fu021makyu
九州編

平成20年7月、平戸や天草へ行った。偉人像がいっぱいである。九州各地には
多そうで各県立てでもよかろうが、行く機会はそう無いので九州編としてまとめる。


1)油屋熊八  2)別府市(別府駅前)  3)1863〜1935年。別府観光の生みの親。
1863年愛媛県宇和郡佐田に生まれ、15才の頃より家業である米問屋で本格的に働き、
その後大阪、アメリカ等で働いた。別府で活動を始めたのは、49才の時からで、当時まだ
あまり有名でなかった別府を観光地にしようと、別府港に桟橋を作る運動をしたり、観光
バスを通して日本で始めてのバスガイドを乗せたり多数の事業を興した。  (10.4.29) 
1)谷村計介  2)熊本市(熊本城)  3)1853〜1877年。宮崎生まれ。
明治初期の軍人。1872年陸軍に入り、熊本鎮台の兵士となる。1874年の佐賀
の乱や1876年の神風連の乱に出征。1877年の西南戦争において鎮台司令官
谷干城の命を受け、西郷軍に包囲された熊本城から脱出し、救援政府軍との
連絡役を果した。3月4日の田原坂の戦いで戦死。         (10.4.18)


1)天草四郎時貞  2)【上写真】天草市(鬼池港)、【下写真】上天草市(パールセンター)
3)1621〜1638年。父益田甚兵衛はキリシタン(切支丹)大名小西行長の元家臣で、小西家没落後、
江部村で農業を営んでいた。家族ともにキリシタン信徒。寛永14年(1637)10月、島原・天草で農民一揆が
起こり、16歳の天草四郎は一揆軍の精神的支柱となり、幕府軍と戦う。しかし、幕府連合軍(12万人)に
一揆軍(3万7千人)は、寛永15年(1638)2月、島原城の落城ととも全滅する。 (080705)


1)三浦環(たまき) 2)長崎市(グラバー園) 3)1884〜1946年。 日本のソプラノ歌手。
清らかな美声で演技力にもすぐれ、日本人初の国際的プリマドンナとして欧米各地の
オペラハウスで活躍した。とくに、プッチーニの「蝶々夫人」は当たり役として知られ、
1935年にはイタリアのパレルモで「蝶々夫人」出演2000回の記録を達成した。(080704)
1)ジャコモ・プッチーニ  2)長崎市(グラバー園)  3)1852〜1924年。ベルディ以後のイタリア
最大の歌劇作曲家。「ボエーム」「トスカ」「蝶々夫人」などが代表作。「蝶々夫人」は日本の長崎を舞台に、
日本の旋律で書かれており、アリア「ある晴れた日に」が特に有名。  (080704)



平戸市内の「歴史の道・モニュメント群」に6偉人が立っていた。(080703)

1)リチャード・コックス  3)1556〜1642年。
初代平戸イギリス商館長

1)ジャックス・スペックス  3)1585〜1645年
初代平戸オランダ商館長

1)ウィリアム・アダムス(日本名・三浦按針) 
3)1564〜1620年 デ・リーフデ号航海長

1)フランシスコ・ザビエル   3)1506〜1552年
イエスズ会宣教師

1)王 直   3)  〜1559年。
平戸にポルトガル船を導いた貿易商

1)松浦隆信(道可)  3)1529〜1599年。
平戸松浦家第25代領主


1)フランシスコ・ザビエル  2)平戸市(聖フランシスコ・ザビエル記念教会)
3)1506〜1552年。ポルトガル国王の援助を得、東洋への布教活動に努めた。1542年に
インドで活動を始め、1547年にはマラッカで日本人ヤジロウと出会い日本開教を発願。
1549年に鹿児島に上陸し、わが国に初めてキリスト教を伝えた。日本におけるイエズス会の
基礎を作った。日本での滞在は2年3ヶ月。その後中国渡り、死去。    (080703)


1)田中吉政  2)柳川市(日吉神社)  3)1548〜1609年。関ヶ原の戦で
石田三成を捕らえ、その功績により、慶長6年に岡崎藩主10万石より筑後藩主
32万石として入国した。柳川城を居城として、有明海、矢部川、筑後川沿岸の
開発、治水、利水工事、柳川城の修築、整備による大城郭建設、柳川久留米街
道、柳川・福島・黒木を結ぶ黒木街道の新設など、多くの業績を残した。(070417)



川柳&ウォーク