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平成11年10月24日 多治見市において「路上探検inたじみ」と称した討論会が開かれた。奥美濃へ行った帰りに何のことかも分からぬままに立ち寄った。パネリストは、南伸坊、松田哲夫、林丈二、赤瀬川原平、藤森照信の各氏であった。1日かけ多治見を観察し、それをスライドで映しだし、各氏が論評を加えていく。私は「路上観察」なる言葉を初めて知り、またもや面白いという気持ちが芽生えた。ウォーキング愛好家の私には路上観察の機会はいくらでもある。また、観察によってウォーキングがより楽しいものになる。「路上観察学入門」という本も読んだ。そして、この観察に乗り出した。 |
梅の木にドラム缶が乗っている。乗せたのか、乗ってしまったのか。中は水でも入って いるのだろうか。枝を広げるためだろうか。それならもっと楽で確かな方法はいくらでもある。 議論に花が咲く。ウォーキングの途中で見かけた不思議な光景である。犬山市内。(091017) |
上の左と右は舗装の模様を考えて造った蓋。いつの間にかそんなことに無頓着に設置している。 特に上右はこのページのずっと下を見てください。H12.8.9以来ずっとそのままである。 色はかなり褪せて目立たなくなっているが、筋は隠せない。下左はこの写真では分かりにくいかも しれないが、4枚の図柄は見事に東西南北、皆別の方向を向いている。意図してだろうか。 下右は設置してまだ新しい、いつまで保たれるだろうか。 (090924) |
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豊橋駅・東口駅前広場 豊橋東口駅前から東にかけた駅前大通りには沢山のブロンズ像が設置されている。まさに歩道美術館の 様相である。とても紹介しきれないので、ペデストリアンデッキ部のみを紹介する。デッキ部のオブジェは この地方に伝わる民話を題材に作家・藤原吉志子氏の作品である。この路上観察も楽しい。 (090909) |
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豊橋駅前・ペデストリアンデッキ |
民話「金の鶏」 大変心配性の和尚さんは、寺宝の鶏が盗まれるのではないかと心配し、どこかに隠そうと思っていたが、夢に現れた金の鶏のお告げによりクスノキの根元に埋めた。以来、金の鶏は誰にも見つけられなくなったという。 |
民話「金次の椎の木」 大きな椎の木の持ち主である金次は、ケチで椎の実を誰にもあげなかったが、弘法 大師の戒めによって改心し、広い心を持った人間になった。人々に椎の実を分け与え、 尊敬を集めた。そして、大きな椎の木は「金次の椎の木」と呼ばれるようになったという。 |
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民話「大西の馬頭観音さま」 若い働き者の馬方が、仕事の帰りに狼に付け狙われ、塩をあげることを約束して食べられる こともなく家までたどり着く。が、疲れ果ててしまい、狼に塩を与えることを忘れてしまった。 そのため、大事な馬を食べられてしまう。馬方は悲嘆にくれ、しばらくして馬の後を追うように 死んでしまう。哀れに思った近所の人たちが馬頭観音をおまつりして霊を弔ったという。 |
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馬と狼 |
狼が馬方と馬を付け狙う |
馬を食べられ悲嘆に暮れる馬方 |
名古屋・四間道(しけみち)とその界隈 名古屋駅の近くに四間道と言われるところがある。1700年の元禄の大火で多くの町屋や寺社が焼失した。 尾張藩4代藩主の徳川吉通は、商家の焼失を避けるため、堀川沿いにある商家の裏道幅を4間(約7m)に 拡張したことからこの名がある。しかし、付近の他の道は狭いままである。下町情緒が残る貴重な地域として 昭和61年、名古屋市の「町並み保存地区」にも指定されている。よく通り地域であるが、今回路上観察の目で もって歩いてみた。目を変えるといろいろ違ったものが見えてくるものである。 (090906) |
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四 間 道 |
狭い残り地に植物がびっしりである |
こんな空間にも鉢が置かれている |
出入りする玄関も鉢が占有している |
塀や屋根、玄関の戸も植物に占拠された |
神様も屋根に登った(屋根神様) |
雨水貯留槽 |
これぞ軒下の芸術 |
名古屋のど真ん中の公園に うさぎがいる!?(H21.8.26) |
近寄ってよく見ればゴミ! |
古木の鶴 (H21.8.22) 羽二重餅の古里本店(福井県永平寺町)店先 |
もう何度もきている白川郷で、何となく歩いていても芸がないと、路上観察に心がけることにした。そして目に ついたのが店先の木工芸術?である。白川郷の魅力を増幅させる作品である。 (H21.8.21) |
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蓑を着た雪っ子 |
ソフトクリーム |
花 立 て |
水道(幹の中に水道管が通してある) |
吊り飾り |
傘 立 て |
水飲みと手洗い |
不要になった手ぞりを利用した立て看板 実際には立てて店の名を示したものであるが、手ぞりとして利用していた時には 文字の面が雪に接し、雪の上を滑っていた。素晴らしい活用である。 |
以下は平成12年6月から平成14年8月までのものです。
道路沿いを流れる水路を利用して水車を回し、 その動力を利用して人形を回転させている。 通行人を楽しませるその見事さに全く感心 する。雨森というのはそんな村である。 (H12.8.6 滋賀県高月町雨森) |
これは何でしょう? タイル舗装した歩道とマンホールのふたで す。 「仏作って魂入れず」「画竜点睛を欠く」 (H12.8.9 愛知県岩倉市) |
軒下の芸術 近江八幡市の左義長祭りの 日、町中で見つけた風景。あまり に見事な芸術に思わず立ち止ま り、写真に撮る。 下の写真は中央より少し右より の拡大写真。笹で作ったお雛様、 あまりの見事さに感嘆、どんな人 が作られたのだろう。造形も素晴 らしいが、通行人を楽しませよう とされる人柄はそれ以上に素晴 らしい。 (平成13年3月17日 近江八幡市内) |
塀 の 芸 術 ブロック塀に竹を利用した植木鉢を掲げ、迫り出した松に塀を切り欠く。 久しぶりに見つけた嬉しい風景である。(H14.5.5 滋賀県米原町) |
塀の芸術(2) 不要となった大八車の車輪を塀に 掲げた物。色バランスなども違和感 はない。通行人を楽しませる。 (H14.5.19 各務原市鵜沼宿) |
コンクリート壁が取り残されている。 なぜ残されているのだろう? |
残された芸術 表に回ってみれば見事な犬山の風景画で ある。よく見ればタイル張りの浴場の壁面 である。蛇口の跡も残っている。あまりに 見事な芸術に取り壊すのが惜しまれたの であろう。 (平成14年8月24日 愛知県犬山市) |
ライン大橋より上流を見た風景(川は木曽川、架かる橋は犬山橋、右は犬山城) |