ha0406

第2号  2004年6月

(第13話) 1.29 2004,6,29
 少子化に拍車がかかり、平成15年の合計特殊出生率が1.29になったということが話題になっている。合計特殊出生率とは、15歳から49歳の女性の出生率を足しあわせて算出するもので、現在の人口を維持するには2.08が必要といわれている。このままで行くと100年後には日本の人口は3分の1になる計算という。私には2.08に対して1.29とはとんでもない低い数字で、一大事に思われる。
 原因についてある大学教授は「働く女性に対する支援が不足」と言いきり、ある教授は「企業は制度を作っても利用して欲しくないと考えている」と言っている。これから労働人口は益々減るので、働ける人は誰も働くようにしなければならない、そのために制度の充実は当然必要だが、私にはそれだけで大きく出生率が上がるとは思いがたい。東京のある市で制度を充実したことによって、出生率が上がっているという例が載ってはいたが・・・・・。
 もし改善があったとしても、2近くになるとはとても思えないので(政府予測でも1.39)日本の人口は確実に減り続ける。いま年金問題に絡めて問題にしているが、そんな程度の問題ではない気がする。30年後、50年後、100年後の全体をとらえた青写真は描けているのであろうか。 

(第12話) 牛水舎 2004,6,27
 昨年の秋からウォークの副産物新シリーズとして、珍しい手水舎を追い求めている。先日、美濃路ウォークの下見に出かけて、名古屋市中区の桜天神社に寄った。菅原道真を祀る神社には、神の使いとして牛がよく存置されている。ここもたがわず牛があった。そして、手水舎を見るとここにも牛がいた。宝物を見つけた思いで写真を撮る。帰って早速HPに掲載しようと、もらってきたパンフレットを見ると「牛水舎」となっている。これは手を清める手水舎ではないのか、以下のような説明がなされている。
「この牛に自分の歳の数だけ柄杓で水をかけ、願い事をすればその願いが叶うとされています。また、この水で字を書くと上手に書けるとも言われています」
 問い合わせてみると、手を清めるためのものでもあるようだ。それにしても面白い。まさしく「犬も歩けば・・・・」である。
 ここで「鷽(うそ)」の造形物も見つけた(写真)。今これをどう扱おうか悩んでいる。機会があったら是非一度寄ってみてください。

(立齋第6話) お伊勢参り(2) 2004,6,26
 江戸時代、生活も安定し庶民の夢 一代大旅行がお伊勢参り!
ヤジキタ道中の流行です、 野次(ヤジ)さん 喜多(キタ)さんは江戸時代の小説
「東海道中膝栗毛(ひざくりげ)」十遍舎一句の作に出てくる トボケタ主人公二人組
お笑い娯楽小説の先駆け、お伊勢参りに江戸から伊勢までの 風物風情がよく紹介され
ガイドブックにもなり なかなか評判の読み物♪
今、漫才のボケと突っ込みもこれが始まりかな?
また「野次ル(ヤジル)」もここから来てると思うよ♪

私の小学校修学旅行が伊勢と鳥羽、天皇さんのご先祖の天照 伊勢神宮参りに 
戦前の考えが残っていたかも知れない?
お土産はお福と赤福、まだ伊勢でしか手に入らない名物に 誰もがご近所からたくさん
注文を引き受け、帰ればご近所にちゃんとご挨拶に出かけた記憶が蘇(ヨミガエ)る♪
16/2/17 立斎

(第11話) 協働ルールブック 2004,6,25
 愛知県は今年5月に、NPOと行政の協働促進に向けて「あいち協働ルールブック2004」を発行をした。このルールブックはNPOと行政が対等な立場で、協議、合意した事項をとりまとめたもので、県は今後このルールブックに賛同するNPO団体を幅広く募り、このルールを運用しながら、協働の継続普及をはかっていこうとしている。6月14日にこれに関するフォーラムがあり、NPO法人グラウンドワーク東海を代表して参加した。

 ルールブックには、行政が、NPOが、また共に守るべき基本姿勢について書かれている。その中で特に注目したことは、1)行政とNPOの協働は行政の自己改革を促進するものと期待する。2)NPOは行政への一方的批判や要求にとどまらず、建設的な意見交換、提言を行う。また、NPOは必ずしも県民全体を代表しているものでないことを認識する。3)行政は手続きの簡略化に努める、といった文言である。
 それぞれ認めにくいことを正面から書いている。全国始めてのルールブックということで、お互いの真剣さ、決意を感じる。一歩一歩、着実に歩を進め大きな成果になることを期待するものである。

(第10話) 1778話 2004,6,23
 ガンを宣告された妻のために、毎日1編の小説を書き続けた作家・眉村卓氏の話をある新聞のコラム欄で見つけた。一編は原稿用紙3枚(1200字)以上で、亡くなるまでに1778話を書いたという。私も日記ならもう20年、ほとんど毎日書き続けている(当HPの「継続の秘訣」参照)。しかし、小説である、日記とはわけが違う。いくら作家といえども人間である、私には全く驚きでしかない。それが本として発行された。早速購入してきた(「妻に捧げた1778話」、新潮社、680円)。妻のために書きながら、万人が読める内容なのだ、さらなる驚きである。
 その爪の垢ほどにもならぬが、私も密かに決意するのである。

(立齋第5話) お伊勢参り(1) 2004,6,21
 高三の春二月三月は卒業旅行、今では恒例になり誰もが楽しんでいる、
うちの弓道部お嬢様方 全員お伊勢参りに行くと言う♪
途中の列車からキャーキャー声も聞こえそうな 楽しいメールが届いた、

 伊勢神宮と言えば大和姫 その昔、卑弥呼(ヒミコ)の時代?
奈良の三輪には大神神社大物主の神と天照(アマテラス)の神が祀られていた、
時代が下がり 両方共霊力が強過ぎて、天照の神を移転する事になる その大役が大和姫、
神の鎮座すべき所を求めて奈良から尾張へ、今の一宮市今伊勢の酒見神社(坂見)で
小高い所から方角を伊勢に定めたと言う伝記です(地名が今伊勢町と言うも面白い)
こうして由緒正しい伊勢神宮となった訳です。
だから今でも 酒見神社では お参りする方角は伊勢に向かっています!
普通は北か西に決まってますが、ここは伊勢神宮向きです♪
16/2/17 立齋

(第9話) 高齢者をだめにする 2004,6,19
 先日の「孫をだめにする」の中で高齢者も言葉を変えれば全く同じだと書いたが、私が言いたかったことがときを同じくして、朝日新聞の社説に書かれた。全くこの偶然にびっくりする。一部を要約すると、
 “介護保険の利用者は制度が始まった4年前に比べてほぼ2倍になった。しかし、比較的軽い症状の高齢者が、サ−ビスを受け始めて短期間で重くなる例が少なくない。福祉用具が安易に使われるのもその一因だ”とある。

 「高齢者をだめにするのは簡単。何でも楽にしてあげればよい」と言い換えられる。以前にも書いたが、我が家には89歳の老母がいる。食事を部屋に運び、掃除もしてやった方がよほど妻も楽だ。おむつを使った方が失敗も少ないし、洗濯も楽だ。しかし、妻はいちいち口でやかましく言ってやらせている。
 私に50歳を前に脳梗塞で倒れた同級生がいる。最初はリハビリに頑張っていたが、そのうち電動車椅子を借りて使うようになった。私はまずいなと思って忠告したが、案の定今でも電動車椅子である。
 何事も状況を見極めることが重要であり、安易な同情や情けは要注意である。

(第8話) 孫をだめにする 2004,6,17
 新聞のコラム欄で、J・J・ルソーの
「子供をだめにするのは簡単。何でもほしいものを与えればよい」
 という言葉を見つけた。
 我々の年代になると結構孫がいる。男はふつうあまり言わないが、それでもその話題に触れると、この人がと思うような人でも堰を切ったように夢中で話すのである。かわいいの一点張りである。そして、孫の喜ぶ顔見たさにいろいろなものを買い与える。息子や娘夫婦が喜ぶ程度ならいいが、迷惑がっているにもかかわらず与えている例もある。実は私の姻戚関係にもあり、漏れ聞くところによると、かなりわがままに育っているようだ。
 私の体験からして、ルソーの言葉は全く頷ける。大人が子供のわがままに負けたら良い子にはならない。子育てにこうすれば必ず良い子に育つということを見つけるのは至難だが、こうすれば必ず悪くなるということを見つけるのは簡単だ。これはその一つだと思う。高齢者に対しても、少し言葉を変えれば全く同じようにいえるが、これはまた別の機会にしたい。

(立齋第4話) 同窓会 2004,6,15
 高校卒業して40年、同窓会は20年振りで100名の参加である。
大勢が立ち話している受付で 余りに年寄りじみた会に「会場間違えたか?」
なんて引き返そうとした仲間も居た、君も鏡を見ればギャフンと納得するぞ♪
誰もが少し話せばすぐ判る、気持ちは若い17歳のままの好い奴ばかりだ。
女性陣には「うっそー!」と言うくらいの まだまだ美しい方が何人か居た、
否否 そう思っただけかも知れない!(ゴメン!)
そのまま ワガママ通して幸せのまま暮らして行ってね♪ シワは作るなっ!
出席できる事自体 ともかく幸せな方ばかりであるのは間違いない、
道は違ってもしっかりガンバっているんだね、立派な方や元気な方ばかりで良かったね
「元気なじぃちゃん、可愛いばぁーちゃん♪」
やはり先に逝ってしまった友がここに居ないのが残念だ!
今日はとても良い日だ♪
皆さんありがと♪
16/1/18 立斎

(第7話) サプリメント建築 2004,6,13
 5月の建設通信新聞に「サプリメント建築」と題した論評が載っていた。
 「現代の個人住宅は、エアコンは言うまでもなく、床暖房やマイナスイオン発生器などと快適性と利便性を安易に求めすぎている。今現代人に求められているのは、四季の変化を受け入れ、自然の豊かさや快適性を甘受できる感性を回復することであり、ますます逆の傾向になっている」というのである。
 実は今、娘夫婦が自宅建設を検討していて、私もだいぶ勉強させられている。築50年以上の農家住宅に住む私にとって、現代の高気密、高断熱、そして、機械仕掛けの住宅には全く驚くばかりであり、先ほどの論評にはうなずくばかりである。
 サプリメント(健康補助食品)では、本当の食の豊かさは味わえないのである。住宅についてもしかりである。素人的理解ではあるが、エネルギー資源の低減の意味も含めて、本来の建築、及び、その空間を大切にしたいものである。  

(第6話) 折り梅 2004,6,12
 折り梅などという言葉は、映画のタイトルで見るまで知らなかった。久しく映画など見たことのなかった私が、知り合いに紹介されて封切り間もない2002年4月に、メール仲間3人と名古屋駅近くの映画館にいった。この映画が去る5月28日テレビ放映され、ビデオにとっておいて昨夜再び見る機会を得た。

 呆けの始まった姑との葛藤に悩む嫁、そしてその家族がいろいろな経過を得ながら、姑の絵を描くという隠れた才能が開花し、穏やかな生活が訪れるという映画。愛知県に住む小菅もと子さんが自らの体験をつづった「忘れても、しあわせ」をもとにした実話である。老いて痴呆となっても命輝く人間を、枝を折られても皮から養分を吸って咲き続ける梅になぞらえ「折り梅」とタイトルが付けられたようだ。
 老人問題、特に痴呆老人に係わった人なら胸を熱くせずには見られないと思う。近くに老人問題を抱えてみえる方は是非一度見てください。なかなかこのようには行かないが、大いに参考になると思います。

 我が家でも母が痴呆と診断され、デイケアやショートスティにお世話になってもう7年になる。痴呆といいながらまだまだ動けるのは、何より妻の貢献が大である。こんな母を抱えながらウォーキングに興じている私は、ますます頭が上がらない。 

(立齋第3話) 私の青い鳥 2004,6,11
             愛妻康子の3回忌によせて

青い鳥
それは私の好きな人 そこにもここにもいっぱい飛んでる
だからいつも楽しいの 私の周りにたくさん来てる
手を差し出せばすぐに留まってくれる そして優しい声で答えてくれる
青い鳥
それはあの人この人あなたです 皆んな私の青い鳥

青い鳥
それは私の好きな人 青い空の彼方へ逝った人
だけどいつも一緒です 優しさだけを残してくれて
手を差し出せばすぐに留まってくれる そして優しい声で答えてくれる
青い鳥
それはあの時この時思い出す あなたは私の青い鳥

平成15/12/6 立斎

(第5話) 8020運動 2004,6,9
 8020運動といえば「80歳になっても自分の歯を20本以上保とう」という運動を思いつかれる人がほとんどであろう。一般にはこの運動しか見あたらない。8020推進財団というものまでできている。平成11年統計で、80歳での1人平均歯数は8.2本、20本以上ある人は15%と出ている。ちなみに60歳で24本以上ある人は55%とある。
 ところがウォークの世界で、この運動にあやかっている言葉が紹介された。日本ウォーキング協会の機関紙「あるけあるけ」新聞6月号の「歩々笑美抄」に、埼玉県ウォーキング協会の小川正さんの
  「歩けの8020運動は80歳になっても20km歩ける運動」
 という言葉が出ていた。(当HPウォーク名言集参照)うまく言ったものだと思わずうなった。他人の庭を借りての言葉だけに恐縮するが、それがまた面白い。
 80歳20歯、80歳20km、どちらが難しいだろうか。私にはどちらも同じようなものだと思うし、不可能とも思えない。それより、80歳まで寿命があることの方が難しい気がする。

(第4話) やらなくてもいいことをやる 2004,6,7
 先日、愛知県知事の話を聞く機会があった。
 知事は「あのときカルガリーに負けていたら、来年は多分視察団の一団に加わっているくらいだろう。当選したおかげで来年は主役である。万博は県として必ずしもやらなくてもいいこと、やるか、やらないかでエリートと大衆と別れるのである」という主旨だった。エリートと大衆という言葉使いが適切かどうかはわからぬが、「やならくてもいいことをやる」という言葉は、一般には余分なことをすると批判的に使う場合が多いと思うだけに、知事の言葉使いは新鮮に響いた。今、愛知県内ではこの万博の準備でどこもかしこも大騒ぎ、大忙しである。

 人間誰しも、やらなくてもいいことを、多かれ少なかれやっている。そこで問題なのはやっている中身である。仕事、子育て・・・やらねばならぬことの大半は終え、これから駆け足で人生の終焉に向かうだけに、少しでも建設的、創造的な「やらなくてもいいことをやる」ことに心がけていきたいと思う。さてこの「話・話」はどうだろうか・・・・

(立斎第2話) 着物 2004,6,5
今日は私の家の初釜♪ 
茶道を習ってる者にとって ほんとの正月気分!
朝早くに来て、四・五人の子が着付けに大わらわである、
出来上がって早速見せに来た、 可愛いカワイイ よろしいヨロシイ♪
一期一会とは言いますが このアデ姿は別世界のごとし♪ 正に一期の華である♪
私も負けずにキリリと 袴(はかま)のひもを締めました。
可愛い子供には着物を着せたい♪ どの母親でもそぅ思う。
私の子供時代、元日の朝には新品の着物と鼻緒がまだ堅い下駄(げた)と黒足袋(たび)を最初にもらう、キリット母親に着せてもらい、両親でなくとも周りの年配者について
真清田神社に初詣でに行くのが習わしだった、全てが新品過ぎて 足袋と下駄の鼻緒とがしっくりこないで 歩きにくかったのを思いだす、これが正月であった♪
高校時代、弓道と茶道をやるようになり 母は羽織から着物袴までを夏冬それぞれ
一式コシラエテくれた、絹ではなくウールであるが何かの度によく着たもんだ。
着物は随分長持ちするもので 今でもたまに手を通している、
そんな時オフクロの温かい何かを感じている私ですが、
果たしてあの頃には そんな母に報いるような行いしていたのか?
今ごろになって 深く有り難い愛情感じています。
16/1/12 立斎

(第3話) 携帯電話と車内放送 2004,6,3
 先日掲載した立斎さんの文に携帯電話について触れられていたので、私も感じていることを少し書いてみる。
 私も毎日電車で通勤しているが、案内や注意事項などうるさいほど親切に車内放送してくれる。その中でもっとも無視されているのが「携帯電話の電源をお切り下さい」という放送ではなかろうか。この放送があっても携帯電話をいじっている人のほとんどはビクリともしない。メールやゲームならいいと思っているのだろうか。今日など、この放送でやおら電話を取り出し始めた人がいた。これはどこに原因があるのであろうか。
 
 電車の中というのは、人は沢山いるが、以外に人を意識していないのである。結構孤独になれるし、集中もできる。私も電車の中では本を非常によく読める。携帯電話のメールを打ったりゲームにはもってこいの場所である。車掌さんはあれほど放送しながら、車内で通りかかっても、何も注意をしない。どんなマニュアルになっているのだろう。実際、実害はどうなのだろう、恐れだけなのであろうか、私も知らない。本当に実害があったら、人命に関わることだけに、通り一遍ではなくもっと真剣に対応すべきだ。もっと実害の実体について、啓蒙をすべきだと思う。

(第2話) 熊野古道 2004,6,1
 6月末にも熊野古道が世界遺産に登録されると聞いているが、そんなことがあって今年はこの古道が大変注目されている。今、熊野古道を歩く人のために、毎日名古屋駅よりバスがでているようだ。今年3月の一宮歩の総会で旅行社の人が紹介していた。私は今のところツヅラト峠に行ったのみである(このHPに紹介あり)。
 5月30日のテレビニュースで、住民が古道の発掘作業をしたことを報道していた。雑草や雑木を取り除くと、その下に昔のままの石畳が見えてきた。このニュースにふと感動に近いものを覚えた。この道は使われなくなって、土砂に覆われ姿を隠した。取り壊したわけではないので、今再び日の目を見ることができた。そして、世界遺産として昔以上に脚光を浴びるのである。
 私は就職して以来、土木事業に携わってきた。土木事業は「造る」ことであるが、「壊す」ことと裏表の関係の面もある。「壊す」ことの怖さをふと感じた。


川柳&ウォーク