか、おけいこごとなどナンセンスでしかない。本人に適正と才能がなければ、ほとんどの英才教育は愛情という名の拷問と変わらない。逆に資質さえあれば、いくら遅く始めても問題はないのだ。 ぼくが日本中の父親や母親に言えることがあるとすれば、ひとつだけだ。なるべく子どもたちが持っている運命の邪魔をしないでほしい。子どもたちは、自分が好きになる対象を勝手に選ぶだろう。その情熱の深さも才能のひとつである。親は脇役なのだ。まあ、のんびりいきましょう。”(11月18日付け日本経済新聞・要約)
私の考えとほぼ100%同じなので、頷いて紹介した。今年活躍したスポーツ選手の影響で、ますます幼いうちからの英才教育熱が高まっているのではないか。一部の活躍している人を見てそれが絶対みたいに感じるが、返って悪い方に働いた場合が数知れず多いのではあるまいか。
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(第128話) 人と熊の共生 |
2004,11,29 |
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ツキノワグマが山里に出没し、人に危害を加えるケースが今年、全国各地で相次いでいることに対して、前名古屋市獣医師会会長・鷲塚貞長さんの話。 “自然環境を無視し、目先の利便性と効率のみを追求した誤った森林政策の結果、広葉樹林は伐採され、かなりの山奥までスギやヒノキの人工林と化した。人工針葉樹林は実ができず、落葉もしないので冬は日が差し込まない。鳥や獣も餌がないため生息できない。腐葉土もたまらず、根が浅いため簡単に地滑りが起きる。ブナやナラといった広葉樹林から出てくる植物性プランクトンは魚介類に不可欠だが、大きく不足している。 広葉樹林の再生には最低80年かかるという。栗は3年、柿は8年で実ができるため、山に戻した熊の餌の供給源としては極めて現実的だ。植物性プランクトンの不足に気づいた宮城・気仙沼の漁民が「森は海の恋人」と、川の上流域に広葉樹を植栽を始めたことは記憶に新しい。”(11月16日付け中日聞)
人間と自然の係わりについて、いろいろな人がいろいろなことを述べている。地球温暖化が現実のものとして実感されるようになって、新聞等の記事も非常に多い。今後100年で最高気温が7度高くなり、海面が7m上昇するという予測もある。地球温暖化防止・京都議定書では温暖化ガスを1990年比6%減とすることになっているが、逆に現在では8%も増えているという。 人間はこうなることを知ってか知らずか、利便性を求めて改変してきた。熊の話や魚介類など身近な問題が、こうした話を聞くと、結構大きな問題につながっていることを知る。しっかり勉強していかねばと思う。
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(第127話) あるがままの自分 |
2004,11,28 |
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“われわれは、人生に目的や目標を設定しない方がいいのです。そしてわたしたちは、現在の自分、あるがままの自分を大事にするべきです。かりにあなたが怠け者であったとします。「自分は怠け者であってはいけない」と自分を否定すれば、みじめになります。怠け者は怠け者のまま、自分にできる努力をすればいいのです。何も他人とくらべる必要はありません。自分が楽しいと思える生き方をすればいいのです。”(11月21日付け中日新聞)
「第68話 選択的思い出」でも紹介した宗教評論家・ひろさちやさんの「ほどほど人生論」からです。この文は、一流大学、一流企業を目標に頑張ってきて、その目標が達成されると虚脱状態に陥り、1日も登校も出社もしないで去っていく若者の話から始まっています。金儲けや立身出世、健康・・・・など真に人生の目的・目標になるものはありますか?と問いかけ、この文はその結論です。 書き出しの文から「おや?」と思われたのは私だけではないでしょう。この「話・話」に出てくる多くの成功者は「目標を持って頑張る」を主張されている、さすが宗教家の主張は違うと思われたのではないでしょうか。私もそう思って多くを読み返してみました。そして、逆説のように聞こえるが、主張に大きな違いはないことに気づきました。「努力をする、他人と比較をしない、楽しむ」共通でした。
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(第126話) ラコタ族の伝承 |
2004,11,27 |
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「第118話 言葉は力」で紹介した文の後日談が掲載された。私も書かざるを得ない。
“今週、私の手元に名古屋に住む女性読者から1通の資料が届いた。かってインディアンと呼ばれた現住米国人・ラコタ族の伝承を、長老が朗々とうたった言葉である。(中略)先週の本欄で紹介したニューヨークの詩と、あまりに似ていることに驚いてしまう。無名詩の原典は、たぶん、ラコタ族の伝承なのだろう。(中略)ラコタ族から無名兵士へ、そして140年後の私たちへ。本欄で紹介した無名兵士の言葉は多大な反響を呼び、今週、それを刻んだ銘板の注文が殺到、生産はパンク状態となった。”(11月20日付け中日新聞)
こうして他の発見、つながりが出てくると更に面白く、印象深くなる。 折角だから、長老の他の言葉も紹介しておく。 “・お前の幸せの鍵を握るのは、おまえだけ。おまえの感情を支配できるのはおまえだけ。おまえを幸せにできるのは、おまえただ一人なのだ。 ・われわれはみな、貴い役割を持って生まれる。時間をかけて、自分の人生に与えられたものの価値を理解せねばならぬ。与えられなかったものに固執してはならぬ。 ・他の人と同じ、自分もまた、これまで創られた中で最も特別な存在であることを認めるのだ。他に何がなくてもおまえには命がある”
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(第125話) 自然体験 |
2004,11,26 |
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ふるさとの自然や風土と戯れ、その恵みを手にする子どもを「郷童」と名づけ、20年以上、全国各地で写真撮影を続けている写真家・岡本央(さなか)氏の文。
“「自然は感性を育む土壌」と言われる。親には、子どもと一緒に日常的に地域の自然に取り組めることを考えてほしい。自然の変化や季節感をとらえる心が育てば、自然の大切さが身をもって感じられるようになる。幼い頃に体験した印象や感触は、大人になって原風景としてよみがえり、豊かな感性や発想の原点になる。原風景がゲームや室内遊びでは寂しすぎる。自然体験には、原風景作りという大切な役割もある。”(11月20日付け朝日新聞)
省略した箇所に親子の米作りの話がある。新興住宅地の親子が田で泥んこになりながら、知らず知らずのうちに自然の大切さを知っていく話を載せている。「第64話 野良仕事」と通じる話である。 我が家では4歳の孫が来ると、畑でいつまでも泥んこ遊びをしている。汚れても自由にさせているので、それが我が家にくる大きな楽しみのようである。あの姿を見ていると、子どもは本来的に自然の中が好きだな、と思う。
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(第124話) 逆境の支え |
2004,11,25 |
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朝日新聞に「未来を生きる君へ」という欄があり、毎回著名人が若い人へ伝言を書いている。11月14日の関原健夫さんという社長さんの伝言から。 “私が勤務地ニューヨークで大腸がんの手術を受けたのは、ちょうど20年前、39歳の時だった。夢と希望にあふれた人生から、奈落の底に突き落とされた。残された日々をどう生きるかの難題に直面した。この希有の体験から得た二つの教訓を伝えたい。 第一は「人生は有限、日々精一杯生きること」。若いときは自ら人生の目標を設定し、挑戦することが大切。しかし、突然深刻な病や不慮の事故に見舞われるのも人生。やりたいことを先延ばしせずに極力実行し、時々の人生の感動や悲哀を体験しておくことが、よい未来につながるはずだ。 第二は「家族や肉親、友人をはじめ良き人間関係を大切にする」。これが、試練や逆境に見舞われたとき、最大の支えになると知った。良き人間関係は若いときから「常に新しい人と出会うように努めること」と「人のために役立つ仕事や活動を心がけること」が基本だ。”
死に直面した体験からの言葉だけに心底からの実感であろう。順境の時にはつい忘れがちになることである。時折こうした言葉に触れながら、身を引き締めていかねばならない。
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(第123話) オヤジのおしゃれ |
2004,11,24 |
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ファッションデザイナー・矢島タケシ氏の話。 “オヤジだって小ぎれいで格好良くしなくちゃいけないとなってきたのは、仕事にかかわるからでしょう。部下はそういう上司でないとついて行かない。仕事にかかわるということは、ひいては生活全般、人生にもかかわること。それほど重要だということが理解されてきました。ただ、その傾向がすごく広まったかというとそうではありません。おしゃれ以前の問題としてクリアしてほしいことがあります。まず毎日お風呂に入る。ひげをちゃんと剃って、髪も洗う。散髪は最低月1回は行って欲しい。鏡は日に1度はみて、自分自身を知ってください。 流行を追うということではなく、時代のにおいをかいてほしい。そして、今を感じられる人が、やはり仕事ができる人だと思う。”(11月15日付け毎日新聞)
ボクはこの点について、昔に比べればかなりよくなったが、それでも完全に失格者だ。男がおしゃれに気を使うのは、何か違和感がある。オーデコロンか何か知らないが、それを匂わせている男性に会うと、女々しささえ感じる。おしゃれに気を使うこともなく現役生活を終えられるのはありがたい。しかし、まだ先は長いからな・・・・そうばかりとは言っておられない????。
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(第122話) 年輪力 |
2004,11,23 |
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“過去の経験を糧にして、ふっとわき出てくる発想とかひらめきなどは、高齢者になるほど誇れる能力であろう。私はこの能力を「年輪力」と名付けて、ここ20余年、あちこちの講演や書き物で発表している。年輪力と名付けるきっかけを作ってくださったのは、ロケット博士と呼ばれた糸川英夫先生であった。 「人間は年ごとに老化していく動物だが、何かを企画するときは、過去に戻って反省したり、記憶を反芻したりする。そのことによってイメージが膨らみ、老いても創造的な仕事ができるもんだ。『逆もまた真なり』も、そんな時にひらめいてくるもんだ・・・・」”
(11月14日付け読売新聞)
これは新宿高野社長室長・天野秀二氏の文である。天野氏は数え年90歳の現役であり、「ゆびあみ」を提案しブームを沸き起こしている。 この話は「第106話 中年文化」と全く通じる話であり、こうした話が続くと、ボクら中年はますます自信を持たざるを得ない。
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(第121話) 土木の日 |
2004,11,22 |
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「土木」の文字を解きほぐすと十一と十と八になり、11月18日を土木の日としている。
“大学の工学部から、談合、汚職、利権、環境破壊、無用の長物など、本来、政治の責任であるべき事由をすべて土木という言葉に責任を負わせ、大学の工学部から「土木工学科」を駆逐したのである。土木関係講座を持つ104の大学のうち「土木」の名を使用するのもわずか24に減ってしまった。 土木とはそれほど他人の役に立たない、そして不道徳な科目なのだろうか。もともと、土木という言葉は、紀元前の史記の「築土構木」が起源である。その中で、本来、土木は聖人の仕事だと位置付けられている。 土木パッシングの嵐の中、数少ない応援団で作家の曽野綾子氏は土木は誇りを持って子供に託すことができる素晴らしい仕事だと述懐している。土木の未来には、宇宙や海底の開発など、人類の夢と希望に満ちている。”(11月18日付け建設通信新聞)
今年は台風や地震など災害に大きく見舞われた。壊れた道路や河川、土砂崩れ、その他災害復旧や国土保全は土木の分野である。高速道路や新幹線の築造も土木であり、その利便性を直接、または間接に享受していない国民はあるであろうか。 これほど大切な仕事をおとしめて国民の安心、安全はあるだろうか、快適な生活はできるだろうか。ちなみにボクは土木工学科出身である。
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(第120話) 風邪の免疫力 |
2004,11,21 |
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風邪の季節到来ですので、よく知られたことですが改めて書いておきます。
“・風邪は正式には、風邪症候群といって呼吸器を中心とした急性の炎症を起こす病気の総称である。 ・風邪を引く人、ひかない人の違いは免疫力の差である。 ・免疫力を下げる要素は、過労、睡眠不足、栄養のアンバランス、飲酒などがある。また冷えるのも免疫力を下げる。風邪の予防(免疫力を高める)や治療は、この逆である。つまり、体を温め、栄養をつけ、安静にし、よく眠ることである。 ・マスクは咳やくしゃみの飛沫を大量に吸い込むのを防ぎ、気道の温度と湿度を上げて細胞の機能を高める効果がある。 ・感染の経路は手から口へというのもあり、外出後や食事前などはこまめに手を洗うのも有効である。 ・風邪薬は症状を抑えるが、治す効果はなく、治すのは自分の免疫力である。”(11月12日付け中日新聞・岳マチ子の心身爽快)
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(第119話) ゴムひも娘 |
2004,11,20 |
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「ゴムひも娘」なる言葉を始めて聞いたが、親の甘さを活用して、結婚しても「嫁」は一切やらずに、「娘」を続ける娘のことである。このゴムひもは目には見えないが、かなり強度を誇り、親、特に母親につながっている。 “実家のすぐ近く、あるいは車でパッと行けるくらいの距離に住む。そして、「お母さーん、マヨネーズあるぅ」「二時間赤ちゃん預かってぇ」パチーンと実家へ直行する。普段も毎日のように実家へ子ども連れで遊びに行き、親子で母親の作るお昼を食べる。値の張る買い物には必ず母親を誘い、「いい?」とねだる。浮かしたお金は自分たちの娯楽に使う。”(11月14日付け中日新聞)
以前にも紹介した小川由里さんの「おばさん事典」からである。 実は我が家でも、来年2月頃に娘夫婦が近くにやってくる。「今は遠くだからきたときくらい何をやってもいいが、近くへ来たらけじめをきちんとつけるように」と、妻にいっていた矢先にこの文章である。ボクは大丈夫だが、妻にはいささか心配である。子どもの自立を妨げてはならないし、自立を促さねばならない。
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(第118話) 言葉は力 |
2004,11,19 |
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“「・大きなことを成し遂げるために力を与えてほしいと神に求めたのに、謙遜を学ぶようにと弱さを授かった。 ・偉大なことができるように健康を求めたのに、よりよきことをするようにと病気を賜った。 ・幸せになろうとして富を求めたのに、賢明であるようにと貧困を授かった。 ・世の人々の賞賛を得ようとして成功を求めたのに、得意にならないようにと失敗を授かった。 ・求めたものは一つとして与えられなかったが、願いは全て聞き届けられた。」 この珠玉の言葉は、南北戦争に従軍した南軍の無名戦士が記したものといわれる。長野県高森町では、この言葉を銘板にして形に残そうという運動が始まった。そして、「悩める人々への銘」として発売したところ、まもなく注文が殺到し、生産が追いつかない。140年前の米国兵士の言葉が、時空を超えてかくも多くの人の心を打つ。言葉はやはり力である。”(11月13日付け中日新聞・要約)
我々がこの世において求めるものは、往々にして人間としての道を危険にさらす。二兎を得るのは難しい。それを知っているから、この言葉は人々の心を打つ。悩める人に勇気を与える。
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(第117話) 一宮自分史の会 |
2004,11,18 |
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「一宮自分史の会」という会があって、新しい自分史集「ふくら」が発行されると毎回いただいている。先日いただいた第5号の伊藤会長の「はじめに」から少し抜粋してみる。
“自分史は多少厚顔でないと、ときには恥知らずの謗りを甘んじることなしに、読むに耐える作品は出来ないものだ。私はそのように思っている。 会員みんなは、自分の中の出すべきものを出しきり、書ききろうとしている。 これからもこんな姿勢で自分と自分を取り巻く庶民社会を発掘し、より真実に近づける努力を続けていくことを信じている。 やたら頑張れなくても、いまここに存在する自分を見詰め大切にしつつ、息長く「自分史」に取り組んでいきたい。”
いまは自分史ブームともいわれる。一般庶民が積極的に自分の歴史を綴り、ささやかながら自分を主張できる機会が、容易にもてるようになったことはいいことだと思う。そして、引用の最初の部分のように、自分史に謙譲は美徳ではなく、厚顔であることが重要である。ホームページも一つの自分史であり、ボクのホームページなどまさに厚顔の最たるものである。
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(第116話) 惚れるが勝ち |
2004,11,17 |
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“惚れたら負けよ、そうかも知れない。愛するよりも、愛された方が楽だ。雨の中で待ちぼうけを食わされることもなし。でも、いっぱい恋をして、一生懸命になったほうが、自分の恋の主役をはれる。その数時間後において、部屋で居留守を使っていた私より、雨の中で待ち、電話をかけ、焦燥にかられて彼女の自宅へ押しかける彼のほうが、どう考えてもドラマチックな時間を生きている。”(11月7日付け中日新聞)
毎週日曜日に「恋する歌音(カノン)」と題して、新進気鋭の歌人・佐藤真由美さんが随想をのせている。時折読んでいるが、11月7日は「惚れるが勝ち」という副題で上記のような文を書いていた。この文は、十代の頃、デートをすっぽかした思い出のようである。 最近の若者はどんどん晩婚化している。「第62話・得するカード」で、結婚するメリットが見いだせないことが晩婚化しているという話を紹介したが、私は振られる格好悪さを味わいたくない、という男性の消極的心理も一因ではないかと思っている。小利口になったのだ。男が恥をかかずにどうするのだ・・・・ボクはいっぱいかいた。
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(第115話) 母さんとの結婚が一番 |
2004,11,16 |
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“「今度は父さんが電話してみて」「オウ、そうするよ」。黒く光った電話をみながら、ゆっくりとダイヤルをまわした。ジージージー。この場におよんでもまだ、誰も電話に出ないでくれと思った。(中略) 黒電話がつながって、今こうして新しい生活を始めている。新しい生活は、寄宿舎。聾学校の生徒、そして理療科の勉強。給食、遠足、あいさつ運動、何もかも新鮮だ。やるっきゃない。”(11月8日付け毎日新聞)
これは、「第73回全国盲学校弁論大会全国大会」で優勝した、静岡県立静岡盲学校1年守屋剛さん(60歳)の弁論のほんの一部分である。C型肝炎、肝硬変、肝臓がん、そして白内障を患い失明。天職だった大工をやめて、失意のどん底だった昨年冬、妻のモト子さんの勧めで盲学校に電話し、在学中の今の模様である。 そして、優勝インタビューで、 「幸せという意味では、やっぱり母さんと結婚したのが一番。その次に、子どもが生まれ、元気に育ってくれたこと。申し訳ないけど、今日の賞は3番目ですね」 こうして「話・話」を書くようになって、人間て素晴らしい・・・・素晴らしい人間がいるものだと言うことをつくづく思う。そして、我ながら良いことを始めたとつくづく思う。
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(第114話) 本当の自由 |
2004,11,15 |
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“高度成長期以降、「自由」な新築建築の名のもとに建築が謳歌した自由とは、建築物の周囲の環境への配慮のなさの別名であり、その建築が立つ場所の伝統や風土に対する信じがたいほどの無関心を、都合よく「自由」と言い換えたに過ぎなかったのではないか。 一方、コンバージョン(用途変更)、リノベーション、リフォームのたぐいは、一見すると「不自由」の固まりである。なにしろ、そこには古いものを残す大前提がある。しかし、いざデザインの作業を始めてみると、制約があるせいで、逆に自分が今まで思ってもみなかったような素材に挑戦を余儀なくされたり、やったこともないような形態処理を試みる羽目に陥るのである。 人間は「自由」にふるまっているつもりの時こそ、もっとも怠慢に、過去の自分を繰り返すものなのかも知れない。われわれの都市はその「自由」のせいで随分と退屈なものになってしまった。不自由と見えるものの中にこそ、本当の自由があるのである。”(11月7日付け日本経済新聞)
この文は、慶應義塾大学・隈研吾教授の「不自由な建築」と題する文の要約で、本文はこの5倍ほどある。事例も示さないこれだけの文で、本旨が理解されるか非常に不安であるが、後段の「人間は・・・・本当の自由があるのである。」という部分に、非常に興味を覚えて紹介した。なかなか味わいのある内容である。 この「話・話」は、いかに短い文章で要旨を違えず紹介できるかが、考えどころである。長い文章ほどまずいと思っている。
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(ともの米国便り第9便) 美容院 |
2004,11,14 |
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アメリカへ来て以来、私が英会話より悩んでいるのは、美容院選びです。 アメリカのほうが流行の最先端だと思っていたのですが、大間違いのようです。
まずこちらの美容院は料金が高いです。ヘアカットのみで60ドル(6500円位)からです。 それにプラス税金やチップ(料金の20%位)が加算され、おまけにシャンプーの方にも5ドルほどあげなくてはならないようです。
次に技術の面ですが、はっきり言ってイマイチです。こちらには「髪をすく」という技術が無いらしく、技術のレベルアップの為の勉強会もないようです。 欧米人とアジア人との髪質の違いも大きいようで、一度こちらの美容院に行き失敗した日本人の中には、日本へ一時帰国する際に美容院に行く人も多いようです。 私も日本のきれいで上手な美容院に行きたいうちの一人です。 美容院へ行きたいが為に、一時帰国も時々考えてしまいます。(笑)
髪は女の命ですもの‥もっとレベルアップしてもらわなくっちゃ!
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(第113話) いい歯の日 |
2004,11,13 |
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11月8日は、語呂合わせではあるが「いい歯の日」であるそうだ。その1月8日付け中日新聞に、愛知県歯科医師会会長・宮村一弘さんと女優・柴田理恵さん対談記事が載っていた。その中で、宮村さんの言葉から抜粋。
“最近は虫歯や歯周病の増加が指摘されていて、実はこれも生活習慣病で、内科的ないろいろな病気を加速させているのではないかといわれます。動脈硬化や、老人に多い誤嚥性肺炎などもその40%は歯周病が原因ではないかと。 80歳で20本以上の歯を保とうという「8020運動」を進めていますが、これも相当意味のあることで、20本あると、例えば握力まで全然違ってくる。片足立ちも、20本ない人の3倍、30秒間できます。 虫歯も歯周病も細菌感染ですから、ブラッシングという生活習慣を続ければほとんど予防できるのです。”
私はちょうど今、歯の治療中である。2年ばかり前に2本を入れ歯にしたのだが、強く噛めないし、何よりも食事がうまくない。そこで、それがかなり解消できるという「インプラント」という治療を施すことにした。2本で50万円弱という大枚がかかる治療である。これから40年使うつもりなら引き合うだろうという大英断だが、何とも金のかかるものである。歯は大切にしたいものだ。
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(第112話) 夜回り先生 |
2004,11,12 |
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実話に基づいた「夜回り先生」というドラマを見た数日後、その夜回り先生こと元高校教師・水谷修さんの話が11月6日付け読売新聞にあった。 “教員というのは、階段の一段なんです。子どもによって体を低くしたり高くしたりする。教育とは待つことなんです。子どもを変えようとは思わない。すべての子どもたちは、花の種を持っている。でも自分で咲かせなければいけません。 夜回りするのが偉いんじゃない。昼の世界が優しくなって居心地よくしてやれば、そういう子は夜の世界にはきません。誰でもいいから「お前と会って良かったよ」って認めて褒めてやってほしい。実はそういう優しさは潜在的に多くの大人が持っている。”
私は自分の子どもが成長して以後、高校生以下の子どもと接する機会はほとんどなかったが、今年になって、町内会役員として子供会と、グラウンドワーク東海の事業で小学生と接する機会ができた。また、孫の成長や娘婿が小学校の先生であることもあって、再び関心が向いてきた。 その夜(10月27日)は特に予定もなかったので、「実話だよ」という妻の勧めで何気なく見たドラマであったが、印象に残っていて、この記事もすぐに目に付いた。こういった偶然は嬉しいものである。
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(第111話) 自立した老人 |
2004,11,11 |
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今や、元気な老人の代表として著名な聖路加国際病院・日野原重明理事長のインタービュー記事が、11月2日付け読売新聞に出ていた。 “「自立した老人」を増やすことが必要だと考え、「新老人の会」を提唱し、設立に取り組みました。老人の定義が決まったときの平均寿命は68歳、現在は82歳。だから、10年底上げして75歳以上を新老人とした。 健康維持には、20歳から33歳の時の体重が年を取ったときのベスト体重なので、その体重を保つこと。老人は低カロリーの摂取を心がけること。そして、老人に強調したいことは、「愛する」ことが大切であり、困難に「耐える」ことであり、取り組んだことのない新しいことに挑戦して「創る」の三つです。それと、運動をしていない人は運動をする、社会活動に参加するといった自分の環境を変えることが大切です。”(要約)
老人の話が多くなって若い人には恐縮しているが・・・・・このページを読んでいただいている多くの人は、多分私に近い年齢と思ってお許しいただきたい。しかし、「愛する」「耐える」「創る」は若い人こそ大切なことであり、それを老人にも要求するとは、さすが日野原理事長といわざるを得ない。 そして、今回この話を取り上げたことに次のことがある。私の住む村では60歳から老人会に入らねばならない。私にとってはもう近々である。私が老人会とは・・・・・本当に腹立たしく思っている。この新老人の会のように75歳とはいわないが、せめて年金が出る65歳にはして欲しいものだ。
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(第110話) 質問の意義 |
2004,11,10 |
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質問の意義は「真実を解明する人間同士の真摯なやりとり」であるいう、同志社大学教授・浜矩子(のりこ)さんの話。 “「どんな馬鹿でも質問に答えることはできる。重要なのは質問を発することだ」。1930年代を軸に活躍した著名経済学者、ジョージ・ロビンソンの言葉である。名言だ。鋭い質問なくして、真実の探求はない。 ところが、どうも世の政治家や政策立案者たち、そして経営責任者たちにも、質問されることを忌み嫌う傾向が目立つように思う。質問は詰問で尋問だと思うから、反応におびえが出る。無難に逃げ切ろうと焦るから、あいまいで防御的な物言いになる。あるいは妙に高飛車になったり、けんか腰になったりする。それがあるから、質問者側も遠慮がちになってしまう。 そこにあるのは、真実を解明しようとする人間同士の真摯なやりとりであるはずだ。神よ、我らに多くの勇気ある質問者と回答者を与えたまえ。”(11月1日付け中日新聞)
この分析に感心しての紹介である。私も多くの会議やフォーラム、説明会などのを経験してきたが、その成果は質問者によって大きく左右される。上手な質問は皆が知りたいことを聞き出し、その催しを活発にする。質問によって回答者が気づくこともある。質問者の重要性を改めて認識したが、しかし、難しい。
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(第109話) 待てない |
2004,11,9 |
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“ぼくたちは待つことがますます苦手になっていないか。大人は子どもが待てない。老人や障害者の「遅さ」が我慢できない。充分に効率的でない自分を責め、急かせる。 生きものたちの時間を、大地のゆったりとしたペースを、ぼくたちは待てない。だから再生可能な速度をはるかに超えるスピードで資源を消費し、通常より4倍早く育つ野菜や、10倍早く育つサケを開発し、地球が手に負えないほどの早さでゴミを出し続ける。 待てないということ。それは相手が自然であれ、人間であれ、共に生きるのが下手だということだろう。愛することがますます困難に感じられてはいないか。なぜなら、待つこと抜きの愛はありえないだろうから。”(11月1日付け朝日新聞)
この文は、文化人類学者・環境運動家の辻信一氏が「こころの風景」という欄に書かれたもので、これで全文の約半分の長さである。私はこの短い文を何遍も読んだ。そして、ボクも全く現代文明に毒されていると知った。生きることも愛することも下手だ。
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(第108話) 技術を損なう形式主義 |
2004,11,8 |
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技術王国といわれたてきた日本の建設技術の凋落について、 “それは一言で言えば「形式」が「本質」を駆逐したからにほかならない。技術の神髄が、立派な作品を物したいという情熱と、それを実現する知恵を模索する意欲の中にこそあるという単純な事実を忘れ、無機質なマニュアルなどへの信仰が過ぎるのだ。具体的には、職場から生産的対話が消えたことがあげられる。議論を育てるべき「会議」も形式主義に陥っている。「報告書」も対話に重要な形式の一つだが、これも内容は形骸化している。「歯を磨く」が計画で、「歯を磨いた」が報告だという程度の認識が多く、「事件」への言及には至って少ない。”(10月29日付け建設通信新聞)
いささか私の専門分野の話であるが、全く頷く部分が多く、私も憂えているのであえて掲載した。「第98話 考えるマニュアル」と通じる話でもある。「安心」「安全」が叫ばれる中、今年は台風や地震の被害が例年になく大きい。中越地震では新幹線の安全神話も崩れた。私は元々安全神話など信じていない。大地は浸食風化し、土木構造物は老朽化する。造るときによほどの余裕が必要だし、絶えずメンテナンスを施さねばならないが、今はコスト縮減、人員削減の動きばかりである。更に、技術者の社会的地位低下が、技術凋落に拍車をかけている・・・・と、私は思っている。
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(第107話) 一葉は健脚だった |
2004,11,7 |
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新5千円札の肖像に選ばれた明治の作家・樋口一葉は肺結核を患い、24歳の若さでなくなっただけに、ひ弱いイメージが強かったが、実は健脚だったという話である。
東京の医師・村崎芙蓉子さん(69歳)が「一葉日記」の記述をもとに同じ道のりを歩いたら、44823歩あったという。1歩50cmとしても22.5kmになる。 “昔は歩くのが当たり前といってしまえばそれまでですが、一葉さんはまさに歩く女だったんです。自分も一葉になりきって歩こうと、今年4月から、日記に残された道のりを休日を利用して十数回にわたり歩いてみた。最初はパンツとシューズ姿で歩いたが、やがて「着物のすその感じを味わえるように」と巻きスカートに。履き物も下駄に替え、昔と今の地図を見比べながら歩いた。”(11月1日付け中日新聞)
11月1日夜のテレビドラマでも一葉を扱っていた。私も久しぶり夜のドラマをじっくり見た。そこの一葉も活発、きびきびした一葉であった。しかし、私は村崎さんにより興味を覚える。69歳の女性が現在の東京の町を、下駄で、巻きスカートで十数回も20kmの以上の同じ道を歩く姿を想像すると、何とも痛快である。これぞ好奇心の固まりである。この好奇心が新たな発見、発展をもたらす。
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(第106話) 中年文化 |
2004,11,6 |
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“50歳を迎えた頃、再就職に挑戦することになったほとんどの人がまず口にすることは、次の言葉です。「資格はありません。専門的な知識もありません。今から勉強するのは大変だし・・・・」” 何か自分のことを代弁してもらっている感じである。 しかし、10月28日付け毎日新聞で、経営コンサルタントの平山俊三さんは、 “私は、歳月を経た中年だけに身についた取りえを「中年文化」と総称しています。その中年文化こそ、雇用されるための商品価値の一つである「個人に資質」そのものなのです。例えば、豊かな経験に裏打ちされた折衝力や説明力、包容力がある人格、そして長年培った人脈などです。これは、50歳を迎えた人なら誰でも身につけているものなのです。”
国際労働機関(ILO)は、エンプロイアビリティー(雇用される力))として、「技能」と「知識」と「個人の資質」の三つから成り立つと定義していて、平山さんは個人の資質として、中年文化はきわめて重要な基礎部分といっている。
取り立てて取り柄のない我ら中年には、嬉しい話ではないか。中年文化を武器に仕事に、ボランティアに、もう一働き社会活動をしようではないか。
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(第105話) 24時間営業 |
2004,11,5 |
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“病院などのように人々の生活や安全に大きな支障をきたす訳でもないコンビニが、24時間365日休みなく営業を続ける必要があるのでしょうか。直接コンビニで働いていなくても、これだけ数が増えれば、かなり多くの人がコンビニにかかわっていることになります。便利さの提供のために、多くの人が人間らしい生活を捨ててがむしゃらに働いています。父親は子どもと顔も会わさずに働き、孤立した母親が子どもたちを束縛したり、逆に放任したりしているのではないでしょうか。その結果、家に帰りたくない子どもたちがコンビニにたむろするのでは、あまりに皮肉です。”
これは10月21日付け読売新聞に掲載された、主婦(29歳)の方の投書文(抜粋)である。私が常々思っていることなので、紹介した。24時間営業について自由主義経済社会、経済の活性化、住民の要求・・・・いろいろな理由があるだろう。一方、青少年の健全化、犯罪の防止・・・・などについて、いろいろ高邁な議論がされている。しかし、コンビニを始め人間の便利や利益追求のために、不要不急の長時間労働で社会の不健全を誘発しているのものが数多くあるのではなかろうか。私には高邁な議論や少々の施策より、長時間労働をなくす方がよほど有効である気がする。
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(第104話) ユビキタス時代の杞憂 |
2004,11,4 |
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ユビキタスと言う言葉を最近よく聞くようになったが、これはラテン語で「同時に至る所にある、遍在する」という意味で、いつでもどこでも簡単にコンピューターを利用できる環境を呼んでいる。
“人間として持っている知力及び感覚をコンピューターが代替えしてくれると言うことになれば、人間の五感も知性も限りなく退化していくだろう。げんにワープロを打っていると漢字をどんどん忘れていく、覚えている必要がないのだ。これはゆゆしき事態である。いずれ私たちは「主体的にものを考える」と言う能力を失ってしまうだろう。なぜなら私たちの替わりにコンピューターに考えさせればいいのだから。かくして「哲学の終焉」がやってくる。人間は自らの進歩によって退歩しているのである。”(10月8日付け建設通信新聞)
人間は生存して以来、豊かな、楽な方法を絶え間なく追求してきた。そして、人間としての能力は退化し続けてきた。現在もそれを続けているに過ぎない。ユビキタスもその一つであろう。今までやってきたこと、今さら杞憂することがあろうか・・・????。でも私もなぜかある気がする・・・人間の心の中まで入り込んできている。
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(ともの米国便り第8便) シェンナンドー国立公園
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2004,11,3 |
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ワシントンDCから車で約2時間。シェナンドー国立公園はアメリカ東部のアパラチア山脈の東側を、並行に走るブルーリッジマウンテンの懐に抱かれた国立公園です。地元では紅葉の名所として有名です。
この公園にはクマ、シカ、アライグマや鳥類、ちょっと苦手なヘビなど見ることが出来るようです。私は運良くかわいいシカを見ることができました。
ドライブするのも良いのですが、自然と直に触れ合いたい人のために、ハイキングトレイルもいくつかあります。 このトレイルには初心者用の手軽な滝や山頂に行くコースや森の奥に行くような本格的なトレイルもあるようです。 そして驚くことに公園内のハイキングトレイルの長さを全て合計すると800キロを超えるそうです!ちょっと想像できないですね。
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(第103話) 私を見守る日記帳 |
2004,11,2 |
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“つつがなく90歳の誕生日を迎える今年、3年連用日記を準備した。若い日は、明日も分からないのに来年のことなんてと思った。今年だけのダイアリーで十分だった。こんな年になると、何か来年もその次の年も手のひらの上に載っている気がする。高齢になってからの日記は、残っている日々をいかに有意義に終わらせるか。自分のための楽しい日記を書ける日を持ちたい。そんな私の日々をじっと見守るもう一人の私、それが日記かも知れない。”(10月24日付け朝日新聞)
この文は、90歳になる女性の方の投稿文である。「私の日々を見守るもう一人の私、それが日記」という表現に、頷いての紹介である。確かに日記を書くときは、自分から離れて自分を見ている面がある。そうして少し冷静になれるところが日記の効用の一つであろう。この方はもう何10年、日記をつけてみえるのだろう。若い日は明日もわからないとは、戦争時代だったのであろうか。90歳にして3年連用日記を買い、このような素晴らしい投稿をされるのも日記のおかげであろう。ボクの3年連用日記も7冊目20年になるが、この人の前ではまだ何も言えないな・・・。
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(第102話) トンボを通した環境教育 |
2004,11,1 |
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10月28日付け中日新聞に、中部9県の教育界で活躍され、実績を上げている個人、団体に贈られる「第36回中日教育賞」の受賞者が載っていた。その中に「トンボを通した環境教育」に功績があったということで、牛山正人さん、川口邦彦さんの名があった。私はこのご両人とつい最近知り合ったのである。 私が所属しているNPO法人グラウンドワーク東海では、いま河川環境管理財団の補助を受けて「小学生による大江川の生物観察」をしている。この活動結果については、当HPで後日紹介することになると思うが、この指導をいただいているのがこのお二人である。牛山さんは高校教師で環境省登録の環境カウンセラーであり、川口さんはビオトープ管理士である。昨年秋にNPO法人「トンボと水辺環境研究所」を設立されている。
“1998年からトンボを通して自然や命の大切さを訴え、プールのヤゴ救出やビオトープ造りに共同で取り組む。自然環境の悪化、消滅に心を痛め「絶滅の恐れがあるのはトンボより、それを追いかけ自然に親しむ子どもたち」との思いが二人で一致したからだ。” 絶滅はトンボより子どもという、強烈な訴えである。大江川観察の折、小学生に熱意を持って対応されるお二人を感心してみていたが、それはこの心配の現れか。3ヶ月前なら目にも留めなかった記事だろうが、今は嬉しく読むことができた。
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