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(第101話) 掘るまいか |
2004,10,31 |
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10月23日の新潟県中越地震に襲われた山古志村は、全住民が村外に避難しなければならないという大変な事態になっている。 “国の重要無形民族文化財に指定された闘牛。美しい棚田。住民が16年をかけて掘り抜き、手堀としては日本最長(約900m)の中山隧道。新潟県の山古志村には村人の誇りがいくつもある。 薪や穀物を運ぶ牛も、山肌を切り取った水田も、つらい山越えをしなくて済むトンネルも、それなしには暮らしは成り立たない。観光用の人寄せでも、村おこしでもなく、生活の中から生まれた誇りである。”(10月26日付け読売新聞)
題の「掘るまいか」は、村人がつるはしだけで昭和8年から掘り始め、16年かけて完成させた中山隧道を題材に、昨年10月に完成した映画のタイトルである。知人が昨年10月1日付け日本経済新聞に載った、この映画の監督・橋本信一氏の文を渡してくれた。 “最初のうち、私たち撮影隊は村の人々にとって「よそ者」だったに違いない。それが「身内」に変わる瞬間があった。松崎六太郎さんら二人を案内役に頼み、雪の中山峠越えを実際に体験してみた時のことだ。約4時間。体の隅々まで凍り付き、くたびれ果てた。ところが、この峠越えが村内で反響を巻き起こした。「よくやった」「たいしたものだ」。”
この中越地震で、全国のほとんどの人が知らない「山古志村」の名を有名にしたが、あまりに痛ましい災害である。中山隧道がどうなったか、情報がなかなか見あたらない。現在、映画は全国を回って上映されている。私も機会があったら見てみたいものだ。
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(第100話) 妻に肝臓をもらう |
2004,10,30 |
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“去年6月、私は末期がんになった肝臓を切除し、妻の肝臓の約3分の2を移植する手術を受けた。自分だけでなく健康な妻をも危険にさらす手術だけに、決断までには迷いがあった。結局、「もう少し一緒にいたい」という彼女の言葉に背中を押された。手術は15時間に及んだが、つらかったのは術後の1週間である。想像を超える激痛に耐えながら、それ以上に、痛みを訴える妻を見るのがつらかった。そうまでして生き延びたことに後ろめたさを感じた。”(10月25日付け朝日新聞)
売血の体験取材からC型肝炎にかかり、肝硬変から末期がんへと進み、妻の臓器提供を受け入れた、元朝日新聞記者の植竹伸太郎さんの文である。夫婦って凄いものだと思う。 しかし、自分がそうなったとき、妻がそんな言葉を言ってくれる自分であったか、また、それる受け入れる価値がある自分であったか、それがまず問題だ。 植竹さんには「妻に肝臓をもらう」という近著がある(亜紀書房発行)。
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(第99話) それからどうなる |
2004,10,29 |
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中日新聞に「自署を語る」という欄があり、10月7日付けの新聞に作家・佐藤愛子さんが書いていた。後半に、“「それからどうなる」を早速買って読みました。寝ながら読んであんまり笑うので、夫がうるさいと怒りました。こういう手紙をもらったが、この本は悲劇の書なのである。”と書かれた部分があって、私も思いきり笑いたくなって購入してきた。 「それからどうなる」は67歳の時書いた「我が老後」から始まり、「なんでこうなる」「だからこうなる」「そしてこうなった」の第5巻目に当たる続編である。著者は今年81歳である。
“私の元気のモトは憤怒だ。憤怒すると疲れるという人がいるけれど、私は憤怒によって更なる力が沸いた。”と書かれているから、全く丈夫な人だ。いろいろなことを言っているが、私にとって参考になる部分を一つだけ書いておく。 “「私もボケてきているの。ボケてきているもんだから、こういうことはハッキリさせたいのよ。ボケるに任せているとますますボケるっていうでしょ。ほっとくと加速度がつくらしいのよ。だから抵抗しなくちゃ。思い出せないときは、諦めないで思い出すまで頑張るのよ。思い出そうと努力する・・・・・それが大事なのよ・・・・」”
恥ずかしがらず、何度も聞いてでも思い出す、ボクも頑張ろう。
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(第98話) 考えるマニュアル |
2004,10,28 |
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“OLがハンバーガーを会社のまとめ買いで30個買いに行った。カウンターの店員は「お店でお召し上がりですか、お持ち帰りですか」と聞いた。30個のハンバーガーを女性が一人で食べるわけがない。マニュアルに基づいた従業員教育の典型事例だ。同様なマニュアル教育にディズニーランドがある。両者のマニュアルの大きな違いは、このファーストフード会社が「こう言うときはこうしなさい」と細部まで行動手順を決めているのに対し、ディズニーランドでは「こういうときはどう考えるべきか」という行動規範が目的、形、注意として表してある。例えば入場券販売のマニュアルには、目的が「東京ディズニーランドにおいでになったゲストと最初のコミュニケーションをとることです」とある。形としては・・・注意は・・・。”(10月20日付け建設通信新聞)
現在はマニュアル社会、マニュアルがないと批判され、マニュアル通りにやっていないと処罰される。一方、若者をマニュアル人間として、マニュアルがないと何もできないといって批判する。確かにマニュアルがあると間違いは少ない、しかし、考えない、心がこもっていないなど弊害も多い。諸刃の剣である。マニュアルの作り方が問題である。
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(第97話) 67歳の100勝 |
2004,10,27 |
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67歳で卓球全日本選手権100勝を達成した伊藤和子さん(69歳)のインタービュー記事が10月17日の中日新聞に載っていた。
“女子は当時、25歳で卓球をやめるのが普通だった。「何でそんなに続けるの」とよく聞かれたが、返す言葉はいつも一緒だった。「卓球が好きだから」 70年代(30代半ば)、通算60勝を越えると100勝を意識し始めた。でも、40代半ばから勝つのが難しくなった。99勝で王手をかけながら負けたとき、「もうやめようか」と弱音が頭をよぎった。迷いが態度に現れたのか、観客のおじいさんから声が響いた。「あんただけの100勝やないんや」ここでやめたらいかんと思った。そして、翌年、100勝を達成した。”
前人未踏とは言うが、全日本選手権大会100勝がどれほどの価値のものか知らない。でも67歳という年令で達成、更に調べてみると、60歳で98勝目を上げてから99勝目を上げるのに5年かかっていることを知った。これは全く凄い、勝利も生も執念だ。現在も卓球部監督をしながら週6日卓球漬けだという。
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(第96話) あしなが学生募金(その2) |
2004,10,26 |
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私は23日の日、一宮歩こう会の例会に参加するため、一宮駅に向かった。そして、駅構内で募金活動をしている顔見知りの学生を見かけた。寄っていって声をかけ、少額の募金をした。その日の夜、この学生らを支援している女性から、このことを非常に喜んで報告してくれた、というメールが届いていた。そして、その女性の言葉。
“時々、「何故あしながの活動をするのですか?」と聞かれます。あしながの為にやっているように思われがちですが、学生の頑張っている姿を目の当たりにして、自分も頑張らなくてはと、奮起する事が出来て、実は、自分自身の為にやっている事なのです。”
私のこのHPの http://terasan.web.infoseek.co.jp/wah058asi.htm を見ていただいても分かるように、彼らは本当に一生懸命にことに当たるのだ。ここに集まっている人達は、人の痛み、温かさが分かっているうえに、ボランティア心を持っているから当然であろうか。 現在、「あしなが育英会」「あしなが学生募金事務局」では、遺児の大学進学促進のための学生寮「あしなが心塾」の建設費募金もしている。あまりの少額なのに喜んでくれたことが返って気恥ずかしく、早速この募金にも応じた。
学生募金は10月30・31日も行われるということで、急いでこの話を紹介した。皆さん方にも募金協力をお願いします。
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(第95話) あしなが学生募金(その1) |
2004,10,25 |
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一宮歩こう会は「あしながPウォーク10」の行事に係わることがきっかけで、あしなが育英会から奨学金を受けている学生と相互協力が始まった。そして、なぜか私はこの学生らと触れあう機会が多い。 10月23日より今年の秋の「あしなが学生募金」が始まった。その日の中日新聞「中日春秋」欄に、奨学金を受けている落合さんという大学生のことを紹介していた。落合さんは小六の時、公務員の母をガンでなくしている。
“病気と闘う人や家族の支えになりたいと看護師を目指し、あしなが奨学金で進学した。大学に入って始めたあしながの活動。離婚後に母親が自殺した女子生徒をはじめ自分より一層つらい境遇を生きる子どもたちを知った。「私は何を甘えているの。でも、痛みは分かる」。遺児の支えになりたい、彼らのことを知ってもらいたいと4年生まで学生募金を続けた。”
遺児母子家庭の平均勤労年収は138万円で一般家庭の3割という。また、34年間の学生募金の実績は、募金額74.5億円、参加ボランティア180万人、そして、遺児6万5千人の進学の原動力になったという。
少し長くなりますので、2回にして紹介します。
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(第94話) 「人」が差別語になる? |
2004,10,24 |
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第63話「接客は厚化粧」で、二重敬語の話を書いたが、10月16日付け毎日新聞でも同じような話が出ていた。 “誰かについて話をするとき、私は「あの人は」というが、気をつけて聞いていると「あの方は」という表現が多数派だ。「人」よりも「方」のほうが丁寧だと考えるのだろう。どの言葉も、放送の中でアナウンサーやリポーターが多用して、やがて一般の人の会話にも使われるようになった。。テレビ局などに聞くと、丁寧な言い方を元に戻すと「生意気だ」「人を見下している」などの苦情がくるのだという。それで、「とりあえず、丁寧な言葉を使っておけば」となるらしい。そのうち「人」が「差別語」として排斥されてしまう?”
これを書かれた荻野祥三という記者も「言葉使いに自信が持てなくなった」と書いてみえるが、私も全く同じである。今書いた「書いてみえる」もこの使い方でいいのか、「書いている」ではいけないのか・・・・自信がない。マスコミは国民を誘導していくのだから、しっかり勉強して、変に迎合することなく、正しい日本語を自信を持って使ってもらいたいものだ。
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(第93話) 妻が捨てたもの |
2004,10,23 |
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現在の日本を代表する日本画家・平山郁夫さんの奥さん・美知子さんは郁夫さんと東京美術学校の同級生で、互いにトップ争いをしてきた中。郁夫さんにプロポーズされた美知子さんは、そのころ進んでいたアメリカ留学の話も断って郁夫さんとの結婚を決意し、同時に自らの絵筆を折ることを決断した。
“「夫婦で絵描きという場合、往々にしてお互いに足を引っ張り合うんですね。しかも女性のほうが家事や育児などいろんな苦労を背負うから絵にも深みが出て、伸びる。そうなると男は焦るし、その結果そのまま消えていくという例をたくさん見ていたので、私は夫になる人にそうなってほしくなかったんです。 彼は私を愛してくれたんだから、そのお返しをしなきゃと思ったのね。なら自分の一番大事なものを捨てようと。だから絵をやめた。だって簡単に捨てられるものを捨てても、捨てる価値がないでしょう。」”(2004年2月号「清流」)
この妻にしてこの夫あり、この女にしてこの男あり。この逆はありや・・・・???。
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(第92話) 「山内一豊の妻」誕生地 |
2004,10,22 |
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初代土佐藩主となった山内一豊の妻・千代は、内助の功で夫を支えた賢夫人として知られる。馬を買う金に困った夫のために、鏡箱に隠していた持参金を差し出して助けた逸話で名高く、私も小さいときから知っている話である。この千代が2006年のNHK大河ドラマの主人公に決まった。
一般に千代は浅井家の家臣・若宮喜助の娘として滋賀県近江町で生まれたとされているようだ。しかし、岐阜県郡上市では、地元郡上八幡城の初代城主・遠藤盛数の娘だとして、もう20年も前から「山内一豊夫人顕彰会」を作って訴えている。大河ドラマの主人公に決まったことから、郡上出生説のアピールに躍起だ、という記事が10月16日付けの毎日新聞に出ていた。 NHKの大河ドラマに扱われるとなると、毎年のことながら観光客目当てに地元は必死になる。事実その効果は大きいようだ。陽の当たらないところに陽が当たるようになって結構なことだと思う。
ところが、山内一豊自身の誕生地についても争いがあり、愛知県木曽川町と愛知県岩倉市である。直線距離にして12kmばかりであり、私の家はその中間あたりにある。来年11月の愛知県ウォーキング協会の例会は「山内一豊誕生地を訪ねる」として、私が担当で、この両地を結ぶウォーキングが予定されている。私も誕生地騒動に目が離せない。木曽川町は来年4月から一宮市になる。
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(第91話) 詩集・トツキトウカ |
2004,10,21 |
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●毎日流れるいやなニュース 何の理由もなく簡単に人が死ぬ 人間は簡単には生まれてこないのに ●子宮の中はいいね 暖かくて穏やかな平和だね 出たくないって思ってる? でもね いいこともあるよ ママがいてパパがいるよ お兄ちゃんもいるよ ●あなたの唯一になれたことが 私を生かしてくれる
「トツキトウカ」は妊娠中から赤ちゃんが生まれて1年くらいまでの時期に、お母さんたちが綴った詩を集めた詩集で、毎年10月10日にエイベックスから出版され、今年で3冊目である。 10月14日付け朝日新聞に、上記詩を紹介しながら言語聴覚士の中川信子さんのコメントをのせている。子供の成長につれて “「子どもは存在するだけで尊い」という気持ちを思い出させくれるものが必要です。そのためにも、気持ちを書き留めておくことを是非勧めたい。書くためには、自分を客観視できる余裕が必要になる。そういう時間は貴重だし、思春期など子育てで大変な時期を迎えたとき、楽しい思い出が詰まっているものが乗り越えるためのエネルギーになる。” 私が今頃なぜこんな話題を?・・・・もっと孫がほしい! それにしても、お母さんの詩は素晴らしい!
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(第90話) 嫉妬は自然現象 |
2004,10,20 |
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評論家・谷沢永一氏が嫉妬について、松下幸之助氏の言葉を紹介していた。
“松下幸之助いわく、嫉妬は万有引力の如きものである。地球に備わる万有引力を、善であるとも悪であるとも言えない。是非の論議は無意味である。それと同じく、嫉妬は人間の天性にそなわっている。それを褒めるもけなすのも愚かである。それに逆らうなど不可能ではないか。これが幸之助の立言の第一段である。 では、一体どうしたらよいのであろう。幸之助の言う第二段はこうである。嫉妬は、狐色に焼け、黒こげにまで焼かないようにしなさい。”(10月12日付け中日新聞) 私は題字だけ見たとき、幸之助氏は「嫉妬は愚か、これを抜け出さない限り平安は訪れない」とでも言っているのではないかと思った。話は全く違っていた。谷沢氏は、「おそらくこれ以上の処方箋は、考えられないのではないか。幸之助は人間性に対して、限りなく暖かい眼をもって臨んでいると思われる」と結んでいる。安心した・・・嫉妬心が浮かぶとき自分を未熟な奴、厭な奴、と思わなくてもいい。
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(第89話) 楽しみなさい |
2004,10,19 |
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“人生は夢のスケールの大きさで変わります。65歳でエベレストを登ろうと思ったら人生が変わりました。考えたら「山は忍耐の学校です。がまん比べなのです。わずか30cm、35cmと言うちっちゃな一歩の積み重ねから山は始まります。頑張る努力は小さな一歩をあきらめないこと、それが最後、世界の頂上にたどり着くのです。 私の口癖は「楽しみなさい。楽しみなさい」。どんなに辛くても苦しくても「つらい、苦しい」と思ったらそれ以上の能力は出ません。笑って楽しむようにと言っています。”(10月11日付け毎日新聞)
これは世界七大陸最高峰をスキー滑降に成功したプロスキーヤー・三浦雄一郎さんの話である。その経歴を読んでいると、超人であり、我々に比較できるものは何もない。でも、我々のささやかな行為にも「小さな一歩をあきらめない」「楽しみなさい、辛いと思ったらそれ以上の能力は出ません」といった言葉は参考になろうと思う。山登りでもウォークでも、つらくなって止まってしまったらそれまで、数センチでも動かしていればいつか目標に達する、達成後の喜びを思って進もう。
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(第88話) 笑いは心の養生 |
2004,10,18 |
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“「笑い」の免疫力への影響については数多くの医学的な研究が行われ、笑いやポジティブな気持ちが免疫力を増強することが分かってきました。このほかにも笑うことにより脳機能が活性化されて「ぼけ防止」になったり、関節リウマチの痛みを鎮める効果もあります。大笑いするときには腹筋を使うため内臓の「ジョギング効果」にもなります。そしてなんと言っても、笑いの第一の効用は心身のリラックス作用です。 いま、日本の医療の現場には笑いと笑顔が不足しています。ストレスがいっぱいの現代社会をイキイキ元気に朗らかに生きるためには、お金も手間もかからない笑いや笑顔が必要不可欠ではないでしょうか?「笑い」こそ「心の養生」の基本だと思うのです。”(10月8日付け中日新聞)
上記は「笑いセラピー」を開いてみえる消化器クリニックの恒川洋医師の文である。以前、金城学院大学の柏木医師が「笑いは医師と患者の壁を取り除き、互いを近づける。ユーモアは頑張れより効果がある」と言ったことを書いてみえた。 私に欠けているのは、特に「ユーモアと芸術性」と思っている。人間としてもっとも大切なものを欠いて何を語る????????。
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(第87話) いわさきちひろ |
2004,10,17 |
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第69話で書いたように、今日は10月の第3日曜日、孫の日である。そして、第82話で書いたように、孫に贈るのは絵本と決めた。さて、その結末は・・・・・
10月2日に妻と「安曇野ちひろ美術館」へ行く機会を得た。素晴らしい環境の中の素晴らしい美術館である。そして、心温まる絵本の数々である。孫へ贈る絵本はこれだ! 孫に2冊、そして自分たちにも1冊買った。自分たちに買ったのは「ちひろBOX」という、「いわさきちひろ没後30年記念」として発行された、一般の方のメッセージを中心にした本である。作品も280点余が収録されている。「母の日」と言う絵に対する2人の方のメッセージを紹介する。
“子育てに疲れたとき、自信をなくしかけたとき、この絵には何度励まされたことでしょう。「だっこ」ととびついてきたあの感動は、お母さんに与えられた神さまのプレゼントだと思います。ちひろさんの絵のすべてに、私たちの心へのメッセージを感じます。(前澤明美 40代) 子ども病院で看護師をしています。子どもたちを早く家族の元へ、元気に帰してあげたいと思っています。この絵を見ていると、子どもにとって母親がどれほど大切か、とてもよくわかります。ひとりでも多く、こうして母親の胸の中へ飛び込ませてあげられるよう、また、明日からがんばろうと思います。(加藤由香 30代)”
絵の与える影響は大人にもまた大きなものがある。
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(第86話) 盲人力は勇気の光 |
2004,10,16 |
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第16回毎日国際交流賞を受賞されたアジア視覚障害者教育協会会長・青木陽子さん(42歳)は、6歳で失明、努力を重ね、93年に中国初の全盲留学生として天津外国語学院に入学、その後私財を投じてマンションの一室に日本語訓練校を設立、これまでに約200人の視覚障害者が日本語を取得している。
“私は人から「障害があるのに、なぜこれだけ頑張れるのか」といわれます。障害があるのにではなく、障害があるから一生懸命、努力するのです。健常者は普通に生きていけばいいのですが、私は障害がある分を補わなければならないのです。私は生徒によく「盲人力をつけなさい」と言います。視覚以外のこと、例えば記憶力とか嗅覚、聴力は訓練次第で身につきます。また学問などは、目に見えなくても本当に大切なものなのです。 私は「神様に選ばれてこのように生まれたのだ」と考えることにしています。私に実力があって、その役をこなせると神様が思ったからだと。”(10月4日付け毎日新聞)
青木さんは自らの行っている中国での視覚障害者支援活動のキャッチフレーズを「小さな私学の大きなプロジェクト」と言っています。校舎はない、法人格もない、身長142cmと小柄な女性の本当に大きなプロジェクトです。
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(第85話) 勉強が一番、ゴルフは二番 |
2004,10,15 |
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人気も実力も急上昇中のプロゴルファー、宮里藍を始め、兄の聖志、優作のプロ三兄妹を育てた父親宮里優さんの話から。
“勉強が一番、ゴルフは二番です。社会人になったとき、十分な教養を持っているかが重要なことです。勉強が苦手で、劣等感に陥ってしまうようではだめ。仮に試合でティーグランドに立っても、小学校の授業に追いつけないという劣等感はすぐにプレーに表れてしまいますから。ゴルフだけが上手になっても、何の役にも立ちません。 ゴルファーはプロにまでなると、あまり技術の差はありません。勝敗を分けるのは想像力。ボールをこう打ったらどうなるか、などイメージをつくる訓練が必要。三人ともですが、小さい頃から那覇に行って日展の巡回展を見せたり、クラシック音楽のコンサートに連れて行ったりして、芸術に触れさせたのもよかったのでしょう。”(10月1日付け中日新聞)
3歳や4歳からゴルフを教えながらも、勉強第一に芸術鑑賞もさせる。本当の一流になる人は、基本的なものが備わってからの一芸であるということか・・・・興味ある話である。そうしても大成できる人はほんの一握りであり、もし崩れたときにも、人間として大崩れにならない・・・・。
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(第84話) 足は健康の土台 |
2004,10,14 |
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“生活習慣病の予防に適度の運動は大切です。しかし、足のトラブルから十分に歩けない中高年が意外に多い。診察で足をみると、水虫、外反母趾、巻き爪、たこ・魚の目などが原因と思われる。これらは生活様式が西洋化し、靴を履くようになってから現れた。 合わない靴は足には拷問と同じです。足は全身の健康の土台、靴のデザインを選ぶ熱心さを足の健康にも振り向けてほしい。”(10月1日付け中日新聞)
人によってはそれほどではないかもしれないが、私にとって靴選びは重要問題である。特に長距離ウォークでは靴によって肉刺ができたり爪を痛めたりする。足に合った靴は全くそのようなことを起こさないのは、驚くばかりである。蒸れやすい人には五本指ソックスもある。足は第二の心臓といわれる。十分に配慮したいものだ。 私は女性の靴に特に驚かされる。ファッションとは拷問、我慢することかと思う。わざと歩きにくい、足の健康に悪い靴がつくられているとさえ思える。
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(第83話) 心ゆたかに生きる |
2004,10,13 |
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もう1年以上も前のことになると思うが、バスツァーのその帰りのバスの中でビデオテープではなく、ある講話のカセットテープが流された。あまりに良い話だったので、その講師を捜し出し、その本を求めたが、その本のタイトルが今日の題名の「心ゆたかに生きる」であった。最近、その本を読み返したので、その中から「お墓に届けられた手紙」という話から、一部を書き写してみる。
“川辺さん夫婦は7月に結婚20周年を迎え、結婚式に出席してもらった人々に感謝の気持ちを込めて、家族の近況報告を出した。亡くなった両親にも報告したくて両親が眠る墓あてにも出した。宛先は福岡市営平尾霊園内・・・・○○信士、○○大姉の戒名。返送されてくると思っていたが、何日たっても返ってこない。家族で墓参りに行くと、遠くから白いものがみえる。「えっ!まさか?」と娘と走っていってみると手紙だった。雨に濡れないようにビニール袋に入れ、風に飛ばされないように石をのせてある。郵便配達さんから墓の管理者にわたり、墓前に供えられたのだろう。”
西日本新聞のコラム欄からの話のようであるが、この本にはこういった心を洗われる良い話が22編収められている。この本の作者は福岡県粕屋郡の南蔵院・林覚乗住職である。
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(第82話) 絵本のある子育て |
2004,10,12 |
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第69話で「孫の日」について書いた。10月17日に向けて早速見繕いを始めた。本屋さんで幼児コーナーをのぞくのはいつのこと以来であろうか。4歳児とゼロ歳児では当然絵本となる。久しぶりのことで、的を絞らなければ何を買って良いのやら分からない。 ところが、ある医院で「こどもの本の童話館グループ」というところが発行している冊子が目についた。表紙に「絵本のある子育て・・・絵本は、親と子、祖父母と孫の、心の架け橋」と書かれている。10数ページの冊子であるので、その中から気になる部分を要約・抜き書きします。
“絵本は子供と一緒に楽しむ親へも、同じくらいの平安と幸福をもたらす。 絵本には三つの要素@絵A言葉B物語りがあり、絵本の絵は、子供に見つめられるに足る美術であってほしい。絵本は洗練された美しい日本語によって綴られていてほしい。そして、描かれた物語りが、その子の心の成長にあった世界を描き出していることが大切で、絵本は子供に読んであげる本なのです。 絵本は楽しむものです。でもこの楽しむは、結果としていくつもの恵みをもたらします。@言葉の力A言葉をつなげて新しいものを組み立てる力(想像力)Bお話を集中して聞く力C抽象的な思考D活字や本への親近感E知的な好奇心・・・・”
絵本を選ぶ基準ができた。そして、私自身が楽しむことも知った。絵本を捜し始めたとき、このような本に出会うとは、時はときとして偶然をもたらす。
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(第81話) 無名の有名人 |
2004,10,11 |
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“行きつけの図書館に常連の利用者がいた。80歳近い小柄な老人で、毎日必ず朝の開館時から夜の閉館時まで本を読んでいた。閲覧席も定位置で、一番前の左側だった。読んでいる本は特に難しいものではなく、ふつうの小説や教養書である。目立つ人ではなかったが、誰でも知っている「無名の有名人」だった。家族もないので、毎日図書館で好きな本を読んでいる。一番前の定位置は、館員が準備している。高齢なので万一の場合、館員がすぐに気づくようにという配慮である。さりげない心づかいがいい。 その後この老人は亡くなったらしい。言葉を交わしたことはないが、何かいさぎよいし、自分の老後をみるようで、ちょっと好きだ。”(9月29日付け朝日新聞)
評論家・呉 智英氏の文である。この老人には、それまでに凄まじいドラマがあったかもしれなし、何もなかったのかもしれない。しかし、ここに書かれた姿は、一つの静かなドラマであるし、一つの潔い生き方であると思う。
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(第80話) イチロー語録 |
2004,10,10 |
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一挙にプロ野球で攻めます。 イチローについて2話ばかり書いたが、共に第三者の評価であるので、今回はイチロー自身の言葉を拾い集めてみる。
・(記録達成で)満足と感じるのは、少なくとも誰かに勝ったときではなく、自分の定めたものに達成したときでしょうか。(10月5日付け中日新聞) ・(チームが低迷する中での記録達成は)自分からモチベーションをつくらねばならなかった。プロとして、試合に勝つことだけが目的ではない。プロとして何を見せなければいけないか、自分自身が自分自身に教えてくれた気がする。(10月4日付け中日新聞) ・(大リーグの「力の野球」に対して)僕の存在が、大リーグの誤った方向を変えるきっかけになれば。(10月3日付け中日新聞) ・(四球を選ぼうとしない姿勢の批判について)四球を楽しみにしているお客さんはいないでしょう?四球では、見ている方もやっている方もつまらない。なんとしてでも勝つというアマならいいが、プロだから。どれだけ自分が楽しみ、、まわりも楽しませられるかだ。(10月3日付け読売新聞)
イチローの出勤は誰よりも早いという。試合開始の5時間前にはトレーナー室に入る。また、試合後にスパイクとクラブを黙々と手入れし、バットを決して放り投げない真摯な態度もある。そして、天才イチローが天才の名に不似合いなほどに努力をしている。国民栄誉賞の受賞をモチベーションが低下するからといって、またもや辞退している。そうした試合中に見られないところでもますます素晴らしいイチローを感じる。
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(第79話) 落合語録(その2) |
2004,10,9 |
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昨日に続いて、落合語録です。 10月2日付け中日新聞の「落合博満監督の手記」より。
“選手たちは自らの手でつかみ取った優勝だ。汗水流して、一つの目標に向かっていって、最下位という下馬評を覆した。監督に就任してまず考えたのは、なぜ4年勝てなかったのかと言うことだった。勝つために何が必要なのか。それは一にも二にも練習量だと思った。コーチたちがしみじみと振り返る。「選手たちは本当によく耐えた」と。昨秋とこの春のキャンプ、徹底的に選手を鍛え上げた。女房からは「みんなは落合博満じゃないよ。つぶれてしまうよ」と言われたこともあった。 キャンプを酷評する評論家もいたけれど、こっちはマスコミ向けの練習をするつもりはさらさらない。どうやってこのチームを強くするしか考えていない。預かった以上はおれのやりかたでやる。周囲の声はおれには関係なかった。”
毎年どこかのチームが優勝する。そして、その監督は持ち上げられる。勝てば官軍、すべてのことがよい方に解釈される。第三者は結果で評価するが、当事者は過程が重要である。落合監督はますます自信を持って我が道を行かれると思うが、私は更に興味を持って見つめていく。
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(第78話) 落合語録(その1) |
2004,10,8 |
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今日は落合監督です。 10月1日、ついに中日ドラゴンズが今年のセリーグ優勝を決めた。第67話の「オレ流管理術」でも落合監督の言葉を書いたが、優勝決定後、「落合語録」が沢山紹介されている。熱心に読んでいるが、どれも自信にあふれた言葉と、選手やまわりの人に優しい言葉ばかりである。勝てば選手をほめる、負ければ自分のせいにする。これが「来てほしくない監督」にあげられていた人かと思う。10月5日付け中日新聞の「落合語録」から少しだけ紹介する。
・川崎の開幕戦先発は、1月3日に決めていた。このチームを変えるために必要だったんだ。チーム全員で彼の背中を押してやることがな。(4月2日、開幕戦終了後) ・今日は勝たなくてはいけなかったけれど、勝負というのはそう簡単にはいかないよ。(5月22日、横浜にサヨナラ負け) ・投手を中心にバックがしっかり守って勝つのがうちの目指している野球。前から言っているけれど、うちの二遊間は12球団でナンバーワン。それだけの練習をしてきた。守り勝つうちのスタイルは崩さない。どことやってもよそ行きの野球はしないよ。一つ言えることは、みんなたくましくなったということだ。(5月30日、阪神に1安打で白星) ・いつもいつも言うけれど、結果論であーだ、こーだと言われたら、何もできなくなる。最善の手を打って駄目なら仕方がない。選手は一生懸命やっているんだ。結果論で野球はできない。(7月31日、3連敗で7月を締めくくり)
これだけでは勝てない。少し長くなったので、もう1回書きたい。
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(第77話) 13の徳とイチロー |
2004,10,7 |
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“「打者」「走者」「飛球」などの野球用語は、野球好きで知られた俳人・正岡子規の考案になる。その子規は病床でベンジャミン・フランクリンの自伝を愛読し、「余の如く深く感じた人は恐らくほかにあるまいと思う」(病床六尺)と書いた。 そのフランクリン自伝は、自らを律する13の徳で有名だ。節制、沈黙、規律、決断、節約、勤勉、誠実、正義、中庸、清潔、平静、純潔、謙譲。アメリカでの成功の条件を、今こういうふうに並べれば、いやでも一人の日本人が思い浮かぶ。マリナーズのイチローである。”(10月1日付け毎日新聞・余録要約)
マリナーズのイチローはアメリカ大リーグのシーズン最多安打記録「257」を84年ぶりに破り、「262」で今シーズンを終えた。 第60話の「仏教の徳は生きている」で紹介したように、哲学者・梅原猛氏に精進、忍辱、禅定の徳を備えた人と評価され、今度はフランクリンの13の徳と比較された。 私は熱心なプロ野球ファンではないが、今年のイチローと中日ドラゴンズの落合監督には、かなり興味を持ってしまった。この二人の新聞等の様々な論評を興味深く読んでいる。共に愛知県ゆかりなのは更に良い。
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(第76話) 創・遊・和 |
2004,10,6 |
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「稼ぐ人、安い人、余る人」の出版で大当たりした、人材コンサルタントのキャメルヤマモト(本名・山本成一)氏が、朝日新聞に「会社」と題して執筆していた。その最終回から要約して紹介する。
“日本の会社を読み解いてみて、最後に残るものは「日本社会が持つ文化的な遺伝子」はその一つだろう。その文化的遺伝子の代表的なものとして三つをあげる。 第一は「モノヅクリ文化」の「創る」遺伝子で、細やかな感性と器用さを生かし、モノヅクリを道として極めた、一事徹底型の職人気質である。 第二は「学び文化」の「遊ぶ」遺伝子で、中華風も洋風も貪欲に学び、和風化していく気風である。 第三は「チームワーク文化」の「和」遺伝子で、謙譲の美徳と協調を尊び、現場チームワークの競争力を醸成した。 「創・遊・和」の遺伝子が、さらに効果的に機能するには、まずは継承である。創りこむ喜び、遊びつつ学ぶ努力と楽しさ、チームの和の威力は、日本が社会として将来しっかり継承していくべきものだろう。”(9月18日付け朝日新聞)
言われてみれば全く素晴らしい日本社会の遺伝子であるが、今まさに消えていこうとしている遺伝子の気がする。キャメルヤマモト氏は「将来にわたり続くと信じて疑わない」と書いてみえるが、実力主義が叫ばれ、目先の損得勘定に振り回される日本に、この遺伝子は継承されるのであろうか。
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(ともの米国便り第7便) ハロウィン |
2004,10,5 |
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アメリカには日本と同様行事・祝日がありますが、日本と大きく違うところは、デパートやお店を挙げてセールをやったり 催し物が盛大に開かれることです。 アメリカの次の行事は10月31日のハロウィンHalloweenです。
ハロウィンは、子供達が仮装をして、日の暮れる頃に近所の家にお菓子をもらいに周るという行事です。 ハロウィンに備えてお店には、仮装グッズやお菓子がお店の半分を占めるといっても過言ではないほど沢山並びます。お店がオレンジ色一色になります。 仮装グッズには、面白いものが多くドラキュラ、魔女、シンデレラ姫、アメリカで人気のスパイダーマンといったコスチュームやキングコング、ガイコツなどといった気味の悪いお面がズラッと並びます。買う人がいるのが不思議なものばかりです。 日本でおなじみはかぼちゃのお化けですが、スーパーでは黄色のジャンボかぼちゃが売られています。アメリカ人はこれをくりぬいてかぼちゃのお化けを作るようです。 食べれるかどうかはよくわかりません。
ハロウィンが終わるとサンクスギビングデイが11月末にありますが、この日からクリスマスにかけてアメリカのデパートなどは年に一度の大バーゲンを行うようです。今からワクワクしています。
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(第75話) 事故に感謝 |
2004,10,4 |
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オリンピックに続いて、パラリンピックも日本選手は素晴らしい記録を残して終了した。特にパラリンピック選手は、勝っても負けても、すでにここに出てくるまでに一人一人が壮絶なドラマを築いてきている。沢山ある話の中から一つを紹介する。
“車いすバスケットの京谷和幸選手(33歳)は、ジェフ市原で活躍した元Jリーガーであったが、22歳の時交通事故に遭い、下半身不随となった。10年前、知人に誘われて千葉県のバスケットチームへ。娘の誕生に「この娘に誇れるものを」と、また、Jリーガー仲間のワールドカップの話に奮起、今回出場となった。 Jリーガーのころ、他人を認めず、ほめず、自分一人だと思っていた。だが、今は「事故に出会えてよかった」とすら思う。高慢だった過去の自分と別れ、周囲に支えられて生きている実感を与えてくれたからだ。サッカー選手の「命」である両足の自由を奪われたのに、「感謝さえしている」という。”(9月28日付け毎日新聞・要約)
感謝とは、人間にとってそれほどに重要なのだ。
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(第74話) 100歳ボウラー |
2004,10,3 |
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100歳の話に、続いてもう1話紹介しましょう。 “初めてボウリング場に足を踏み入れたのは孫と一緒にのぞいたとき、65才を過ぎていたが、すぐにマイボール、マイシューズをそろえた。負けず嫌いで熱中しやすい性格。1日に10ゲーム以上投げることも少なくなかった。 ボウラーとして大きく飛躍したのは、80才を過ぎてからだ。ボウリング場の支配人だったプロ選手の指導を受け、スコアが安定した。生涯の最高スコア285点をマークしたのは83歳の時。 昨年6月、静岡市で開かれた100歳ボウラーの誕生を祝う大会で「ボウリングに出会わなかったら長生きはしなかった」と語る。”(9月26日付け読売新聞)
これは今年7月に101歳で亡くなった谷沢三之助さんの話である。 私は谷沢さんがボウリングを始められた年まで、まだ一時代ある。この話はその先の話だ。
ところが今朝(10月3日)の中日新聞に、12月に102歳になる岐阜県山岡町の小木曽さださんが、今、愛知県扶桑町で絵画の個展を開かれている記事が載った。90歳から、ボケ防止にと独学で絵を描き始め、これまでに6000点以上描かれたという。 上には上がある、ただ唸るのみである。
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(第73話) 100歳は射程圏内 |
2004,10,2 |
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毎年敬老の日が近づくと、厚生労働省より長寿番付が発表される。9月14日の発表によると、最高齢者は小山ウラさん(114歳)である。100歳以上は23038人で、内女性が19515人と85%を占めている。
“貴女は何歳まで生きる予定ですか?「100歳までいけそうだ」という威勢のいい人は、ほんの一握りではないでしょうか。 でもね、平成元年にようやく100万人を越えた85歳以上の人口が、この15年間で270万人に増加したんです。90歳以上だって100万人にもなる。この勢いからすると、100歳は夢じゃない、なんて思いませんか。 あいち健康プラザを訪れる外国人研修生が驚くのが、日本の高齢者の元気。旅行やサークル活動を楽しんだり、体操教室やウォーキングで心地よい汗を流している姿に目を丸くしています。 もてる機能を最大限発揮して自立して生きていこう。”(9月18日付け毎日新聞、あいち健康プラザ・ドクター津下一代)
私は70歳を目標にしていたが、望んでも望まなくても100歳が射程圏内といわれれば、望んで100歳をお迎えしましょう。70歳と100歳では大変な違いである、生き方を再構築しなければならない。
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(第72話) 冬に |
2004,10,1 |
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“ほめたたえるために生まれてきたのだ ののしるために生まれてきたのではない 否定するために生まれてきたのではない 肯定するために生まれてきたのだ
(中略)
死ぬために生まれてきたのではない 生きるために生まれてきたのだ そうなのだ 私は男で 夫で父でおまけに詩人でさえあるのだから” (「谷川俊太郎詩集」より)
私は男で夫で父でおまけに○○○でさえあるのだから あなたは・・・・・
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